礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2011年11月27日

聖書の中に悪魔がイエスさまにむかって「あなたが神の子であるなら、石がパンになるように命じてごらんなさい」と言い、それに対してイエスさまは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものであると書いてある」と反論される箇所があります。このような悪魔の囁きは私たちにはないように思えますが、実は日本という国は、この悪魔の誘惑にまんまと引っかかってしまっているのです。日本は、鉱石を加工して世界に売って、お金を手に入れ、それでパンに変えて成長してきました。しかしそのような方法が今や頭打ちしています。どうしてでしょうか? これらのことは生きていく上での知恵であり、当然しなければならないことですが、サタンの巧妙な罠が潜んでいるのです。それは、自分の心の声や周りの声に従って生きていく自己中心的なモノの考え方です。神によって生かされていることや、神の目的に生きる使命というものを無視させるのです。日本は、自分の能力や知恵に過信して、それによってパンを得てきたかのような錯覚をしてきました。しかし、今はそれらの頼っていたものによって、破滅へと向かっているのです。どんな繁栄も勢力も、必ず衰える時期があることを賢者であるなら悟ることができるでしょう。そして本当に知恵ある人は、何を求めるべきかを探るのです。

イエスさまは、自分の使命を忘れ、ただその時の欲求に従って生きればいいじゃないかという囁きに対して、人はパンだけで生きるものではなく、神の言葉によって生きる使命があることを強調されました。石をパンに変えることがいけないのではなく、神が語っておられる私たちの使命を忘れてはならないということなのです。人間は神抜きで人生を考えるならば、「生きるために食べるのか? 食べるために生きるのか?」という疑問の中で、堂々巡りするしかないのです。神によって生かされていることがわかると、神が私に与えてくださった目的のために生きるし、そのために食べるし、仕事もしていくのです。底辺でさまよいながら生きるのではなく、大空を優雅に生きる生き方をお勧めします。

心のオアシス 2011年11月20日

神があなたを愛していることを知ってください。あなたの努力は不要です。「努力する」のではなく「知ること」で、突然道が開けます。自己実現とは、自分で定めた目標を目指すことです。神実現とは、すでに神があなたに与えている目的に向かって進むことなのです。自己実現のセルフイメージは、自分で定めた目標や理想を強調すればするほど、「それに成り得ていない自分」という負のイメージが対照的に浮かび上がってしまうのも事実です。(中略)しかし聖書が語るセルフイメージによれば、私たちはまだ得ぬステイタスを獲得するのではなく、本来のステイタスを回復するだけでよいのです。自分のことを、神が創造した最高傑作だと意識する人と、望まれず偶然生まれてきた価値のない存在だと意識する人とでは、天と地ほどの差があります。想像してみてください。王様に子供が生まれたら、その子は自己努力ではなく、ただ「王様の子供だから」という血筋によって王位を継承することができます。この子供は世の中で最高のステイタスを持って生まれたのです。聖書によれば、私たちは誰でもこの世の王子以上のステイタスを持っているわけです。はっきり言って、これほど高いステイタスは他にありません。

「あなたは、目的を持って神によって創造されました」

「あなたは、神に似せて創られた最高傑作です」

「あなたは、神から愛されています」

あなたが、この神実現の3つの真理を知り、自分は最高のステイタスであることを真に認識した瞬間から、あなたとあなたのまわりの世界は変わり始めます。   (『聖書に隠された成功法則』松島修著より抜粋)

 

世の中の人たちは、理想像があって、そこに到達できるように努力して、到達できない自分に嘆きながら生きています。しかしクリスチャンは、すでに神が与えてくださった最高の自分からスタートするのです。では何もする必要がないのでしょうか? いいえ、神から与えられている最高の自分を神の目的の為に生きる使命をまっとうするのです。

心のオアシス 2011年11月13日

アメリカにこんな子供向けの本があります。

一人の女の子がいました。ある日、両親はその子を、金色のアーチのある神殿に連れて行きました。その神殿では、ハンバーガーにおもちゃがついた「ハッピーミール」というセット商品が売られています。神殿の人たちは、「さぁ、皆さん、これを買って食べる人は、誰でも幸せになれるよ」と呼びかけながら売っています。それを聞いた女の子は自分もそれが欲しいと言いました。両親は答えました。「ダメ。こんなものに騙されちゃ」彼女が欲しかったのは、おまけの付いているチーズバーガーではなく「幸せ」だったのです。そこで言いました。「お父さん、私はこのハッピーミールが欲しいの。これを買ってくれたら、一生、何もおねだりしないわ。これがあれば、わたしは一生、満足していられると思うの。だから買って。お願い」そこまで言うのなら、とお父さんはハッピーミールを買ってあげました。ところがなんと、そのハッピーミールは、彼女の願い通りのことを彼女にしてくれたのです。彼女は満ち足りた心を持つ明るい女性に成長しました。彼女の人生は必ずしも幸せとは言えませんでした。結婚した夫は、3人の小さい子供を置いて蒸発し、彼女にはお金もありませんでした。子供たちもまともには育ちませんでした。彼らは、学校は途中でやめ、彼女にさんざん苦労をかけ、最後には彼女を置いて家を出て行ってしまったのです。年老いてからの生活は、ささやかな年金暮らしの日々でした。それでも彼女は、不平も言わず、平和に暮らしていました。自分は本当に幸せ者だと思いました。それからも、彼女はいつまでも幸せに暮らしましたとさ・・・というお話です。

現実の世の中にも、ハッピーミールのようなものがあって、それさえ手に入れたら自分は幸せになれると思う時があります。でも実際にはそんなうまい話はどこにもないのです。「人生は10%があなたの体験で、90%はあなたがその体験にどう反応するかによって成り立っている」と言われます。あなたの心の姿勢が人生を明るくも暗くもするのです。これも神さまの恵みです。主にあって強くあれ!

心のオアシス 2011年11月6日

エレノア・ルーズベルトは、アメリカ史上最も尊敬される女性として選ばれた人物です。フランクリン・ルーズベルト大統領のファーストレディーでもありました。彼女の言った有名な言葉があります。「あなたの同意なしでは、誰もあなたに苦しみを抱かせることはできません。」

この言葉を裏返して解釈すると、意味がわかります。「今あなたが苦しい理由は、あなた自身が苦しみに同意しているからです。」生きていて、苦難がないわけではありません。一つの問題が解決すると、また他の問題が降りかかるのが、私たちの人生です。しかし、それでもエレノア・ルーズベルトは大胆に言います。今、あなたが苦しいのは、外の状況のためではなく、あなた自身がその状況にあって苦痛と感じることを選び、それに屈服したからです。

私たちに降りかかる問題がどのようなものであっても、その問題に対して挫折したり絶望したり、また新しい対策を見出したり、希望を見たりするのは、その状況に接する私たち自身が何を選ぶかということによって決まってくるということなのです。 

ジェレミー・テイラーの祈りです。

富んでいても、貧しくても、主を忘れることがありませんように。希望や恐れ、喜びや苦しみ、事故や心の痛みも、私が果たすべき義務を避けさせたり、妨げたり、御心から離れさせることがありませんように。

ああ、御霊を私の内に永遠にとどまらせ、私のたましいを正しく、あわれみ深く、正直で敬虔にし、きよい御心のために堂々とし、ひたむきにし、悪には屈することがないようにしてください。へりくだり、従順となり、平和のために働き、敬虔に仕えさせてください。ほかの人々の長所をうらやまず、軽蔑されるような行いをしませんように。もしも、そのようなあやまちを犯したら、柔和と愛をもって耐え忍ぶことができるように私を諭してください。

 

願わくは、私たちの選択が神さまの前に正しいものでありますように。

心のオアシス 2011年10月30日

アメリカのジョークです。

ミネソタ州に住んでいる夫婦は、二人とも仕事に追われて、なかなか同じ日に休みを取ることができないでいました。そして何とかお互いの都合をつけて、20年前の新婚旅行で行ったハワイに行こうということになりました。しかし、二人とも多忙で、一緒に行って一緒に帰るというスケジュールをどうしても組むことができず、一日早くご主人だけがハワイに飛んで、次の日に奥さんが出発するということになりました。 

そしてご主人が無事にハワイの宿泊先のホテルに到着して、チェックインを済ませて部屋に入るとパソコンが置いてありました。ご主人はそのパソコンを使って奥さんにメールを書いて送りました。ところがアドレスを間違えてしまい他人に送られてしまいました。しかしそのミスには気づいていませんでした。

かたやニューヨークのある場所で、心臓発作で突然亡くなったご主人の葬儀が数日前に営まれました。奥さんは悲しみのあまり何もすることができずにいましたが、お悔やみのメールもたくさん届いていることを懸念してメールチェックをしました。ところが何とあるメールを開いて読んでいた時に驚いて失神して倒れてしまいました。助けに行った息子が開かれていたメールの画面を見るとこのような内容でした。

宛先:最愛の妻へ

タイトル:私は到着しました。

内容:愛する妻へ。あなたは私からのメールに驚いていることでしょう。実はここは家族の元へメールを送ることが許されているのです。私はたった今到着してチェックインしたところです。明日、あなたが来るための準備は整えておきました。あなたに会えることを楽しみにしています。

追伸:ここはとても熱いですよ。覚悟していてください。

 

神さまの私たちに対するタイミングは絶妙です。助けは必ず来ます!

心のオアシス 2011年10月23日

死海は、水が入ってくるだけで、他所に水が流れ出ることのない湖として有名です。流れてきた水は、そのまま湖で潤っているのでしょうか? 実はそこにある水は、蒸発してなくなってしまうのです。死海から毎日約700万トンの水が蒸発すると言われています。そのため、死海の水の約27%が塩分なのです。この様子は、獲得するだけの生き方を描いています。握りしめて離そうとしない生き方は、それを失います。もし、受けたら他所へ流すことをすれば、死の海と呼ばれなくてもよかったでしょう。リュ・ホジュン師は「人間の罪に苦悩する神」という書物の中でこう書いています。「私たちは、自分の満足のために生きようとする誘惑によく遭います。自分だけに焦点を合わせて生きようとする誘惑です。自分のすべての力を自己の拡張と実現のためだけに使おうとする誘惑です。富や力、栄誉を貯蓄しようとする誘惑です。このような誘惑に陥っているならば、すでに死に至る道に入り込んでいるのです。イエスは『いのちを救おうと思う者はそれを失う』(マルコ8章35節)と言われました。ただ一つの道があります。自分のいのちを差し出し、親切と義と公儀を施す道です。」

私が出会った人の中には、今は問題なく平安で幸せだから、神などいらない・・・という人たちがいます。今が幸せなら、親は必要ないなんていう人はいるでしょうか? 平安だから親とは関係を持ちたくないなんていう人がいますか? もしそのような人がいるとするならば、親不孝者だと思います。神を必要とするのは、自分が困ったときだけという生き方は、まさに死海状態です。神さまが与えてくださった人生を受けとめ感謝して、それを流していく人生こそ、本当の潤いです。この世で平和で幸せなら、それに越したことはないですが、永遠の世界の問題において解決していなければ、何の得にもなりません。

一時的な安心や楽しみを求めているなら、世の中が与えるでしょう。しかし、永遠の生命を与えることができるのは、神さまのみです。これはイエス・キリストを信じることを通して与えられる恵みです。

心のオアシス 2011年10月16日

マザーテレサの「自己からの解放の祈り」をご紹介します。

主よ、私は信じきっていました。私の心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて、本音に気付かされました。私が愛していたのは他人ではなく 他人の中に自分を愛していた事実に。主よ、私が自分自身から解放されますように。
 主よ、私は思い込んでいました。私は与えるべきことは何でも与えていたと。でも、胸に手を当ててみて真実がわかったのです。私の方こそ与えられていたのだと。主よ、私が自分自身から解放されますように。
 主よ、私は信じきっていました。自分が貧しい者であることを。でも、胸に手を当ててみて、本音に気づかされました。実は思い上がりとねたみとの心に、私が膨れあがっていたことを。主よ、私が自分自身から解放されますように。
 主よ、お願いいたします。私の中で天の国とこの世の国々とがまぜこぜになってしまうとき、あなたの中にのみ、真の幸福と力添えとを見いだしますように。

 人生を平安に生きることのできる秘訣は、「神実現」に生きることです。多くの人たちは「自己実現」を願うゆえに満足できないばかりか、思い通りにいかない現実にストレスでつぶされてしまっています。自己実現を求める人は、不平と不安でいっぱいです。なぜなら、自分自身の責任は自分にあるからです。でも、神実現に生きる人は平安です。なぜなら、神が責任を取ってくださるという安心があるからです。神に委ねている人は、物事がどちらに転んでも、文句を言わないで現実を受けとめることができるばかりではなく、喜ぶこともできるのです。それは「神は、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益としてくださる」(ローマ書8章28節)ことを信じているからです。
あなたの人生は誰が責任をもっていてくださいますか?  

心のオアシス 2011年10月9日

世の中は、やっていることが得か損か、益か不利益かを考えながら動いています。個人もそうでしょう。そして無駄をはぶこうと努力するわけですが、どうも空回りしているような気がします。例えば選択肢の中にA案とB案があってA案を選んだとします。それで失敗したら、「無駄なことをして・・・」と人から裁かれ、自分も「遠回りしてしまった・・・」と自分自身を責めるわけです。いつもどちらを選ぶかの賭けのような人生を歩んでいます。もし、どちらを選んだとしても、後悔しない生き方ができれば、どれほど素晴らしいことかと思います。
世界のベストセラーである聖書には、「主にあっては無駄にならない」(Ⅰコリント15章58節)と書かれています。自分の為に生きているなら、この地上での責任は全て自分にあります。しかし神の為に生きる人生ならば、神さまが保証してくださるというのです。他の聖書箇所には、「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」(伝道の書11章1節) 神さまのために生きる人は、たとえそれがこの世では無駄と思えるようなことでさえ益にしてくださるというのです。この世界は、体験してみないとなかなか理解できないことだと思います。しかし、私も含め多くのクリスチャンがこれを経験しています。この世では報われていないような人生であっても、主にあっては万事が益になっていることを天国で知ることになるでしょう。天国においては、たくさんの驚きがあるでしょう。驚くばかりの恵みと愛のゆえに、ただただ圧倒されて、感謝、感激しかない世界であります。この地上でのすべてのカラクリを理解することができるのも天国だと信じています。
この世は「死」を基準に生きています。医学が一番わかりやすいでしょうけれども、政治・経済・社会など、どの分野においても究極的には「死」に対する恐れから成り立っています。そして「死」で全てのものが終わってしまうのです。しかし聖書は死んでも生きる「永遠の命」を基準にしています。だからこそ、私たちの労苦が無駄になることはないと言い切ることができるのです。希望は失望に終わることはありません。

心のオアシス 2011年10月2日

人生には「上り坂」もあれば、「下り坂」もあります。そしてもう一つあるとすれば、「まさか」という「さか」です。防災対策には「備えあれば憂いなし」ということわざがありますが、私たちの心にも備えが必要なのではないでしょうか? 私の心の防災対策は、神の言葉を握るということです。「牧師らしい答えですね・・・」と言われるかもしれませんが、これが本当によく効くのです。今までに様々な状況を通ってきましたが、人の励ましや、プラス思考、休養すること以上に、心に平安を与え力になるのです。牧師の私が言うのも変ですが、本当に不思議です。

いくつかの例をご紹介しますと・・・押しても引いてもどうすることもできない四面楚歌のような状況の中で、板ばさみになった時に私を助けた聖書の言葉は、恐怖のあまり叫び声をあげる弟子たちに対してイエス・キリストが「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」(マタイ14章27節)この言葉を通して、今の状況も神がなされていることなら乗り越えることができるという人知ではとうてい計り知ることのできない平安が与えられました。また、「彼らのすべての悩みのとき、主も悩まれて、そのみ前の使をもって彼らを救い、その愛とあわれみとによって彼らをあがない、いにしえの日、つねに彼らをもたげ、彼らを携えられた。」(イザヤ書63章9節)これもとても励まされる言葉です。思い通りいかないときには、このような言葉があります。「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19章21節)勇気与えられる言葉は、「彼らはあなたと戦うが、あなたに勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」(エレミヤ書1章19節)「あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」(マタイ10章30~31節)

世の中は流動的です。助けになると思っていても、流れてしまいます。洪水の中で助かる方法は、動かされることのない不動のものにしがみつくことです。どの時代にも堅く立っている神の言葉を握りましょう!

心のオアシス 2011年9月25日

あの映画にもなった大作「ベンハー」を書き上げたのはルーウォーレスという文学者でした。彼は無神論運動をしていた人物で、5年間もの月日をかけてキリスト教研究をし、「キリスト教撲滅論」を書こうとしていました。しかし、彼が研究を進めていくうちに心から離れないことが二つあったというのです。一つは、「どうして師であるイエス・キリストを残して逃げた軟弱な弟子たちが、ある時期を境にして強くなったのか?」もう一つは、イエス・キリストの十字架上の言葉でした。殴り、唾を吐きかけ、手足を釘で打ち抜き十字架につけたローマの兵卒や、悪口を言い死刑にまで追いやったユダヤ人に対して、のろいの言葉を投げかけてもおかしくはなかった状況の中で、「父よ、彼らを赦してください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」この告白がルーウォーレスの心に引っかかっていました。

そして彼が「キリスト教撲滅論」の第二章を書いていた時にペンを置いてこう祈りました。「我が主よ、救い主よ・・・」イエス・キリストを心にお迎えしたばかりではなく、彼がキリスト教を批判するための研究に費やした5年間の全てを注いで「ベンハー」の小説を書き上げました。自分の個人的体験を、その小説の主人公であるジュダ・ベンハーに託して世界に自分が救われた証しとして発表したのであります。

誰に何を言われたわけでもなく、自らが心入れ替えたのです。批判的だった人の心に神の愛が触れられて、その人の人生が変わるなんてことは考えられないことでしょう。でもそれが現実に起こるのです。この二千年の間に世界中の多くの人たちが救われ、人生における何故に解決が与えられ、癒され、心に平安が与えられてきました。

現代においても人々の心に変化があるということは、イエス・キリストは確かに今も生きて働いているということです。

「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」(ヨハネ7章37節)