礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2012年2月26日

先週の週報からの続きです・・・ピリピ人への手紙から「人生における何故?の対処法」を、この世における全ての貧富を体験し、死に直面することを何度も通ってきたパウロから15回にわたって学んできた。彼は貧富のそれぞれの道や、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていたが、そのポイントを①~⑪まで前回書いたが、今回は⑫から⑮までを要約して書きます。
⑫「神のシナリオに賭ける」。神さまは私達に最高の人生のシナリオを与えてくださっているが、人生という舞台で「あなた」という役柄をどのように演じるかは私達に任されています。シナリオは最高の出来です。
⑬「天に希望を持つ」。私たちは、肉体という仮の宿で生活していますが、やがては天国というゴールが待っている。仮の宿の中で、もがき苦しんでいますが、天の希望を持つならば、乗り越えることができるでしょう。天の希望がある人は「死」は天国への入り口なのです。
⑭「祈りがすべてのカギ」。祈りは、その対象となった生き物のほとんどすべて、人間、さまざまな細胞や組織、動物、植物、バクテリアや菌類やイーストなどの有機体にまで、効果を及ぼすことが科学的にも立証されています。「祈るならば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」(ピリピ4章7節)
⑮「神によって人生は何とかなる!」と信じる。人前で話しをすることができない、勉強嫌いの小学生時代の私が、どうやって牧師になることができたのか? 人知では考えられないことが毎週起こっているのです。私がメッセージしている姿は、まさに「奇跡」なのです。神さまは、創造したすべての人を責任をもって養っていてくださるお方です。私を見てくだされば、神が共におられたら、どうにでもなることを知るでしょう。「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」(ピリピ4章19節) あなたも奇跡を見に教会へ来てみてはいかがですか?!

心のオアシス 2012年2月19日

先週の日曜日に、ピリピ人への手紙から「人生における何故?の対処法」シリーズの最後の第15回目を学んだ。著者のパウロは、この世における全ての貧富を体験し、死に直面することを何度も通ってきた存在でした。しかし、彼は貧富のそれぞれの道や、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を発見したことを書いています。彼の問題の対処法が散りばめられて記されているが、それをここに復習がてら書き出してみます。
①「神の視点」を用いる。人の視点から見ると「何故?」と不満が出ても、視点を変えると、辛い現実も受け止めることができる。
②「プラス思考」を用いる。パウロ自身が投獄されたことは教会にとっては最悪だったが、教会の役員が成長するキッカケになったと考える。
③「物事に意味を与える」。そんな存在でも、神の前には、生きていることにも意味があるし、死ぬことにも意味がある。
④「神の概念を変える」。神は自分の願いをかなえてくれる存在という考えから、私たちが神の願いにかなうための存在であるという発想。
⑤「自分の常識を変える」。「相手が自分よりも優れている」「他人の身になって考えてみる」という超常識を身につける。
⑥「自分を固守しない」。自分の地位や立場や特権にしがみ付き、こだわり続けるとストレスになるので、ある時には手放してみたら良い。
⑦「神の言葉を握り続ける」。世は流動的ですが、動かない真理にしがみ付くことが平安を得る秘訣です。
⑧「神実現に生きる」。神実現に生きるとは、神が保証人だということ。
⑨「あの人もこの人も神が遣わされた存在」という意識を持つ。良い人も悪い人も、神が自分に必要な存在として送ってくださったと考える。
⑩「当たり前を喜ぶ」。見ること、話せること、食べることなど、どんなに小さなことでも神さまに感謝するなら大きな祝福に繋がる。
⑪「神の価値観を持つ」。神にある価値を知ったら、この世の何ものも比べることはできないぐらい素晴らしい。
残りの⑫から⑮までは、次回です。今週も祝福がありますように!

心のオアシス 2012年2月12日

この地上に住む全ての人は、何らかの信仰を持って生きています。信仰というと宗教を結びつけることが多いですが、宗教というカテゴリの中に入っていない信仰も沢山あります。たとえば無神論者であっても、信仰を持っています。お金があれば自分は満足することができると信じている人は、お金を信仰しているのです。またビジネスで成功すれば、この世の中で勝ち組になれると信じている人もいますし、ある人は結婚すれば幸せになれると信じているのです。頼る対象が神なのか、物なのかということでしょう。このように「何に頼るか」の違いだけで、みんな何らかの信仰は持っているのです。何度も期待に裏切られて、ガッカリ肩を落とす人も少なくはありません。ダイエット食品に飛びつく女性は多くいますが、何度も手を変え品を変えして、効果がないことに気付きながらも、尚も自分を美しくしてくれるものがあると信じ求め探し続けている現実があります。このようなことを書いている私は、経済、仕事、家庭、教育、趣味、美容などを否定するつもりはさらさらありません。それらのものは、この地上で生きる上では絶対不可欠なものですし、私も欲しいものは多数あります。重要なポイントは、それらの出所がどこなのかを知らなければ、本末転倒になりかねません。私たちの人生の目的が、ただ健康が与えられることや、お金持ちになること、幸せになること、問題がなくなることに向けられるならば、決して満たされることはありません。なぜなら、神が私たちに私たちの内側に組み込まれた人生の目的は、そのようなものではないからです。神を求め、信じ続けること、そして神の栄光を現わすことが、私たちの人生の目的であります。この世界を知ったら、物があってもなくても、喜びの時にも悲しみの時にも、満足できる歩みをすることができるようになります。
私は、「イエスさまが、何とかしてくださる!」この神さまに対する信頼によって今まで何とかやっていけました。そしてこれからも何があっても、信頼し続けます。それは、すべては主の御手にあることを知っているからです。Your life is in His hands!

心のオアシス 2012年2月5日

関西カルバリーフェローシップがスタートしてから1年7ヶ月が経過した。日本でのゼロからの開拓伝道は難しいと言われている。しかし私は、「神は、この石ころからでもアブラハムの子を起こすことができる」(マタイ3の9)とイエスさまが言われたように、神が働かれるなら、人間の計画や考え以上のことが起こると信じて、居心地の良い場所から離れて関西の地へ来ました。大和カルバリーチャペルでの最後の祈祷会メッセージで、私はこう宣言しました。「もうすでに私を通してでなければ福音を聞くことがない人たちを関西の地に神さまは備えていてくださっています。そして待っている人々がいることを確信しています。もし一人でも救われたら、それだけでも自分が関西に派遣された意味があると信じています!」実は人間的には、恐々宣言でした。「もし救われる人たちが起こされなかったらどうしよう?」「そんな宣言して、何も起こらなかったら、ただのほら吹きになってしまうよ・・・」悪魔は信仰を萎えさせるような声を何度も投げかけてきました。しかしこの短期間の内に、3人の受洗者を与えてくださいました。その都度必要な助け手を送ってくださいました。片腕になりたいと申し出る人たちが起こされました。そして先週は、堺において他宗教でキリスト教嫌いだった83歳のおばあちゃんが、私の短い話に耳を傾け、「イエス様を信じたいと思います。洗礼を是非お願いいたします。」と頭を下げられハッキリと信仰の告白をなさいました。私はその場で病床洗礼を授け4人目の受洗者となりました。天国の確信と希望が与えられ、天に名前が記された恵みの時間でした。難病と戦っておられますので是非ともお祈りください。
このように私は信仰によって歩みだしたときから、毎週毎日、神さまの業を見るようになりました。勿論、何も変化がないように思える時期もあるでしょうけれども、水面下では神さまの働きは確実に進んでいます。ピンチはチャンスです。みなさんが人生の危機に直面した時こそ信仰を働かせる良い機会です。「神さまが何とかしてくださる!」この信仰に立つならば人知では計り知ることのできない平安が与えられます。

心のオアシス 2012年1月29日

アメリカでは科学的調査データに基づいた研究をすることで知られているラリー・ドッシーという医学博士がいる。彼はハーバード大学など、多くの大学でも講演しているが、著書「祈る心は、治る力」の中で書いている内容の一部を抜粋してみます。

「祈りの効果は、なにも人間だけに限ったものではない。祈りは、その対象となった生き物のほとんどすべて・・・ 人間、さまざまな細胞や組織、動物、植木、バクテリアや菌類やイーストなどの有機体・・・ に効果を及ぼすことが立証されている。この幅広い効果を裏付ける証拠は豊富にあり、その中には130件以上の厳密な管理下における実験結果もある。薬品や手術でも同じだが、これは祈りが常に有効だという意味ではない。しかし、統計学的にみて祈りには効果があるのだ。」

国立精神衛生研究所の上級研究員であったラーソン博士は、こうも言っています。

「私は、かつて自分の教授からは、宗教など害になるだけだと、教えられてきた。しかし、実際に研究結果を見てみると、宗教は、現実に、健康において大いに有益であることがわかったのである。もし、あなたが教会に行き、定期的に祈るならば、精神面と肉体面双方の病を予防する上で、非常に有益であり、もっとずっと効果的に病に対処できるということがわかったのである。さまざまな分野にわたっているその研究の結果を見るならば、その80パーセントが有益という結果が出ている。このことは、私にとってショックであった。」

アメリカにおいては、科学的な見地からも「祈り」の効果を研究し立証していることに驚きを覚えます。世の中のドクターが「祈りの80パーセントは有益だ」と言っているとのことだが、クリスチャンは「祈りは100パーセント有益である」ことを確信している。なぜなら、祈っても変化しない事柄は、神が良しとして変化させられないのだと受け止めることができるからです。聖書は言います。「あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい」(ヤコブ書5章13節)

心のオアシス 2012年1月22日

砂の上に建物を建てるほうが、岩の上よりも楽であるし、狭い門より広い門から入るほうが簡単であろう。人間は楽な方、簡単の方へ進みやすい傾向にある。それもその人の人生だからと言ってしまえば、それまでだが、勝負の世界では、そんなものは通用しない。辛い道、険しい道を選ぶ者の方が、最後には栄冠を受けるようになっている。

聖書は、「岩の上に建てよ。」「狭い門から入りなさい。」と教えている。これは辛い道、険しい道を選べという意味ではないが、人々がなかなか選択できない道であることは確かなことである。聖書の言葉を土台にして生活するより、耳ざわりの良い教えや、自己実現のための話なら耳を傾けやすい。神の言葉に聴くという現実離れしたものより、How toものに飛びついた方が得だと思えてしまう。しかし、人生の大きな嵐に耐えることができるのは、本当はどちらなのだろうか?

サックス奏者であり巡回伝道をしている岸義紘先生の曾おばあさんは、そのご主人が村の神社を建てることに貢献した神道の信仰一筋の人でした。神棚があって、朝晩そこに手を合わせていました。岸少年のお母さんとおばあさんはクリスチャンで、この曾おばあさんによく仕えていました。しかし、教会の集会に出かける時間になると、色々な嫌がらせをしたり、反対したり、時には喧嘩もしかけてきました。当時、それを見ていた岸少年は子供心に小さな胸が締め付けられる思いでした。いよいよ、この曾おばあさんが82歳で老衰の床についた時、お母さんとおばあさんを枕元に呼んでこう言いました。「私らの神道ではなぁ・・・死んだ後、どうなるのかハッキリしとらんのじゃ・・・ところで、あんたらのキリストさんの方では死んだ後は、ハッキリしとるんかなぁ? どうなっとるんかなぁ?」その後、村の教会の牧師先生に導かれ、イエス様を信じて洗礼を受けました。召される数日前に岸少年の手を握ってこう言いました。「おばあちゃんはなぁ、イエス様の天国に行くからな、そこへ行ったらな、一緒に遊ぼうな。あんたらが来るのを待ちよるからな。はよう来なさいよ」・・・狭い門からは永遠の希望が見えてくるのです。

心のオアシス 2012年1月15日

人間には、どこかに属していたいという願望があります。それは神が人に与えた帰属意識であるということが言えるでしょう。家や家族、会社、学校、組織、地位、経済、趣味など、何かに属していたいと願っている人は多いのです。中には、どこにも属したくないという場所に属している人もいるのですが・・・属しているということに安心感を得ています。それが自分を守ってくれるとか、保障してくれるとか、アイデンティティーを与えてくれるものだと考えているのです。それがなくなったら不安になります。

私が20数年前、中学校や高校を中退した子どもたちが大検資格を得るための学校で働いていました。そこには、授業料はキチンと納めているのに学校に来ない学生もたくさんいました。親もそれを承知の上で学費を払っているのです。何故でしょうか? それは実際に学校に通わなくても、属している場所が欲しいからなのです。何もしていないというのは、当時では社会的には認められない立場だったのです。ですから、「どこそこの学校に行っています」というような身分が必要だったわけです。そうやって精神的にも落ち着けたのでしょう。

お金に属していたい人は、お金がないと落着かないのです。ある貧しそうな生活をしていた人が亡くなった後、その腹巻の中から数億円の貯金通帳が出てきたというような話を聞いたことがありますが、これもその一つの例でしょう。

何かに属して安心を得ようとしているのですが、本当に安心できる場所はそんなに多くはありません。何故でしょうか? それは永遠に対する保障を受けていないからです。この一時的な地上で安心できる場所に属していても、永遠に関しては確信がないのです。ですから人間は不安を持って生きているのです。

私たち人間は本来、神に属している存在なのです。そこから離れて生きているので不安なのです。神の家族の元へ戻るときに永遠の天国へ行くことができる安心と保障を得るのです。Come back home!

心のオアシス 2012年1月8日

リビングライフ2011年11月号の中に、今年の私たちの教会の進むべき道について教えられているようなメッセージが載せられていましたのでご紹介します。

神は、聖徒の信仰が共同体の中で成熟するようにデザインされました。教会での交わりは、まことの信仰の家族を経験し、霊的に成長し合う成熟の庭です。ですから、適当に礼拝をささげたり、適当に聖徒同士の交わりをしてはなりません。私たちが主の御名をあがめ、主の御心を成すための聖なる集まりを、世の集まりより大切に思わなければ、霊的なリバイバルは経験できないでしょう。

ルーズベルト大統領が出席していたワシントンのある教会に、このような電話がかかってきたそうです。「今週の聖日礼拝に、ルーズベルト大統領は出席される予定ですか?」それに対して、当時のその教会の事務担当者は、人々が驚くほど見事な答えをしたそうです。「ルーズベルト大統領が出席されるかどうかは、さだかではありません。ですが、確かなことは、イエス・キリストなる神は礼拝に必ず出席されますので、会いにいらしてください。」

イエスに会うということは、イエスとともに祝宴に参加することです。教会の集まりに出席するたびに神の臨在を求めて礼拝するならば、私たちは偉大な霊的リバイバルを経験し、信仰は堅く根を下ろすことでしょう。 

 

是非、今年も神さまに期待いたしましょう。神さまは、私たちに対して新しい恵みを計画中です。私たちの恵みが増し加わるためにも、キリスト体験をし、良いわざを行ない、何事にも喜んで耐えかつ忍び、光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝しようではありませんか!

今年は神さまの広さ高さ長さ深さを体験していく年でありますように心よりお祈りいたします。祈りましょう! 求めましょう!

心のオアシス 2012年1月1日

私たちの母教会である大和カルバリーチャペルの主任牧師から支教会へ以下のようなご挨拶が届いています。

新年明けましておめでとうございます!  
 
支教会の愛兄姉様に新年のご挨拶を申し上げます。

支教会の皆々様には、一度もお会いしたことのない人々が多くおられますが、支教会のために、主の恵みを祈らなかったことはございません。しかし、愛の足りない自らを心から恥入り、主のあわれみを求めています。

先々週の主日礼拝で「心配しないで!」という題で説教しましたが、これは私の気持ちでもあります。「大牧者」である主イエス様が、愛兄姉たちを愛し、正しい道に導いて下さると確信しております。心配しないで、主にお従いして参りましょう。

今年は、すでに公表しましたように、リバイバル的不思議が起こります。そして、今後の十年間は「リバイバルと教会成長の季節」が来ます。このようなことを信じられることは、とても幸せなことだと思っております。

サーフィンの最も大切なことは、前方から来た波を 勇気をもってとらえ、乗ることです。波に乗るということは、並の努力ではできません。いつも祈りに祈り、主を仰いで、積極的に、肯定的に、信仰的に考え行動することです。

本部教会の大和カルバリーチャペルは、増々、主の恵みにあふれ、聖霊充満で、祝福の道を前進します。どうぞお祈りください。

 

マザーテレサのことばを贈ります。

平和はほほえみから始まります。苦しみが私たちの生活に訪れてくる時、ほほえみをもって受け入れましょう。神が送り給うすべて、求め給うすべてをほほえみながら受け入れる勇気は、神からの最も偉大なる賜物といえます。

一緒に住んでいたり、または血のつながった親族といった人たちにほほえみかけることは、あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい時があるものです。 「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。今年もむさぼるように聖書を読みましょう!

 

大和カルバリーチャペル(大和キリスト教会) 主任牧師 大川従道

心のオアシス 2011年12月25日

カナダの「シャインツマン」という新聞に掲載された実話でです。

クリスマスの夜のことでした。一人の女の子が冷たい北風が吹きぬける暗い道を歩いています。どこまでも続く高いレンガの塀のそばの道を、女の子は小さなプレゼントを胸に抱いてブルブル震えながら歩いていました。実は、そのレンガの塀の内側には刑務所で、その子のお父さんが殺人犯で収監されていのです。やがて刑務所の門のところまで来た女の子は守衛に言いました。「お願いです。お父さんに会わせてください」しかし守衛は言いました。「ダメだ。もうとっくに面会時間は過ぎている。明日来なさい」「明日は、もうクリスマスは終わってしまいます。お願いです。ちょっとだけ・・・」「ダメと言ったらダメなんだ!」守衛は怒鳴りました。とうとう女の子は泣き出しました。ちょうどそこへ刑務所長が通りかかりました。かわいそうに思い声をかけました。「おじさんが、そのプレゼントをお父さんに渡してあげよう。今すぐに手渡してあげるから泣かないで帰りなさい」実は、その子のお父さんは、乱暴で、凶暴で、刑務所の規則など何も守らない手のつけられない囚人だったのです。独房の中で、所長からプレゼントを受け取ったその男は、リボンをほどきました。中に一枚の紙切れがありました。「大好きなお父さんへ。お父さんが殺人犯だということが恥ずかしいと言って、お母さんは家を出てしまいました。クリスマスに、お父さんにプレゼントを贈りたいと思いましたが、お金がありません。そこで、お父さんが優しくなでてくれた、私の巻き毛の髪を切りました。これを、今年のプレゼントにします。お父さん、私はどんなに辛くても、寂しくても、お父さんが帰ってくるまで頑張ります。お父さんも頑張ってください。刑務所は寒いと思います。お父さん、風邪を引かないでね・・・」

読んでいく男の目から、どっと涙が溢れました。箱の中から少女が贈った髪の毛をつかみ出すと、その中に顔を埋めて泣きました。その次の日、男は、まるで別人のように最も模範的な囚人に変わりました。

神さまの愛を受け入れたら、あなたの人生も驚くほど変わります!