礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2013年3月31日

今日はイースター。イースターとは「復活祭」とも呼ばれ、イエス・キリストが墓からよみがえられたことを記念する日です。
教会で、何年もの間、受け継がれてきた心暖まる実話があります。
あるアメリカの教会の日曜学校にスティーブンという8歳で肉体的も精神的にもかなりの弱さを持っている男の子がいました。イースターの前の日曜日に、その日曜学校の先生が自分のクラスの10人の生徒達に、空の卵の形をしたプラスティックの容器を渡しました。次の日曜日に、イースターの話に関連する物をその卵の中に入れてくるようにと課題を出したのです。次の日曜日に、生徒たちが持ってきたそれぞれの卵が開かれていきました。あるものには、命の性質を示す小さな花が入っていました。他のものには、墓からころがった墓石を意味する石が入っていました。他には色紙のチョウチョウが入っていました。それは私たちの中で起こるキリストによる生まれ変わりを表していました。そして先生はスティーブンの卵を開けました。それには何も入っていませんでした。他の9人の生徒はそれを見て笑いました。先生はスティーブンが宿題のことを理解することができないことを知っていましたので、何も言わず、すぐに次の卵を開けようとしました。するとスティーブンはそれに割り込むようにして言いました。「先生、ボクの卵を飛ばさないでください。」先生は答えました。「だけどあなたの卵は空っぽですよ。」その時スティーブンは自信をもって言いました。「その通りです。その卵はイエス様の墓のように空っぽなのです! これは全ての人のための新しい生命を意味しているんです!」その年の夏、スティーブンは体の状態が悪くなって召されていきました。葬儀には何百人という人たちがきましたが、棺に入れられた10個の空の卵の形をした小さな容器の意味を知っていたのは、9人の子供達と日曜学校の先生だったというお話。
イエスさまは今も生きておられます! ハッピー・イースター☆

心のオアシス 2013年3月24日

この度、韓国の旅をさせていただいてたくさんの収穫がありました。
その中でもビジョンを持って、神さまに信頼していくところに奇跡が起こるということを強く教えられました。
チョー・ヨンギ牧師は、80万人も集まる教会を建てあげました。何度行っても圧倒される礼拝堂には、どの集会にも所狭しと何万人もの人々が押し寄せてきます。日本の霞ヶ関に相当する場所(近くに国会議事堂があります)に、神さまを礼拝するために集まってくるのです。貧しいテントでの伝道をしていた当時のチョー先生には、想像もつかなかったでしょう。ハー・ヨンジュ牧師は、CGNTVの創立者でありますが、一つの教会が衛星を買い取って世界の人々に24時間無料で福音を伝える番組を放送するなんて無謀なことだと思います。人材は? 経費は? 様々な問題が山積みでした。夢を語ったときに教会のほとんどの人たちに反対されたそうです。ノアに神さまが、「箱舟を作りなさい!」と具体的なビジョンを見せられた時、回りの人々は笑いました。100歳近くになったアブラハムに「空の星を見なさい。数えることができるなら数えてみなさい。あなたの子孫はあのようになるであろう」と神さまからの声があったときに、アブラハム自身が笑いました。でも、どんなに大きな壁があっても、神さまが成されるならば、必ずそうなるのであります。
あなたに具体的な示しや夢がなかったとしても、神さまは明確に、「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである!」(エレミヤ29の11)という計画をあなたに与えておられます。このビジョンを握って人生を乗り越えていきたいですね!
関西カルバリーフェローシップにもやがては想像もしないような教会が建て上げられることを夢見つつ・・・ビジョンは大きい方が正解です!

心のオアシス 2013年3月17日

「普通」とは? 私たちそれぞれ個人が考える範疇における状態や言動や常識などが「普通」とされている傾向にあると思います。それ以外の人を「おかしな人」と呼び、それが出来事であるなら「奇跡」とか「災い」と呼びます。ある学者が書物の中で興味深い内容を以下に記します。

先日、次のような相談を受けました。二十歳の大学生の娘に、母親が「30~40万円の振り袖をつくってあげる」と言ったところ、「そんなお金があるのなら、私は振り袖はいらないから、アメリカに留学する費用として、それを現金でください」と言ったのだそうです。「親として、普通に、常識的に育ててきたつもりなのに、どうして、あんな変わった娘になってしまったのだろう」ということでした。その母親の友人で、同じようなことを言う女性がいました。その人の大学4年生の息子は、「卒業したら、就職はしないで、世界の国々を旅したい。半年くらい、一人旅をしたり、どこかに住み込んで働いてみたり、そういうことをやりたい」と言ったのだそうです。その母親は、「普通に就職して、普通に働いて、普通に暮らしてほしいのに、どうしてこんな子になってしまったのだろう、どうしたらこの子を直すことができるのだろうか」と悩んでいたのです。私は、この二人の母親に同じ答えをしました。「不肖の娘や息子どころか、大変素晴らしい教育をしたと思います。素晴らしいお子さんに育てられましたね」と。私は、教育の専門家ではありませんが、多分、教育の本質というのは、「みんなと同じことをする子供にすること」ではなく、「自分でものを考え、その結果、自分で自分の行動や生活、生き方を組み立てていけるようにすること」であると思います・・・

私もこれには同感です。人に迷惑をかけるような行為は見逃してはなりませんが、人それぞれに与えられている個性や持ち味は、神さまからの賜物です。神さまの目から見れば、みな「普通」なのでしょうね。上手くブレンドされて世の中はバランスがとられているのです。

心のオアシス 2013年3月10日

幸せというと、精神的なことよりも、実際にお金が入ってくるほうがうれしい、という人がほとんどかもしれませんので、無限にお金が入ってくる方法をお教えします。無限にお金が入ってくる方法は、3秒で言うことができます。それは、トイレ掃除をすること。トイレ掃除を続けていると、お金が無限に入ってきます。どんどん入ってくるのですが、この言葉をもう一度反芻してみてください。「無限にお金が入ってくる」とは言いましたが、「無限にお金が貯まる」とは言っていません・・・
実は、今、生きていて、生活しているというのは、無限にお金が入ってきているからです。世の中に、「私の人生はついていなかった。恵まれていなかった」と言う人がいますが、これまで生きてきたこと自体が、とても恵まれていたと思います・・・(中略) 
お金が入ってくるだけではなくて、心のメカニズムとして、非常に大きな幸せ感が得られるようです。ある年、1年間に12人のうつ病の患者が私の前に現われました。「うつ病を治したいですか」とたずねると、「治したい」と言う人が8人いました(残りの4人は「治りたくない」と言うので、「そのままでいてください」とお話ししました)。で、実は8人が8人とも全員、治ってしまいました。短い人は1週間、長い人でも3か月です。その方法というのは、トイレ掃除をすることでした。(小林正観著「そ・わ・か」の法則 より抜粋)

うつ病の人は、「私なんかこの世に生まれてこなければ良かった」などと、自分のことが嫌いになっている人が多いようです。しかし他人が嫌がるトイレ掃除を進んでやることで、他者がしないことをやって何らかのお役に立っている自分を好きになれるようです。「トイレの神様」がいるわけではありませんが、神さまはこの世に一定の祝福の法則を与えておられるようです。それは自分に向けてではなく、他者に向けて愛を注ぎ、親切や奉仕をする時に、結局は自分が祝福されるということです。

心のオアシス 2013年3月3日

「無償の愛」という一人の女の子が書いた感動の実話を紹介します。

 おじいちゃんは老いてから手足が不自由でトイレも一人では厳しい。だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしていた。おばあちゃん以外が下の世話をするのを嫌がったからだ。

 ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。おじいちゃんと留守番していると申し訳なさそうに、「モモちゃん、悪いんだがトイレに・・・」って言った。私は本当に馬鹿だなって思った。一人じゃ行けないのを知っていたくせに気が付いてあげられないなんて・・・孫、それも女には言いづらかっただろうなって。トイレに行くとパンパースが小と大で汚れていた。たくさん我慢させてしまった。私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。お風呂場で体を洗ってパンパースを付けてホッとした。同時におばあちゃんは毎日これをしているんだと思うと何とも言えない気持ちになった。そして「悪かったね、ありがとう」って5千円をくれようとした。おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。おしめを替えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。あれは無償の愛でしょ? 私は「おじいちゃんが大好きだよ? だからお金なんかいらないんだよ」って言った。2人してちょっと泣いた。

 本物の愛には交換条件はありません。相手があなたを裏切っても、嫌っていたとしても一方的に愛し続けるのです。そして聖書はこの愛のことをアガペーと表現します。神がこの愛を全うしてくださいました。

「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」(ローマ5の8)

心のオアシス 2013年2月24日

アッシジのフランチェスコ(1181~1226年)の「平和の祈り」。
 
主よ、わたしをあなたの平和をこの世にもたらす道具にしてください。
 憎しみのあるところに愛を、
 罪のあるところに赦しを、
 争いのあるところに一致を、
 誤りのあるところに真理を、
 疑いのあるところに信仰を、
 絶望のあるところに希望を、
 闇のあるところに光を、
 悲しみのあるところには喜びを。
 あぁ主よ、慰められるよりも慰めることを、
 理解されるよりも理解することを、
 愛されることよりも愛することを求める、その心をお与えください。
 なぜなら、人は自分を捨ててこそ、それを受け、
 自分を忘れてこそ、自分を見出し、赦してこそ、赦され、
 死んでこそ、永遠の命に復活するからです。

 「置かれたところで咲きなさい」という渡辺和子さんの本のタイトルで、今や百万部売れるベストセラーになっている。しかし前向きに生きている人たちにとってこの言葉は、「現状に満足してしまい、向上心や、やる気をなくしてしまうように思う」と、受け取られるふしもある。でも著者の真意はそうではない。「置かれたところ」とは、「あなた」という変えられない個性を、いかに「咲かせるか」という、実は非常に積極的な言葉だと思うのです。「私は、私だから、つぼみのままでいい」というのではない。「咲け」というのです。フランチェスコの祈りは、究極の祈りでしょう。それこそ「咲く」ことなのかもしれません。

心のオアシス 2013年2月17日

去年の11月に憩室炎になり、皆さまにはご心配をおかけし、またお祈りくださいました。教会のメンバーも様々なフォローをしてくださり、幸い入院をせずに自宅療養で済みました。開拓伝道なので、日曜日は休むわけにはいきませんから這うようにしてメッセージしたのを覚えています。でもそのお陰で血液検査からレントゲンなど、様々な検査をすることができた。普段、定期検診にもなかなか行かないので、こういう機会を神さまが定期的に与えてくださって感謝している。バリウム検査で、予想通りS状結腸に憩室が多いことがわかった。これはどうすることもできないので、便秘に注意するしかないらしい。しかしそれとは別に2センチ大のポリープが発見された。ドクターが私にレントゲンを見せながら説明をしてくださったが、素人の私でさえ、それとわかる違う角度からの写真が何枚もあった。しかも腸の穴を半分近く塞いでいるようにも見えた。考えてみればここ数ヶ月、お腹にガスがたまっているような鈍痛が周期的にあった。恐らくこの大きなポリープが原因であったのだろうと思いました。組織を採っての検査をするとのことで先日、内視鏡検査を受けに行った。悪性か良性かの判断をして適切な手術方法を決めるとのことでした。ネットで調べても2センチのポリープはガン化している確率は50%だと書かれている。悪性だった場合、開腹手術で1ヶ月は仕事を休まなければならないと言われ、私も万が一を考えて、代役など考えたりし始めていた。そしてこうも祈っていた。「もし手遅れのガンでしたら、私が早く天に戻る代わりに、せめてあの人の病を癒してあげてください。この人の苦しみを取り除いてあげてください・・・」
結果は、ポリープが、ものの見事に消えていたのです。完璧に癒されていました。ドクターは首をかしげながら、バリウム検査時の写真を見せて様々な言い訳をしておられましたが、私は癒されたのだと確信しました。「人間にはできないことも、神にはできる!」(マルコ10:27)

心のオアシス 2013年2月10日

何年か前に神学校で学んでおられた学生の体験談です。
彼がイエス・キリストと出会う10年前に交通事故で身体的なハンディを負い、それから精神的にも障がいが出て、薬漬けの毎日で、人格は変わり、薬なしでは生きることができなくなりました。夜に突然暴れだし、家の中は滅茶苦茶、奥様も裸足で家から逃げ出すことも度々あったという10年間でした。そんな生活から心機一転するために彼は3ヶ月間、静養と将来やってみたかった牧場の下見をするために単身でオーストラリアへ渡りました。ところが頼りにしていた知人が突然亡くなられて、現地で身動きがとれなくなってしまったのです。そのまま日本に帰ることもできず、不思議な出会いからティーンチャレンジという薬物更生施設でボランティア・スタッフをすることになりました。その施設は、他の施設とは違い、薬物中毒患者に対して、薬物治療を行うのではなく、朝から晩まで賛美歌を歌い聖書の言葉に触れさせて、薬物依存から解放させるというクリスチャンの施設だったのです。そこに最初、死んだような目をして入所してくるのですが、1・2ヶ月するうちに輝いた目に変化していって薬物から解放されてそこから出ていくのです。彼は何がそうさせているのかわかりませんでしたが、スタッフとしてその中で手伝いをしながら毎日賛美して聖書に触れているうちに、自分自身が癒されているのに気がつきました。そして日本からはビニール袋いっぱいの薬を持参していたのですが、それらなしでも生きることができるようになりました。「聖書の神さまは生きておられる」と実感して、現地の教会で洗礼を受けたのです。それから3ヶ月後、日本に帰国してからの病院での診断結果は、C型肝炎完治、テンカンの完治、精神疾患の完治の宣言でした。ご主人が3ヶ月で別人のように変わった姿を見て、自分も神さまを信じますと、洗礼を受けられました。
 あなたも神にある不思議な力を体感してみてはいかがですか?!

心のオアシス 2013年2月3日

最近、複数の方々から、自分と神さまとの関係を優先するようになってから悩んでいたことや問題が自然と解決しましたという報告を聞きました。その方々は神さまとの会話(祈り・聖書を読み瞑想)の時間を工夫されて継続することによって、気づいたら問題が問題でなくなってしまったというのです。祈りの力を私も何度も体験しています。
ある教会で配布された「祈りの学校」という資料の一部を紹介します。

私たちは無力になった時、本気で祈り出します。その時は「神様は聞いて下さらない」、そう訴えるかもしれません。しかし、実際に神様はもう祈りに答えて下さっているのです。無力さの中で神様に心の戸を開いた時、神様は既にあなたの所に来ておられ良い業を始めています。祈りは答えられています。しかし、すぐにその答えを理解することができません。私たちはせっかちで、忍耐が足りないので誤解していることが多いのです。それをよそ目に静かに働きを進められる「イエスは彼らに答えて言われた、『わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう』(ヨハネ13章7節)。神様は、私たちがすぐに理解できない程多くの答えや恵の業を用意しておられるのです。ですから、祈る時に無力さを感じても、思い煩ってはいけません。ましてや無力さによって祈りが妨げられているなんてことはないのです。無力を通して、神様に目を向け、心の戸を開くことが出来るのです。

祈りは万民に与えられている救いの最終手段です。祈りは神さまとの会話です。難しく考えないで、思うことを申し上げてみてください。ヘンリー・ナウエンは、祈りに集中することができない難しさと葛藤を覚えながらこう祈りました。「どうか、わたしの心の傲慢さを、疲労を、いらだちを、不信仰なさすらいを、そのまま受け入れてください。あなたはわたしという人間を、余す所なくご存知です。」祈りは心の呼吸です。

心のオアシス 2013年1月27日

それぞれの会社にはクレームを処理する部署があります。特に飲食業であれば、毎日たくさんのクレームが届くそうです。そんな中、絶対数はクレームに比べて少ないのですが、「ありがとう」という感謝の手紙やメールもあるそうです。そのサンキューレターのほとんどは、同じような場面での「ありがとう」だというのです。ミスタードーナツに送られてきたそれを数件分ご紹介いたします。
● 福島西口ショップへ
1月3日に子供とお店を利用しました。店内で飲食している時に、子供が食べかけのドーナツを落としてしまったのですが、無償で新しいドーナツを持ってきてくれました。お礼が遅くなってしまったのですが、子供も喜んでいたと伝えてください。
● イオンモール新瑞橋ショップへ
お正月ころの出来事ですが、私の不注意で会計前のドーナツを落としてしまいました。店員さんは嫌な顔せずに、取り替えていただきました。その時のお礼を言いたいのですが、なかなか店舗に行くことができず、まだお礼を言えていない状況です。
● 静岡城北ショップへ
今日お店を利用した際に、私がテーブルにジュースをこぼしました。店員さんがすぐに対応してくださり、お皿にあったパイまで全て交換していただきました。ご迷惑かけましたのにありがとうございました。

 お客さんが、自分のミスで商品を落としたり、こぼしてしまったにも関わらず、お店側が無償で交換してくれたことに対する感謝ばかりです。
 神さまは私たちのミス(罪)の尻拭いしてくださっただけではなく、無償で天国への切符を提供してくださっています。私たちはその神さまのご好意を感謝して受け止めているでしょうか??