礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2024年7月28日

 イスラエルの民は紀元前約500年頃、バビロン捕囚から解放され神殿再建をすることが彼らの願いであった。しかし敵の妨害によって長くそれが中断されていた。エルサレムに帰還した指導者を励まし神殿再建を進めさせた時の神の言葉が「権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」(ゼカリヤ書4:6)であった。“権勢”とは集団的な力で、“能力”とは個人的な力を表している。しかし神はそれらの力ではなく“神の霊”によって可能になることを教えられた。この言葉は14年前に開拓を始めた時に与えられたものであるが、それを握ることによって自分の能力や自分の手持ちを気にすることなく主の道具となりきることができた。当時から「会堂を建てましょう!」ではなく「神さまが必要なら直ぐにでも会堂を建ててくださるでしょう。今は借りた部屋で礼拝することを主が望んでおられますから、それに従いましょう」と話していた。そして12年目にして主は100名入る美しい会堂をお建てになった。
 9年間お借りした石切チャペルでの宣教では知恵は尽くし大人は少しずつ増えていったが小学生は全く集まらなかった。次世代がいなければ教会の将来は危ういと思い祈ると、主からの答えは「ベストを尽くし後は我に任せよ。我が霊において成す」であった。学生たちが主に立ち上がるようにお祈りしても、問題のある人や病気の人たちのためにお祈りしても返ってくる答えはいつも同じであった。主に任せそこに身を置くと不安や心配などがないわけではないが、良い意味で一喜一憂して感情に振り回されることが少なくなった。そして今、近所から子どもたちが集まり、大きな声で賛美し、主の十字架に感動するようになった。学生たちが賛美集会を企画し、また恵みの証をするようになった。これは私や他の教師たちのやり方によってではなく、私たちは以前と変わらずコンスタントにベストを尽くしてきただけである。私が分かることは「ただ神の霊によって教会が導かれている」ということである。
 私の元には毎日祈りのリクエストが入ってくる。人間的にお手上げのものばかりであるが主の霊によって何とかなると信じて祈っている。

心のオアシス 2024年7月21日

 先日、東大阪福音教会・石切チャペルの献堂式に出席させていただいた。元々建っていた建物をリフォームされたのだが、このチャペルは私たちの教会とは深い関わりがある。私が教会開拓をスタートして二年目からこの建物を9年間お借りさせていただいた。それまでは公民館や集会所を借りて礼拝を行なってきたが、使用できなくなる度にバージョンアップしていった。午後行なっていた礼拝は奈良市内にあるカトリック教会を借りて行なうようになり、午前の礼拝は石切チャペルを使用させていただけるようになり、それぞれ教会の会堂をお借りできるようになった。当初からお貸しくださった神父さんや牧師先生には頭が下がる思いである。しかし私は「追い出される度に私たちの教会はバージョンアップしてきたので、どうぞ早目に私たちを追い出してください。そうすれば次なる飛躍があることを確信していますので・・・」と牧師先生にお伝えしていた。しかし返された言葉は「いえいえ、関西カルバリーが入ってきてから何かよどんでいた雰囲気が変わり澄み切るようになりました。ずっといてください」だった。私はそのようなお言葉に対して「関西カルバリーを祝福する者は祝福されることを確信しています!」と返答していた。
 そして献堂式に参列しながら「この石切チャペルは、やはり祝福された」と思った。しかしこれは逆のことも言える。私たちが石切チャペルから出るときに、貸していただけた9年間があるからこそ花園チャペルの建築ができるようになったということへの感謝を表すために献金させていただいた。家賃も払っていたので必要はなかったのかもしれないが、役員さんたちと話し合い、これから土地を買うためにお金が必要な私たちにとってはかなり負担になるような大きな額の捧げものをさせていただいた。何が起こったか・・・その決断をして準備した日の夜に、ある方から連絡が入った。「献金をしたいので口座番号を教えてください」そして振り込まれた額は、何と私たちが捧げた10倍であった。神さまのくすしき御業に地にひれ伏すしかなかったのを覚えている。主の働きをする者を応援する時に与えられる祝福を強く感じた瞬間だった。

心のオアシス 2024年7月14日

 花園チャペルに通う小学生たちから驚きの発言が飛び出している。「今度の土曜日はユニバに行く止めて教会のキッズクラスに来るねん!」「今度の日曜日、〇〇へ行かなあかんねんけど、教会に来れないのが嫌やねん」「昨日の夜、教会行くのが楽しみ過ぎて寝れんかった」朝の登校時間帯の旗振りの時には「今日は教会開いてる? 学校終わったら行くで~」と声を掛けられる。それぞれ違う子どもたちからの声なのだが、何がそんなに楽しいのであろうか? 平日は私も執務があるので一緒に遊んであげられない。宿題をするためになら来ても良しとしているが、何のイベントもないのに15名近く集まることもある。会堂前には自転車置き場があるが、そこに友達の自転車を発見すると芋づる式に吸い寄せられて来るようだ。娘がいる時には解散時間のラスト10分だけ一緒にゲームをする。なかなか帰ろうとしない子どもたちに「早く帰りなさい」と追い立てる教会も珍しい。先週の午後礼拝には大人と同等の人数の子どもたちが座っていた。これらの現象を見て思うことは、これが本来“主の家”のあるべき姿だということである。
 ダビデは詩篇の中で何度も「私は永遠に主の家に住みたい!」と言った。敵が自分を襲いかかっている時にも、生活の真ん中で激しい戦いがある時にもしがみついてでも神の家に戻りたいという感情を表している。
 「神の家」とは何なのか? それは礼拝する場所のことを指している。彼はいつ何時にも神さまを礼拝することを求めた。“礼拝”の何がいいのか? なかなか理解できない人は多いと思うが、これが私たちの究極の姿なのである。詩篇やイザヤ書によると私たちは「神を賛美し礼拝するために造られた」とあるように、主を礼拝する時にこそ本当の満足が訪れるようにそのDNAに刻み込まれているのである。
 新約の時代に入り私たち自身が聖霊の住む神の宮であるというのであるが、物理的にそれを表しているのが“教会”である。今は子どもたちはただ「ここにいたい」と思っているだけかもしれないが、その魂が神を礼拝することを求めているからだということにいつか気付いて欲しい。

心のオアシス 2024年7月7日

 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道の書3:11)これは14年間の開拓伝道だけではなく、私の人生を振り返ってみて総括するとこの御言葉が当てはまる。人間的に見ると山あり谷ありだったのかもしれないが私の心はいつも平坦であった。なぜなら神がついている人生は必ず良い場所に着地するようになっているからである。これは神を信じる者の強みだと思う。
 今年の8月末で堺チャペルの礼拝を終了することとなった。その建物を無償提供してくださっていた店のオーナーの体力の限界などの理由でお店を9月末で閉じることになったからである。小さな会堂ではあったがいっぱいになることもあった。近辺で場所を探すことも考えたが花園チャペルのローンの返済もあるため断念した。そこで9月から堺チャペルのメンバーが花園チャペルに合流してくださることになった。いつも道が閉ざされる度に教会はバージョンアップしてきた歴史を振り返ると、7年間の堺での働きに終止符を打つことはとても残念なことではあるが、神さまの次なる計画が明らかにされることへの期待も大きくなった。
先週の役員会でその次なる神さまの計画が明らかにされた。まだ微調整が必要なので正式な発表は8月に入ってからにするが、一石三鳥ほどの内容で、あまりにもタイミングが良すぎて私も驚いている。
 東京都知事選挙のある無党派の立候補者が「選挙を楽しんでください。これはふざけようという意味はなく、逆に一生懸命にやってみましょうという意味です」と語っているのを聞いた。私は全世界の人たちに「人生を楽しんでください!それはベストを尽くして結果は神さまに任せるということ。そしたら毎日がワクワクしますよ」と訴えたい。山があっても谷があっても、私たちのベストは尽くし結果は神さまの願っておられることに委ねるのである。そうするならば、まるで平坦な道を歩んでいるかのような気持ちになれる。
 先日、会堂祈祷前に恵先生と会話をした「この美しい会堂どうやって建てたんだっけ?」「いつの間にか神さまが建てられたよね」

心のオアシス 2024年6月30日

 今礼拝では「幸せの秘訣シリーズ」でお話しさせていただいている。幸せな人生を送るためにパウロはコロサイ書3章の中で「上にあるものを求め、思いなさい」と勧めている。“上にあるもの”とは一体何であろうか? それはこの地上にあるものではなく天上にあるもの・・・つまり“キリスト”ということである。
 神はアブラハムに「あなたはわたしが示す土地へ行け。そこをあなたとあなたの子孫のため永久に所有として与える」と言われ、彼はすぐに出で立った。しかし約束の土地に入っても先住民がいるので絶えずいざこざがあり家を建て定住することはできなかった。そこでテント生活をしながらあちらこちら移動しながら、まさに旅人・寄留者のように生きていた。しかしアブラハムからは何の不平も出てこない。へブル書によると彼が求めていたものは、この地上のものではなく天上のものを求めていたからだと記されている。この地上の住み心地の良い場所を願っていたのであれば、いくらでも故郷に帰ることはできたが、彼が求めていたものは天の故郷だというのである。故に導かれた場所は期待外れのような土地であったが、彼は幸せだった。
 聖歌476番「やすけさは川のごとく」を作詞したホラティオ・G・スパフォード氏は1800年代に活躍した実業家であった。ある日彼の4人の娘たちが大西洋を船で横断している時、他の船と衝突し沈没して彼の娘たちを含む200名を超える人たちが亡くなるという大惨事が起こった。彼は奥様からの電報でそれを知り、悲しみに暮れながら船で帰途についたが、丁度事故現場を通過した時にスパフォードがジッと渦巻いている波を見つめている様子を船長が目撃していた。どん底に落とされた気分であろう彼はその夜に、200年間世界中で今も歌われ続けているこの讃美歌を作詞したのである。「安けさは川のごとく 心満たす時 悲しみは波のごとく わが胸満たす時 すべて安し み神共にませば」
 上を見上げてあらゆる困難を乗り越えることができたのは彼だけではない。どの時代も主を見上げる者は勝利してきたのである。

心のオアシス 2024年6月23日

 最近午前の礼拝の人数が多くなったような気がしていたが、先日教勢の推移を調べてみて、今年になってからコロナ前の最高値よりも人数が増えていることがわかった。礼拝後に玄関に立って帰る方々に挨拶をして祈って送り出してきたが、列が長くなってしまいなかなか外に抜けることができないという現象が起こるようになっていた。トイレのペーパータオルもゴミ入れがすぐに山盛りになっていた。そこで先週から挨拶のみということで方針転換した。ペーパータオルもゴルフボールの大きさに小さく丸めて欲しいと要請した。人数が増えることは大変嬉しいが様々なことに対処もしていかなければならない。嬉しい悲鳴である。
 現在KCFの礼拝ではパウロが福音を宣べ伝えたことによって逮捕され監禁状態の中で書いた“獄中書簡”から順番に学んでコロサイ書まできた。その前にはエペソ、ピリピ書からもお話ししたが、それぞれの教会は成長するに従って様々な問題が生じた。それに対処する方法をパウロは記しているのだが、彼の根底にあるメッセージは「神実現に生きるなら、すべてのことを喜び感謝することができる!」ということであった。
 もしこのまま神さまの願いがKCFに人を集められることであれば、すぐに駐車場の問題、奉仕者の必要性、キッズクラスや中高生クラスの在り方の変化も求められるであろう。午前中に二回の礼拝をする日も近いのかもしれない。私たちはベストを尽くしつつ神さまの願いに当てはまるよう変化に対応していかなければならない。
教勢の推移を調べる中でわかったことは、今まで一つの場所に腰を据えて2年目から人数的な変化が起こってきた。花園チャペルは2年目の年であるが、神さまがどのように動かされていくのか楽しみである。
 私たちの教会の目標は、注目を集めることでも人数を増やすことでも、大きな会堂を建てることでもない。それはただ一つ、“神実現のために存在する”ということである。その結果、受洗者が与えられたら感謝するし、問題が起こっても「それでも福音が宣べ伝えられているのだから感謝する」というパウロの姿勢を貫きたい。それが幸せの秘訣ある。

心のオアシス 2024年6月16日

 先週の日曜日に一人の青年と話しをする時間があった。彼は今から丁度14年前、開拓教会をスタートする働きを共にしてくれた同労者でもあり、KCFの第一号のメンバーでもある。花園チャペルの会堂の椅子に座って開拓当初を回想しながら今がどれだけ祝福されているかをお互い語り合った。楽器や奉仕者の数もそうであるが、木の立派な椅子が与えられていることに感動しておられた。集会室などを借りて礼拝していた時期は備え付けの折り畳み式のパイプ椅子で半分壊れかかっているものもあった。それを10脚ほど並べて集会をしていた時代が懐かしい。イス一脚に感謝できる感性は失ってはならないと思った。
 今与えられているものが当然のように考えていたら感謝は出てこないであろう。“当たり前”の中に生きていたら不平や不満しか出てこない。近所の小学生が日曜日に「教会で遊ばせてほしい」と入ってくる。礼拝の賛美と日曜学校に参加することを条件に許可しているが、“礼拝”なるものが何なのかわからない子どもたちは立ち上がって歩き回ったり友達とつつき合ってふざけている姿を見て正直腹が立つこともある。しかし勿論注意はするが最近はすぐに心は切り替えるように努めている。こう考えるのである。いくらチラシを配っても日曜学校に来なかった時代のことを思うと自ら教会の門を叩いて入ってきてくれる子どもたちに感謝しなければならない。そしてこの子どもたちが将来親になった時に自分の子に「あのチャペルは楽しいし聖書から人生の役に立つお話しをしてくれる場所。あそこは安心できるからあなたたちも行きなさい」と伝えていってくれるであろう。そしてその親自ら子どもと共に礼拝に来てくれる日を夢見ながら感謝するのである。
 想い出話をしていた同労者が会話の最後に「帰ってくる場所(教会)があることは幸せですよね」と言った。確かにそうである。世の中で汚れ疲れてそれを癒してくれる場所がなければ寂しいものである。私たちの心臓が止まったらそれで終わりではない。肉体は脱ぎ去るが私たちの本質である魂と霊が帰る場所がある。それが天国である人は幸いである。

心のオアシス 2024年6月9日

 先週の礼拝の特別賛美で歌われた“Blessings”という曲は、Laura Storyさんの作詞作曲である。最愛のご主人がガン宣告を受けてどん底に突き落とされた状況の中で書かれた詞には深い感動を覚える。その一部です。

  私たちが願い求める間、あなたはそれぞれの祈りに耳を傾けてくださいます。
  私たちが願う以上のものを与え、大きな愛を示してくださるのです。
  もし神さまの祝福が、雨粒を通して与えられるのだとしたら? 涙を通して、癒しがもたらされるのだとしたら? 
  幾千の眠れぬ夜が、神さまが共におられることをよく知るための夜だとしたら? 
  人生の苦難のなかに、神さまのあわれみが隠されているのだとしたら? 私たちは知恵を求めて祈り、あなたの声を聞きたいと願います。
  あなたを遠くに感じる時、私たちは怒り、泣き叫びます。私たちはあなたが良い方であることを疑い、あなたの愛を疑うことがあります。
  まるで聖書に記されているすべての約束だけでは足りないかのように。私たちが泣き叫ぶ時、あなたはその叫びを聴いてくださり、私たちが主を信頼する信仰を持つま    
  で待っておられます。
  友が私たちを裏切るとき、暗闇が勝ったように見えるとき、この世界は私たちの本当の故郷ではないことを、その痛みが心に思い出させるのです。最悪に思える失望の  
  数々が、ズキズキと痛む人生のうずきが、この世が満たすことのできない大きな渇き、天の故郷への憧れをもたらすものだとしたら? 
  人生の苦難、土砂降り、嵐、辛すぎる夜の中に、神さまのあわれみが隠されているのだとしたら?

ピリピ書の著者パウロも同じ悟りが与えられた。福音宣教のために逮捕され投獄され死刑なるかもしれない判決を待っている時にも、彼の心には主なる神さまに対する絶対的信仰による“平安”がいつもあった。

心のオアシス 2024年6月2日

 昨年末、天に召された私たちの教会の長老さまの奥様と堺チャペルの礼拝後にお話をする機会があった。「一人での生活は寂しくないですか?」の問いに「それが~入代立ち代わり近所に住む息子たちやお嫁さんたち、孫が来るんよ~ 姪っ子なんて毎日のように様子観にくるんよ~ みんな来たら一時間はまったりしてるから、ほんま面倒やわ~」と嬉しそうに答えておられた。愛されキャラではあるが姪御さんまで毎日訪問されるのにはよほどの理由があるのであろう。みんなが集まってくる秘訣をお聞きすると、「ゴチャゴチャ言わない、小言を言わないようにしてるから居心地がえぇんちゃうかなぁ? 家に来てみんな好きなことして帰っていってる~」との返答があった。なるほどと思わされた。歳をとると自己主張が強くなり小言や愚痴が多くなるが、そんなことを聞かされるために若者は近づきたくない。みなそうなって行くのだから仕方ないという考えであれば、寂しい終わりを迎えることになるであろう。でも年を重ねれば重ねるほど麗しくなる人たちもいる。
 今礼拝で学んでいるピリピ書の中で、著者のパウロは「喜びなさい! 繰り返し言うが喜びなさい!」と何度もお勧めしている。彼は若い時は批判的な人で、熱心ゆえに人を切り捨てる人であった。宣教旅行に同行した若いマルコが途中で離脱してしまったことに腹を立て、二回目の宣教旅行には同行させなかった。そのことでマルコの従兄弟のバルナバと大激論の末、別々に行動するようになったことが使徒行伝に記されている。しかしそのパウロは晩年にマルコを“役に立つ存在”と評価し行動を共にするようになった。また彼は福音を伝えたことによって捕らえられ監禁状態になっても、敵対する存在がいても、ローマ皇帝に裁かれ死ぬことになったとしてもそれを“主にある喜び”として受け止めるようになったのである。彼の監禁場所には一日中人が集まるようになった。
 教会も秩序は必要だが居心地の良い場所を提供していかなければならない。日曜の朝から夕方まで教会に入り浸る小学生曰く「教会の人は優しい」。私も還暦を前にして、人が寄り付きやすい存在になろうと思った。

心のオアシス 2024年5月26日

 花園チャペルでは様々なドラマが繰り広げられる。二週連続で受洗を希望される方々が声をかけてくれたり、新来会者や訪問者が毎週いることも喜びである。先日は緊張が走る出来事があった。午前と午後の礼拝の間の時間帯に私が会堂で立ち話をしていると、一人の人が血相を変えて「小学生の母親がきて、何か怒ってるから早く行って対処したほうがいいですよ」と言ってこられた。私と恵先生が急いで階段を上がると自分の子どもを厳しくりつけている母親の姿があった。私を見てその母親は何があったかを説明してくれた。その内容は、夜勤明けの朝5時に帰ってくると、娘は頼んでいることをやっていない。いつまでもスマホをしている。門限に帰ってこない等、それらのことが積もりに積もって爆発してしまい、娘を叩き起こして、「言われたことがやれないなら出て行け!」とパジャマのまま追い出したというのだ。そして昼に娘の自転車が教会にあるのを発見し家に帰って反省もしないで外で楽しく遊んでいる姿にまた腹が立って怒っているということだった。これだけの情報だと“虐待”だと思われるが、それぞれの母親のアクションには感情的な部分もあるが、冷静に娘のことを考えている部分もあることがわかった。パジャマのまま外に出したようではあるが、追い出す際にリュックの中に着替えの服を入れ、朝食用にピザを渡し、非常用にお金も400円持たせているのである。そして家の前にある公園に行くことを想定していて、案の定、公園のトイレで服を着替え一人で遊んでいる様子を住まいから観察していたようであるが。目を離した隙に朝8時頃姿が見えなくなり、心配して探し回り教会にたどり着いたということだった。
 誘拐などの可能性もあるので容認できる躾の方法ではないが、感情任せに突き放したようで娘が困らないように必要なものは準備しておられたことに親の愛は感じた。イスラエルの民も神さまを何度も裏切りお叱りを受け突き放されたが、その背後で路頭に迷わないよう神さまの愛のご配慮があったことを思い起こさせられた。その子を一旦家に帰し母親に謝り許してもらい午後、笑顔で教会に戻ってきた。神は愛なり。