礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2020年12月29日

 今日からアドベント(待降節)。それはイエス・キリストのご降誕を待つ期間であることを示しています。今回から3回に渡って、実話・クリスマスに起きた奇跡~20ドルから始まった物語~をお届けします。
 1971年のクリスマス。アメリカに住むある青年がレストランで無銭飲食をしたことから物語は始まります。青年の名前はラリー・スチュワート(23歳)。彼は若くして化粧品会社を起業したが、すぐに倒産し、路頭に迷うはめになります。8日間も食事をしていなかった彼は空腹になり、目に入ってきたレストランで食事をします。しかしホームレスだった彼に所持金はなく、19ドル(約2000円)ちょっとの飲食代でしたが支払うことはできず、警察に突き出されることを覚悟しました。その時「20ドル札、落としましたよ」と、ラリーに声をかけてきた男性がいました。それはお店の店員さんでした。ラリーは自分のお金ではないことは分かっていましたが、その20ドルを受け取り、無事に支払いを済ませて、その場のピンチを乗り切ることができました。
 その後、ラリーは再び奮起し、警備会社を立ち上げて懸命に働きます。結婚をして子供もでき、平穏な日々を送っていましたが、起業から5年後の1977年の年末に倒産し、莫大な借金をかかえました。追い詰められたラリーは銀行強盗をしようと、ピストルを懐へ隠し持ち銀行に入った瞬間、窓口にあった20ドル札が目に飛び込んできました。その時、彼は6年前のクリスマス、幸運にも20ドルを手に入れ、難を逃れたあのレストランでの出来事を思い出します。その時、「あれは本当に店員さんの勘違いだったのだろうか?」と疑問が生まれ、それを確かめるために彼はあのレストランへ行きます。そして、20ドル札を渡してくれた店員さんを見つけ尋ねると、店員さんは『クリスマスはみんなが幸せになれる日なんですよ』と笑顔で答えます。ラリーはこの時初めて、自分が店員さんから20ドルを恵んでもらっていたことを知ります。あの20ドル札は店員さんのポケットマネーでした。ラリーは店員さんに感謝を告げると、改心をして再び一生懸命に働きはじめました。(次週へ続く)

心のオアシス 2020年11月22日

 人の生き死には、誰にもわからない。いつ生まれ、いつ死んでいくのか、どの時代に、どの親の元で、どの国のどの人種として生きるのか、そしてどのように死んでいくのか。それは神のみぞ知る世界です。創造主なる神さまは、絶妙なタイミングで、その時代その時代に必要な存在に命を与えられています。そう考える時に、長い歴史の中で、今この地上で出会っている人たちは、たまたま生きている期間が重なっているだけではなく、緻密な神の計画による出会いであると考えることができる。
 私の人生も振り返ってみると、確かに折りにある助けがいつもあった。「この人と出会っていなかったら、今頃どうなっていたのだろうか?」と思わされるようなこともある。本人は、気付いていないとは思いますが、どのような人も、年齢や性別に関係なく何らかの影響を与えながら生きていることは確かなことです。
 先日、中原秀子さんが94歳で天に召されていった。他教会のメンバーではありましたが、不思議な出会いがあり、私たちの教会の開拓初期を支えてくださったお方です。許可を得て、当時84歳であったにも関わらず、KCFの午後の礼拝に出席され、平日には聖書セミナーをこの方の希望でスタートした。当時奈良市内で礼拝をしていた時、夏場の暑い時期であったにも関わらず、自ら希望して教会のチラシを住宅街へ一緒に配ってくださった。それらのことを走馬灯のように思い起こしながら、開拓初期に、秀子さんによってどれほど励まされたか分からない。
 かつてマザー・テレサに、「あなたのしていることは水の一滴のようなことだ。どうしてもっと力のある社会に働きかけて、インドという国を良くしないのですか?」と尋ねる人がいました。その人に対してマザーはこう答えました。「海の水も一滴の水から成り立っているのですよ。」
 私たちの働きや存在は、どんなに小さくとも、その一滴が寄り集まらなければ、神さまの歴史は完成しないのです。「わたしたちをほかにしては彼ら(信仰の偉人たち)が全うされることはない。」(へブル11:40)
あなたも神の大切な計画の一人です。上を見上げて歩みましょう!

心のオアシス 2020年11月15日

 私が小学校低学年だった時に、担任の先生がこんな話をされたのを覚えている。「水の中でおぼれている人を助ける時は、しばらくそのままにしておいて、力尽きた時に手を出しなさい。もし、溺れている人が自分の力でなんとか助かろうとバタバタやっている時に他の人が手を出すと、しがみついてきて助けようとした人までも水に引きずり込まれて溺れてしまうから危険です。」共に溺れないようにとの小学生に対してのアドバイスだったのだと思います。
 溺れている人が自分は駄目だと思いもがく力も失ったときに、はじめて救いの手を差し伸べることができるというのは、神と人との関係の中にも似たようなことが言えます。私たちが「自分の力で何とかやっていける」「誰の助けも必要ない」「自分はそんなに悪い人間ではない」と考えながら生きている間は、神さまも助けることができないということです。肩ひじ張って生きていくよりも、神さまの前に敗北宣言をした方が断然楽になれます。イスラエルの王となったダビデも、律法に生きていたパウロも、感情の赴くままに生きていたペテロも、「わたしは罪人です。助けてください!」と告白し、神さまの助けをいただいた人たちです。
 あるクリスチャンの方が、立ち食い蕎麦屋さんで、蕎麦を食べようとした時に、路上で生活していて頭も服もドロドロで悪臭を放っている人がお店に入ってきた時、すぐその場から離れようとした瞬間に、「あなたの心の方が臭いではないか」という声を聞き、自分の心を探ってみると、人を批判する心、許せない心、嫉妬、妬み、そしり、不平不満など、誰も近づかないドロドロしたもので満たされている自分を見た時、その場から去る気持ちが失せ、このような醜い心の中に入ってきて触れてくださったイエスさまの愛と恵みに感謝し涙が溢れてきたというのです。 
 神さまの前には「自分はあの人よりマシだ」という言葉は通用しません。みんな同じ罪人です。そして裁かれなければならない存在なのです。パウロのように「わたしは、なんというみじめな人間なのだろうか。神以外に救いない!」と認め告白するとき、すぐに助けがきます。

心のオアシス 2020年11月8日

 先日、関東に住むある方から相談のお電話をいただいた。内容は、どうしても義父義母を許すことができなくて、夫や子どもに愚痴ってしまい、何とか心を平静にしようと努力はしているのですが、自分に謝ってくれないご両親をどうしても許すことができなくて苦しいというのです。
この手の相談は、一筋縄ではいきません。なぜなら、苦しめる相手がいて、本人の複雑な感情があるからです。どんなに聖書のみ言葉から、説得しても、また心理学的アプローチをしても、そう簡単に納得できるものではないのです。しかし牧師には奥の手があります。それは聖霊さまに委ねることです。電話の後、その方からメールがきました。「小崎先生、昨日はストンと胸に落ちるお言葉をいっぱいありがとうございました! それまで悶々としていた自分ですが、先生とのお話しの後には怒りがスーッと消えて、2時間も昼寝が出来ました! 本当にありがとうございました。」今まで怒りをずっとため込んでおられ、私にも何度か電話をしてこられていたのですが、まだ怒りは収まらなかったようです。しかし、私が「この方に聖霊さまが直接届いてください」と祈り心をもってお話しをすると、同じような言葉であったにも関わらず、本人に不思議な変化が与えられたのです。
 30年も牧師をしていると、様々な相談を受けます。そして牧師に相談してくる内容のほとんどは、自分では解決できないから持ってくるのです。そのような問題を、同じ人間である牧師が解決することは不可能なことですが、世のカウンセリングよりも圧倒的な強みは“聖霊さま”の働きに委ねることができることです。不思議なようにしてその心に働いてくださるということです。是非とも祈ってみてください。路頭に迷った時、許せない人がいる時、問題がある時にこそ、「聖霊さま、私を助けてください」と叫んでみてください。その祈りに答えられていることを必ず後の日に気づくでしょう。そして「神の手の中にあって、万事は最善に導かれている」という信仰を働かせながら歩むならば、人生どんなことが起こっても、人知では計り知れない平安が与えられるでしょう。

心のオアシス 2020年11月1日

 第二次世界大戦中にナチスに捕らえられて収容所に送られ、ガス部屋で殺される恐怖を絶えず味わいながら、九死に一生を得て終戦を迎えた人物の中に、ヴィクター・フランクルというオーストリアの精神科医がいます。彼が書いた「世の霧」「死の愛」という本の中には、この収容所体験をもとに、極限状態に置かれた人間が、いかにして生き続けることができたかについて書かれています。同じ過酷な状況のもとにありながら、最後まで生き延びた囚人もいれば、力尽きて死んでいった人々もいましたが、その両者を分けたのは、決して体の頑強さではなく、「希望」や「夢」の有る無しでした。収容所の中にいて、夢を持つなど、実現不可能と思えるものでしたが、その希望を持ち続けた人々のみが、生きて終戦を迎えることができたというのです。この事実から、人間を生かすものは「意味」であるという結論に達したとのことでした。つまり、自分が生きていることに意味を見出せている間、人は生きてゆく強さを持つけれども、その意味を喪失した時、人は生きる希望と勇気を失うというのです。仕事一筋だった人が定年退職して、何もしなくなった時から、急に老いたり、病気になったりするケースが多いのは、まさにそれであろう。「退職したら、趣味をしよう」「体力づくりをしよう」「聖書の勉強をしよう」「教会に行こう」などの小さくても目標があければ良いということでしょう。
 世の中的には、目標や夢があれば、それが一時的には生きる活力になるでしょう。しかし、“永遠における人生の意味”があれば鬼に金棒です。それは永続的な力になります。私たちは神の計画が進められるため神に造られ存在しています。それが私たちの生かされている意味なのです。やがていつかは“永遠のいのち”なる天に迎えられます。Ⅱコリント4章には「軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させる」とある。天国は、想像絶する圧倒される場所であり、そこは、この地上で受けた傷や悩みや問題が、いかに小さなことだったかを悟ることができる場所です。今から天国が楽しみです!

心のオアシス 2020年10月25日

 日本にもドッキリやモニタリングと称した番組はあるが、海外にもある。先日YouTubeで、涙腺崩壊する海外ドッキリを観た。それは、「もしも赤ちゃんがいる母親がお金をレジから盗んでいたら??」ということで、それを目撃した人がどのような反応をするかということをモニタリングするというもの。内容は、スーパーのレジで赤ちゃんを連れた若い母親が会計をしているシーンから始まる。お金を支払おうとしたところ、店員さんが「レジ袋がなくなったので、取ってくるので少々お待ちください」と言って、レジを閉めず半空き状態でその場を離れる。そこでこの仕掛け人の母親は、そっと手を伸ばしてレジからお金を盗んだ。しかしその様子をターゲットである後ろの女性が目撃していました。そこでこのようなやり取りがなされるのです。女性「あなた一体何をしているの?」母親「お会計が20ドルだったのよ」女性「知ってるわ。あなた今レジからお金を取ったでしょ?」母親「わかっています。でもお金が足りないんです」女性「そんなことはどうでもいいわ。お金を元に戻しなさい」母親「すいません。でもこれは・・・」女性「ダメよ!」それからのこの女性の行動は驚くべきものでした。女性「私があなたにお金をあげるから、今すぐお金を戻してちょうだい。それらを買わなきゃいけないのなら、わたしがお金を払うから」この女性は、この母親を助けるために、自分の財布を取り出しお金を渡しながらこう言います。「あなたお金が必要なの?」母親「本当にありがとうございます・・・」女性「心配しなくて大丈夫よ。みんなが通る道よ」そしてレジの店員が戻ってきても密告せず、「もしレジを離れるときはレジを閉めておくべきよ」と諭すだけでした。ここでレポーターが登場し、ネタばらしがされて、この女性に聞きました。「レジの店員が戻ってきたとき、あなたは何も言いませんでしたね?」女性「彼女に捕まって欲しくなかったからよ。人生とは、ときどき大変なものよ」
 盗みをしたら罰せられて当然です。しかし、この女性の言動を通して、父なる神さまが私たちにしてくださったことがダブって見えて感謝せずにはおれません。私たちは創造主のことを忘れ、自分中心に生きています。地獄行が決定しているようなものです。でも、その罪に対する支払いをイエスさまが身代わりとなって十字架で支払ってくださったのです。

心のオアシス 2020年10月18日

 明日はどんな日か 私は知らない 晴れか嵐か 曇りになるか
 私は明日を 心配しない イエスが私を守られるから

 明日はどんな日か 私は知らない どんな道筋が 先にあるかも
 だけど私は 心配しない イエスがおられる 私のそばに

 明日は私にはわからないけど 明日を守られるイエスがおられる

これは世界中で歌われている賛美の一つです。留学時代に同じアパートに住んでいたアメリカ人の友人が、何か辛いことや行き詰ることがあると歌っていました。彼は真面目で繊細な心の持ち主でしたから、心配事が沢山あったようです。でも、いつもこの歌の歌詞が自分の原点になって励まされていたようです。気休めのように思えますが、もし、「私の将来どうなるのかは分からないけど、イエスさまが私のそばにおられて、必ず守ってくださる!」と本気で信じることができる人は、本当に心配が心配でなくなってしまいます。私もまだ完全ではありませんが、様々な所を通ってくると、「神さまは何とかしてくださる!」という信仰に立てるようになって、問題が起こっても不安感が無くなりました。プライドや自尊心の強すぎる人は、嫉妬や妬みが強くなったり、自分の失敗を受け入れることができないことによって、自分自身を逆に苦しめる結果になりかねない。自分がいつもNo.1になっていないと気が済まない人は、早く気づかねばならないと思うが、そんなものは恐らくあなたの葬儀で「この人は素晴らしい人でした」と言われるだけで、永遠の世界においては何も役に立たない。そんなものにしがみついているよりも、イエスさまにしがみついている方が、何千倍、何万倍も平安な人生が与えられる。世の称賛するほとんどを獲得したパウロは、イエスさまと出会ってから、「それらはふん土のようなものだった」と言い切っている。
“No.1”ではなく、“Only1”が、私たちが求めるべきものであろう。神さまはあなたをあなたとして創造し、あなたしか成しえない神さまの計画のためにこの地上に生をお与えになったのですから。
 「恐れるな、あなたには、神さまがついている!」

心のオアシス 2020年10月11日

 ある女の子が、母親がローストビーフを作るのを見ていました。オーブンに入れる前に、必ず両端を切ってからオーブンに入れていることを、不思議に思い、母親に質問しました。「どうして、お母さんはローストビーフをオーブンに入れる前に両端を切るの?」お母さんは言いました「おばあちゃんが、いつもそうしてたからよ。おばあちゃんに聞いてみたら?」そこで、その娘は、おばあちゃんの所へ行って聞きました。「ねぇ、おばあちゃん? どうしておばあちゃんは、ローストビーフを焼くとき、いつも両端を切ってからオーブンに入れるの?」おばあちゃんは言いました「それはね、ひいばぁちゃんが、そうしてたからよ。理由を知りたかったら、ひいばぁちゃんに聞いてごらん」女の子は、ひいおばあちゃんの所へ行って聞きました。「あのぉ、おばぁちゃん? どうしてひいばぁちゃんは、ローストビーフを焼くときに、いつも両端を切ってからオーブンに入れるの? お母さんも、おばあちゃんも、ひぃおばぁちゃんが、そうしていたから同じことをやってるんだって言うのだけど・・・」そうすると、ひぃおばぁちゃんは言いました「え? まだ、そんなことをしているのかい? 私の時代はオーブンが小さくて、ローストビーフが入らなかったから、両端を切って入れたけど、今はオーブンも大きくなったので、そんなことする必要はないのに・・・もったない・・・」
 先日、猫背でそれに伴う肩甲骨のコリが激しく、整体治療院に行って体の歪みを矯正してもらった。しかし一回では治らないという。一度の矯正で、一時的には正しい位置に体が戻っても、日常生活の中で、長い期間を通して習慣化された間違った姿勢が、自分にとって一番楽な姿勢だと体のデータに記憶されているので、元へ戻っていってしまうのだそうだ。そのために、定期的に正しい位置に戻してやることによって、矯正された位置こそが、正しく楽な姿勢なのだと体に記憶の書き換えが行なわれていくのだそうだ。
 私たちは、この世の中にある自己実現という情報に洗脳されながら生きています。実はそれが問題を大きくしていっているのに、あたかもそれが正しいことであるかのように感じ、それを心と体が覚えて、楽だと思わせるのです。そしてそれが心を蝕んでいく原因になっているのです。毎日、み言葉によって心の矯正治療していくことこそが唯一の解決です。

心のオアシス 2020年10月4日

 現在礼拝でマルコによる福音書を順番に学んでいますが、自分の立場や願いを叶えてくれる王を待ち望むといった間違ったメシア観を持っている弟子たちや人々に対して、イエスさまは、「私たちの人生は自己実現のためではなく、神実現のためです」と絶えず軌道修正しておられる姿を見ます。マルコ福音書には、このメッセージが一貫しているので、私の毎週のお話しの切り口が同じように聞こえるかもしれない。しかし、私のライフメッセージの一つは、この「神実現の人生を求めよ」ということなのです。しかしながら、夢や希望を持つことや、「あのようになりたい」という欲を持つことを否定しているわけではない。人間は向上心が無くなったら、活力はなくなり、輝きが失われてしまいます。「あの人のようになりたい」「この学校、会社へ就職したい」「金持ちになりたい」「こんな勉強をしたい」「こんな家庭を作りたい」・・・などの動機が何なのかが問われるのです。これらがすべて自分のためだけであるならば、いつか必ず壁に突き当たるでしょう。一時的な満足を得ることができても、それは永続しません。
 私たちは絶えず、この“神実現”と“自己実現”の狭間での戦いがあります。私は、悩みや心配ごとが起こったときが“自己実現”を求めている危険信号だと考えて、すぐに“神実現”へと心をリセットするようにしています。そうすると不思議とストレスが消えていくのです。
 この時に助けになる言葉は、マザーテレサ語録です。彼女は、自分が願っている方向へ物事が進んでいない時には、このように言いました。「神さまは急いでいらっしゃらないようですから・・・」経済的な問題と直面したときには、「お金なら大丈夫です。神のご意志なら集まります。集まらなかったら、主がお望みでなかったということです。」そしてこのようお話しされました。「誰もが天国に住みたいと思っています。しかし、今すぐにでも自分の心の中に天国をつくりだすこともできるのです。」
 これらの言葉の一つ一つを通して、神実現に生きるとは、どういうことなのかを、学ばせていただいています。神さまに全幅の信頼を持ってお従いすると、本当の本当にストレスフリーになります。是非ともこの世界を皆さまにも味わっていただきたいと願います。神に委ねるとは、「ベストを尽くして、結果は神さま(神実現)に任せる。」ことです。

心のオアシス 2020年9月27日

「それでも諦めなかった偉人たち」第二弾
 マイケル・ジョーダン(バスケットボール史上最高のプレイヤー)高校時代バスケットボールのチームから外された。
 ベーブ・ルース(メジャーリーグのプロ野球選手で、アメリカの国民的ヒーロー)子どもの頃は不良で両親もお手上げで、矯正学校に入れられた。本塁打記録を作るまでに三振記録を持ち、714本のホームランに対して1330回の三振をしている。
 ウォルト・ディズニー(アニメーション・漫画の巨匠)新聞社で編集長から「能無し」と解雇を告げられ、何度も破産。
 ハリソン・フォード(スターウォーズなどで人気俳優となる)高校の時に「最も成功しそうにない少年」というタイトルで選ばれ、いじめられっ子。初めての役柄はベルボーイ役で、当時の副社長に「君は才能がない」と言われた。
 チャーリー・チャップリン(「喜劇王」と異名を持つ俳優)父親はアル中で死去、母親は精神疾患で、孤児院を転々とする。ハリウッドは当初、彼のパントマイムはナンセンスだと酷評した。
 ザ・ビートルズ(イギリスのロックバンド)デッカ・レコードのオーディションで不合格。またコロンビア、パイ、HMVなど大手レコード会社にも契約を軒並み断られた。

 前にも書いたように、私は世的に称賛されるようになるとか、有名になり金持ちになることが「成功」だとは思っていませんが、ここに出てきた人々は大きな失敗や試練、拒絶を何度味わっても、それでも諦めなかった人たちの代表です。もし天地宇宙を造られた神を信じるなら、壁に直面しても、世の嵐に遭遇しても、諦めることはありません。なぜなら、私たちが乗り越えるのではなく、神が乗り越えさせてくださるからです。私たちが神さまに信頼することを諦めさえしなければいいのです。
 「あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。」(イザヤ43章2節)