礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2011年9月11日

投稿された文章です。
うちの女房は眠いと変だ。先日の朝、メガネが無くなったと大騒ぎしている。女房は、「昨日、眠くてメガネをどこにしまったのか忘れてしまった」と言うのだ。子供たちと部屋中探したが見つからない。さっき出したゴミ箱の中だったのか・・・ゴミ収集車はとっくに去ってしまったが。
 とりあえず私は会社へ・・・帰ってみるとしっかり無くなったはずのメガネをかけている。理由を聞くと何とか見つかったらしい。その見つかり方が変だった・・・しまってあるはずのドライヤーが化粧台の上にの置いてあって、そのドライヤーをしまおうと、いつもの引き出しを開けると、そこに黄色いバナナが・・・どうしてバナナがこんなところに入っているのかと疑問に思いながら、そのバナナをしまおうと冷蔵庫を開けると、なんとバナナの房の間にメガネが入っていた・・・という。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」のようなドミノ倒し的な見つけ方。それにしても何でバナナだったのかは、今もって不明です。

 私たちもある程度の予測や計画はするものですが、思い通りに全て事が進むということはありえないでしょう。順調にいっていると思いきや、考えもしなかったハプニングも起こることもありますし、どこにも希望を見いだせない四面楚歌で苦しんでいても、思いがけない助けがくることもあります。私たちの小さな頭で、想定できることは、ほんの一部分だけです。自分が予測できる計画は本当に小さなものです。私の持ち分はこれだけだから、どうしようもないだろう・・・と考えるものです。でも、神さまがご介入されたら、私たちの想像を超えたことが起こるものです。そしてそれを信じることが信仰なのです。私たちは現実を見て、諦めたり希望を持ったりしますが、神さまは現実をはるかに超えたお方で、私たちの一番必要な時に、助けを求める人たちに、必ず不思議な解決を与えてくださるものであります。
 「しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。」(詩篇34の10)

心のオアシス 2011年9月4日

私は様々の場所で聖書セミナーをさせていただいているが、先月集会が終わった後で、このようなことを言いに来られた方がいました。「メッセージを聴きながら涙が溢れてきました。このような体験は初めてです。」この方は、昔は教会に通っていた時期があるそうですが、ずっと離れている状態でした。しかし神さまが心に触れてくださってから、その生き方が変えられてきたそうです。世の中の情報に翻弄されて悩んでおられたその心に平安が与えられたとのことです。
また、「夫婦で朝のデボーションをしていますが、気付かない所で成長しているのを感じます。」「私は神さまに仕えているつもりが気が付くと神さまのふりをしたサタンにすり替わっていたりします。日曜日ごとにそれに気付かせて頂いています。」「イエス様を信じてから、クヨクヨしなくなりました。神さまが何とかしてくださると思えるようになりました。」などの体験談を聞いて感動しています。人が救われる姿を見ることが一番嬉しいことではありますが、イエス様に繋がったら、ある人は突然、ある人はだんだんボチボチと螺旋階段のように人生が上向いていく体験をしておられる様子に、神さまに感謝しています。
私たちは、一瞬にして、何かが変わることを期待しますが、神さまは、この世を造られた時に、「時間」を与えられました。これは神さまが私たちに「一瞬」に事が変わることを、あまり望んでおられないということでもあろうかと思います。時間があれば、時間を費やすこともあるし、忍耐も養われるし、祈りも生まれます。
モーセが神さまに用いられたのは、王宮にいた若い時期ではありません。荒野で40年間費やして80歳になった時でした。アブラハムとサラは子を宿す力がなくなってから、イサクが与えられるという恵みを授かりました。自分が何とかできると考えている間は、神さまはあまり働かれないようです。なぜなら神さまの出番がないからです。徹底的に自分には力がないことを知ってから、初めて大きく用いられるということになるのでしょう。合言葉は「頑張らないで諦めない!」

心のオアシス 2011年8月28日

これは朝日新聞「声」の欄に掲載された母教会付属のインターナショナル・カルバリー・アカデミー(ICA)の菅野勝治郎先生の文章です。
私が代表を務めるボランティア活動「手を貸す運動」は西アフリカ・シエラレオネで生徒約2600人の学校に給食援助など行なっています。先日、同校で働く日本人シスターが一時帰国され、生徒たちが集めた総額500ドル(約4万円)の東日本大震災義援金を届けて下さいました。
一日一食も満足に食べることができないシエラレオネ。学校給食が一番の頼りという家庭の子どもが多い中での寄金です。自分たちの食料でもある野菜やマンゴーを売って得たお金を持ち寄ってくれたそうです。また、同校は私たちが贈る予定だった給食・教育支援金一カ月分計200万円も辞退されました。
「自分たちの給食をイモや雑穀にすれば何とかなる。こちらの子にひもじい思いはさせないから支援金を全額、東日本の義援金にして下さい」というのです。彼らには貴重な資金のはず。私たちはそれを同校の名で義援金にしました。
世界の最貧国の一つの国の子どもたちから寄せられた心からの義援金が、被災地の皆さんを元気づけてくれることを願って、報告させていただきます。

現代の日本人が学ばなければいけないことに気づかされます。日本に住んでいるなら、努力さえすれば生きていく道はいくらでもあります。しかし働きたくても働くことができない国や、働いても食べていくことさえできない国は数多くあります。それでも哀れむ心、与える心があるのは、心が富んでいるからです。心は物質だけでは豊かになりません。豊かになった気分を一時的に味わうことができるかもしれません。私たちの人生を保障してくださる神さまに信頼することが、本当の豊かさを得る近道です。目の前の足元だけを見てあれこれ悩んでいませんか? 立ち止まって目を上げて見てください。違った風景が見えてきますよ。

心のオアシス 2011年8月21日

ラインホールド・ニーバーの祈りです。「主よ、変えられないものを 受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を、我に与えたまえ。」
男性であること、女性であること、国籍、人種など、どう頑張ってみても、祈っても変えられない現実があります。変えられないことを、変えて欲しいと願っても、それは神さまが定められたことでありますから、どう逆立ちしても変えられないのです。そのような現実を受け入れる心の静けさがあるならば、そんなにストレスを溜める必要はなくなるでしょう。また、変えることができるものを、なかなか変えないで、そのままにしておく人もいます。変えるために勇気が必要となることもあります。ある時には、変えたほうが良い場合と、変えないほうが良い場合がありますが、その時には、どちらが得策なのかを見分ける知恵も必要であります。いずれにしても、私たちには「祈り」なしにはどうすることもできません。新約聖書の13の書簡を著者のパウロがこう書いています。「高慢にならないように、私の肉体に一つのとげが与えられた・・・このことについて、私は離れ去らせて下さるようにと、3度も主に祈った。ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』」(Ⅱコリント12章7~9節)。彼が今の自分の肉体にある病の現実を取り去るように変化を求めたのですが、神さまからの知恵は、高慢にならないようにそのままにしておくということでした。しかしパウロは文句を言わず、その現実を受け留めているのです。
「運命は冷たい。しかし摂理は温かい」これは神に信頼する者だけが知ることができる世界であります。突然の不幸を神抜きで考えるならば、運命だったと諦めるしかありません。しかし神のなさることは摂理として受けとめることができるのです。摂理とは嫌なこともありますが、同時に救いも残るのです。どうすることもできない問題には、焦らないで、慌てないで、受けとめ待ち祈る。これが最善の解決方法です。

心のオアシス 2011年8月14日

ある一人の受刑者の話です。
その男の母親は、彼が少年時代に実家に預けたまま再婚して離れ離れで生活するようになりました。彼は長い間「俺の母親は俺を捨てて再婚するような冷たい女だ。」と思い込んでいました。ところが、刑務所の独房の中で、そういった色々なことを考えているうちに、ふと、こんなことを思い出しました。
小学校4年の頃、再婚先の母親を訪ねる機会がありました。母親は、新しい夫に「息子が来たから、こずかいやろうよ。」と言って硬貨を一枚、夫に見せて承諾をとってから彼に渡しました。帰り道に、よくよく硬貨を見ると、一枚だと思っていた硬貨が、そうではなくて2枚だったのです。そのコインは、ご飯粒でくっつけてあって、はがそうと思ってもガチガチにくっついていました。彼は田んぼの水に硬貨をつけてはがしました。
そんなことを思い出しているうちに涙が出てきました。「俺を捨てて再婚したと思ったけど、いつも心の中で俺のことを思い、俺が来るのを待っていてくれたんだ・・・飯粒がガチガチになっていたのを考えると相当前から待っていてくれたんだろうな・・・新しい夫に気兼ねしながらも、こっそり2枚もくれたんだ。母は俺のことをいつも考えてくれていたんだ・・・」彼が今まで考えていた母親に対する考えが急変しました。そして、その時から彼の生き方が変わり始めたそうです。
人間は面白いことに、嬉しいことや良い出来事は自分の努力の結果だと考え、辛いこと悲しいことに関しては神のせいにする傾向があります。日本人の多くは、「神がいるなら、どうしてこんなことが私の人生に起こるのですか?」「神がいるのに、どうして世界に飢饉や戦争があるのですか?」という疑問符で神に対する不信感をあらわします。しかし、もし逆に考えるならばどうでしょう? 「神さまのお陰で、この喜びが与えられています!」と指を折りながら感謝を数えるならば、私たちの人生観が変わるでしょう。 God is good all the time.

心のオアシス 2011年8月7日

修道院が盛んだった時代に、アントニオという修道士が修道院に入りました。彼は長くそこで修練して、これぐらい訓練できたらもう大丈夫だろうと自信を持って修道院を出ました。その時、ちょうど修道院の門前で靴屋さんが靴を直していました。修道士は彼に自分の靴を直してもらい、待っている間に話しかけました。
修道士「家族は何人ですか?」
靴 屋「子供8人に、妻と私の10人家族です。」
修道士「収入はどれくらいあるのですか? 家族がそんなに多くては靴を直すだけではお金が足りないのではないですか?」
靴 屋「・・・・・」
彼は何も言わずにただ黙々と靴を直し、少ししてからこう答えました。
「先生、私はただ主に仕える人たちが、長く楽に靴をはけるように最善
を尽くすだけです。私の家族のことは神さまが責任を持っていてくださいますから。」
 それを聞いた修道士は、自分の足りなさを悟り修道院に戻って出直しました。

 私は神奈川県の母教会から、自分に自信がついたから出てきたのではありません。逆に自分の信仰を養っていただくために出てきたようなものです。勿論、無謀な行動をしたわけではなく、神さまから押し出されるようにして、様々なしるしを見させていただいて確信を得て決心したのです。開拓宣教に対する不安がなかったわけではありませんが、「神さまが責任をとってくださる」という期待の方が勝っていました。開拓を始めて1年が経過しました。様々な出会いや出来事を通して、神さまは不思議な助けや道を開いてくださいました。まさに紅海を渡るモーセのような気持ちです。何もかも満たされている場所から、あえて荒野に出ることを通してでなければ得ることができない恵みを沢山与えられました。私たちの不足や試練は、実は私たちにとって恵みなのです。

心のオアシス 2011年7月31日

主よ、私が空腹を覚えるとき パンを分ける相手に出会わせてください。
のどが渇くとき 飲み物を分ける相手に出会えますように。
寒さを感じるとき 暖めてあげる相手に出会わせてください。
不愉快になるとき 喜ばせる相手に出会わせてください。
私の十字架が重く感じられるとき だれかの重荷を背負ってあげられますように。
乏しくなるとき 乏しい人に出会わせてください。
ひまがなくなるとき 時間を割いてあげる相手に出会えますように。
私が屈辱を味わうとき だれかを褒めてあげられますように。
気が滅入るとき だれかを力づけてあげらえますように。
理解してもらいたいとき  理解してあげる相手に出会えますように。
かまってもらいたいとき かまってあげる相手に出会わせてください。
私が自分のことしか頭にないとき  私の関心が他人にも向きますように。
空腹と貧困の中に生き そして死んでいく世の兄弟姉妹に 奉仕するに値する者となれますように 主よ、私をお助けください。
主よ、私たちの手をとおして 日ごとのパンを 今日の彼らにお与えください。
私たちの思いやりをとおして 主よ、彼らに 平和と喜びをお与えください。

これはマザーテレサの祈りでした。私たちは必要を感じる時、まず自分が満たされることを求めますが、本来はそうではないことに気付きます。まず相手の必要を満たしてあげるならば、私たちの必要は神さまが何とかしてくださるのです。難しいことかもしれませんが、本当は簡単なことなのだと思います。私たちの現実や気持ちがそれを難しくしているだけなのでしょう。
願わくは、私たちもそのように生きることができますように。

心のオアシス 2011年7月24日

かなり前の話しであるが作家の神津カンナさんが、テレビ寺小屋という番組で大変興味深い話をされていた。
彼女は、作家になる決意をしてアメリカ留学から帰ってきました。何度原稿を書いても突き返され、挫折している時に、作曲家である父親が自分の才能が開花した時の話をしてくれたそうです。
それは、小学校4年生の4月18日でした。音楽が好きではなかったのですが審査の結果、少年軍楽隊に一番で入りました。その時からトランペットを吹くようになり作曲家への道を進んだというのです。
小学校の同窓会の時、先生にお礼を言いました。「あの時、私の才能を見出してくださって、本当にありがとうございました。」しかし先生はワナワナしながら言いました。「実は当時、栄養状態が悪かったので、軍隊でラッパなどを吹かせると、皆肺をやられてしまうので反対したのだが、軍からの命令なので仕方なく肺活量の多い者から選抜したのだよ。」ガーン・・・大きなショックでした。しかし、「才能がないのにここまでこれたら上出来だ。」とその時から才能を創りながら今日に至ったとのこと。見せられた3つのカステラ箱には、父親の使った短くなった鉛筆がいっぱいに入っていました。
確かに才能のあるなしはあるかもしれないが、本当に才能があって仕事をやっている人は少ない。又、才能がないからといって、それをすぐ止めるのは不遜である。才能がなくてもそれを創りだす人もいる。すぐに諦めないようにという内容のお話であった。私たちも学ぶことがたくさんあると思います。
才能がない部分を見るのではなく、持っている部分を見始めると、それをどのように用いようかという気持ちになってくるものであります。
以前、杖をつきながら教会に来られている人生の大先輩がおられ、こう言われていたことに心打たれました。「やがて歩くことができなくなってしまった時に後悔しないように、今動ける限り教会へ来るようにしているのですよ。」「動ける自分」に目を向けておられる姿でした。

心のオアシス 2011年7月17日

アメリカにある村の古びた教会で、年に一度の食事会が行なわれました。夕食会の後、司会者に指名された人は何かその場で即興で出し物をするという一芸大会がありました。いよいよ司会者が指名したのはジェームスという男性でした。彼はシェークスピア調で聖書の詩篇23篇を流暢に暗唱しました。朗読が終わった時、拍手喝さいでした。次に司会者は、部屋の隅っこにいたビリーを指名しました。彼はボロボロの麦わら帽子をかぶっていて、ノソノソモゴモゴしながら前に出てきました。そして言いました。「俺はこれといった芸はできないけど、今ジェームスが暗唱した詩篇23篇ならできるんだけどなぁ・・・」みんなは、「同じでいいからやってくれよ!」と言ったのでビリーは、このように始めました。「昨年は母が死んで、辛い年だったけど、主は私の羊飼いであって、私には乏しいことがなかったよ。畑は不作で、子供たちも学校に行けずに働いたけど、主は私を緑の牧場に伏させて、憩いのみぎわに伴われたな~。色々な問題で悩んで落ち込んでいたけど、主はわたしの魂を生き返らせてみ名のために、わたしを正しい道に導いてくださったな~。仕事中に危険な目に何度も遭ったけど、神さまがわたしと共におられるから、災いを恐れることはなかった・・・。結局、子供たちは学校をやめなきゃならなくなったけど、あなたのむちと、あなたのつえによって私は慰められました。(むちと杖は羊飼いが羊を導き保護するために用いる道具)どんな時にも、わたしの杯はあふれて、満たされました。わたしの生きている限りは、必ず恵みといつくしみとが伴うという確信があります。わたしはとこしえに主の宮に住みます。
ビリーの体験談付き詩篇の朗読が終わった後、人々の目は、涙でいっぱいでした。その時、先ほどシェークスピア調で朗読したジェームスが立ち上がって言いました。「ビリー! 私は聖書の詩篇23篇を知っています。でも、あなたはそこに出てくる羊飼いが、どういうお方かということを知っています。そして、それこそが人生で最も大切なことであることが、今わかりました。ありがとう!」神は私たちの日々の力です。

心のオアシス 2011年7月10日

ガッツ石松さんは、伝統のプロボクサーです。1974年に世界チャンピオンになってから、5度目の防衛線の時でした。慢心してしまい暴飲暴食のため、体重がどんどん増えていきました。防衛戦3ヶ月前は、なんと体重が19キロもオーバー。さすがに反省し、過酷な減量を開始しますが、10日前にまだ10キロもオーバー。飲まず食わずのロードワークなどで、1日1キロ落としていきました。2・3日前になると、階段を上る力もなくなるほど苦しみました。口が渇き、唾液が飲み込めず苦しむと、付き添いの若者が背中をさすりながら泣いていました。「彼も俺に夢を託している」と実感し、その後、計量をパスして右アッパーによる14回KOでベルトを守りました。彼は言います。「一人ではチャンピオンにはなれない。みんなの支えがエネルギーになりました。」
ガッツ石松さんは、子供の頃は自分勝手なガキ大将だったそうです。体の弱い父親は定職がなく、母親が力仕事で家計を支えていました。兄弟は4人、家は貧しくいつも腹をすかせていました。周囲のさげすみの目に怒りをもち、食べるために他人の畑から野菜を盗みました。転機となったのは、中学2年のときに問題を起こし、家庭裁判所に父親と行った帰り道の出来事です。生まれて初めてラーメン店に入りました。父と子、2人で1杯だけ頼んだラーメンを、このとき自分一人で食べてしまいます。すると、父が残りのスープに水を足して飲み干したのです。「あっ!・・・」父親の空腹にさえ気付かない無神経さに腹が立ち、泣きたくなりました。そして、この時に少年は決意するのです。「悪さをやめて、両親を貧困から救ってやる!」それがボクシングを志す動機となりました。ガッツ石松さんがチャンピオンになれたのは、家族、ジムの人たち、みんなの支えがあったからなのです。
 私たちも夢がかなうとしたら、それは誰かが支えていてくれるからです。ここに私たちが存在することさえも、天地万物を造られた神が支えてくださっているからこそなのです。是非、造り主なる神を知る人生を選び取られることをお勧めいたします。