礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2025年7月20日

 先週の日曜日は開拓を始めてから一番充実した一日であった。朝2回と午後1回の計3回の礼拝は通常通りであるが、今回はそれにプラスアルファで午後礼拝の後入門講座を1時間、その後質疑応答などで1時間の計2時間。その後礼拝堂の掃除機をかけ、午後6時半ごろから大学生のピザ付バイブルスタディーに特別参加させていただき聖書や信仰、様々な人間関係などを話し合っていると、全員時を忘れ気が付けば午後10時になってしまっていた。全員クリスチャン家庭の子たちで親御さんは理解してくださっているが、預かる側も非常識にはならないよう気を付けなければならない。しかし若者たちが聖書や信仰の話をしながら恵まれている様子を見ていると、この時間を彼らから切り離してはいけないという気持ちにもなる。平日は世俗的な価値観の中に嫌でも居なければならない彼らが活き活きと話している姿に私も恵みをいただいた。
 イエスさまが昼時井戸のそばでサマリヤの女性に福音を伝えると、それを受け留めた彼女の中に大きな変化が起こった。弟子たちがランチを買ってきてイエスさまに渡そうとすると「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」と言われた。疲れを覚え空腹であるはずなのに食べる必要がなくなるほど満たされるという経験を私もしたように思う。
 牧師の喜びは、人が変えられる姿を見ることである。「励まされて今週も何とかやっていけそうです!」「聖書を読むことが楽しくなりました」「癒されました」「暗い人生でしたが光を見い出しました」「現実はまだ問題はたくさん残っていますが、御言葉を握っていれば何とかなるような気がしてきました」「悩みが悩みでなくなりました」このような言葉を毎週聞かされると牧師を辞めることはできなくなる(辞める気はないが)。
 これらは全て神の霊の働きの実である。人間はみな「神の息が吹き入れられて生きるものとなった」とあるように、飲み食いだけではなく、神の霊によって生かされていることを知らなければならない。
 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ4:4)

心のオアシス 2025年7月13日

 私が8月にご奉仕させていただく京都朝祷会から「朝祷」というブロックだよりが送られてきた。何と東北で牧会する後輩牧師が証が掲載されていて、その内容に感動し励まされたので以下に要約したいと思う。
 「心に福音の種が蒔かれたのは、私が4歳の時でした。住んでいた町の人口増加でどこの幼稚園も入ることができませんでした。そのような時に開拓を始めたばかりの教会が幼児学園を開設し、そこに入園しました。そうは言っても古い民家の六畳二間を使用した粗末なものでした。しかし先生方は全員クリスチャンで、私は毎日聖書の話を聞きました。あるとき友達が投げた積み木が私の額に当たり血が出て、先生がすぐに応急処置をして額に手を置いて『イエス様、どうぞ額を癒してください』と祈るのです。私は内心『神さまがいたら医者はいらないだろ』とバカにしていましたが、真剣に祈る先生の姿が心に残りました。額の傷は跡形なく癒されました。そこを卒園した私は教会学校には一度も行きませんでした。やがてアメリカ留学し冬休みにニューヨークの家庭にホームスティしクリスマスイブの夜、ホストファミリーと教会の礼拝に参加しました。そこで歌われた讃美歌『きよしこの夜』を歌ったときに私の記憶の奥にずっとしまっていた何かが開きました。それは教会の幼児学園で歌った讃美歌の記憶でした。その時、私は言葉には言えない感動で震え、自分がずっと探していたものが“イエスさま”だったことを知りました。その日から私は変えられ聖書を読み、教会に通うようになりその半年後、アメリカの教会で洗礼を受けたのです。私たちはトラクト配布や集会で思った成果がないとガッカリします。
 先日私の教会に見知らぬ青年が来ました。集会後彼は『私を覚えていますか?』質問してきました。なんと彼は15年前に子どもの集会に来ていたS君でした。彼もまた留学先のパリでイエス様を信じたというのです。」(小西孝宏牧師述)
 私たちは成果を求めるが、主が求めておられることは時が良くても悪くても福音を伝え続けるということ。目に見える結果がなくても私たちの労は地に落ちることはない。主の時が来れば美しい花園になるだろう。

心のオアシス 2025年7月6日

 私たちの教会の日曜礼拝は、初心者の人たちにも配慮しながら、できる限りすべての人たちが理解し元気がでるようなプログラムやメッセージを心がけるという特徴がある。しかし特に黙示録や旧約聖書の小預言書などは、どこの教会も引用としては使われることはあるが、連講で話されることは少ない。そこで日曜礼拝では取り扱うことが難しい書を月2回木曜日に行なっている「賛美&祈り&聖書の学び」で話すようになった。恐らく内容は中級以上ではあるが聖書66巻の繋がりが立体的に理解できるようになったと評価されるようになり、聖書の深みを学びたい人たちにとってバージョンアップする良い機会になっている。私も準備する中で多くの発見や聖書の奥深さを学ぶようになった。
 先日の「聖書の学び」では「聖霊論」の特別講義をペンテコステ派牧師の藤林イザヤ先生を招いて行なった。世界的に有名な牧師たちの中には「聖霊充満」とか「聖霊様来てください!」という言葉を使って影響を与えていたが、理屈っぽい私は「聖霊に量があるのか?」「聖霊は今はご一緒ではないのか?」と疑問に思い聖書的表現ではない造語が人々に誤解を与えるのではないかと考えていた。しかし今回その捉えにくい「聖霊」を形態的にわかりやすくお話しくださり、バランスを大切にしている私たちの教会にもフィットする内容で非常に良き学びとなった。
 それにしても私たちの教会の人たちの中に“聖霊”に関して「深く知りたい」「異言の賜物を受けたい」と願っておられる方々がいらっしゃることに驚きを覚えた。牧会的配慮から私たちの礼拝では異言で祈ることはしないが、今回の特別講義の後、異言を求める人たちが残り共にお祈りする時間を設けた。私は信徒の前で初めて異言でお祈りしたが、実際に初めて異言を聞いた人たちの中に霊的飢え渇きと恵みが与えられるようになった。「心が軽くなった」「一週間の疲れが全部吹っ飛んだ」など霊的開放による副産物もいただけた恵みのひと時であった。今回の“心のオアシス”の内容は理解できない人もいると思うが、「聖霊が下ると力を受ける」世界をいつか体感していただきたい。

心のオアシス 2025年6月29日

 私は小学生の頃から劣等感が強かった。周りが理解しているのに自分は理解できていないことが多く「どうして自分はわからないのだろう?」と悩むことがよくあった。今から考えると早生まれだったこともあり遅れている部分が多くあったように思う。しかし答えがわかっても「もしかしたら間違っているかもしれない」と手を上げる勇気がなかったのは臆病な部分もあったのだろう。別の言葉に置き換えると慎重だった。
 そんな私は中学2年生頃まで、早く死ねたらいいのにと考えることがよくあった。「人間はどうして生きているのか?」「何のために生きているのか?」「どんなに苦労して成功をおさめたとしても結局は死ぬ運命にあるのなら早く死んだ方がいいのではないか?」そんなことを考えていた。思えば感受性が強かったのだろう。そんな少年時代を過ごしていたのでキリストとの出会い、聖書の御言葉はリアルに私の心に響いた。
 中学2年生の時に初めて教会の門をくぐった。歌った讃美歌もメッセージも全くわからなかったが、直感的に、霊的に「ここには真理がある」と思い聖書を読むようになった。「あなたは私の目には高価で尊い」(イザヤ43:4)の言葉が私を捕らえた。この世の中での評価は何を持っていて、何ができるからということが尊ばれる対象であるが、「神が尊いと思っておられるから尊い」という価値観に感動を覚えた。中学3年生で受洗し、それからは何故か臆病だった私が海外へ行き学び、帰国後は関西から関東へ移住し、会社を辞めて献身し、20年間仕えさせていただいた日本で一番人が集まっているプロテスタントの教会の副牧師を辞して住んだことのない東大阪の地にやってきて開拓伝道を始めた。他者からすると理解できないであろう。自分でも振り返ってみて驚きしかない。皆さまには無謀なことはお勧めしないが、自分の経験から、「どんなことが私たちの人生に起こったとしても主が共におられる信仰があるなら何とかなるから大丈夫!」という確信がある。私たちは神の手の中にあると本気で信じることができるなら、地上では何があっても恵みと喜びを感じながら歩むことができる。私は主に出会えて本当に感謝している。

心のオアシス 2025年6月22日

 先週の月曜日、ご招待くださったので介護施設シャロームが開催する「スピリチュアルケアを考える ~病院チャプレンの働きより」というテーマで講演会&ホテルランチに参加させていただいた。講師の藤井理恵先生は病院チャプレンをしてこられたので説得力があった。結局ケアを提供する人も、それを受ける人も同じ限界のある弱い存在同士なのだということ。その例として、一生懸命支えてきた人が亡くなった時に喪失感を覚えるのは、両方が支え合っていた一つの証であるという。まさに「人」という字は支え合って成り立っているということである。
 「私には神など必要ない。自分で自分のことはやってきた」という人も死を前にすると自分の“限界”や“弱さ”を感じるようだ。その時に初めて“神に頼れる安心”を経験し“生きている”のではなく“生かされている”ことに気付く。それはどんなに地位や財産を持っていても死の壁の前には何の役にも立たない。それらはある意味での安心は与えられるかもしれないが、死の向こうまでの安心保証は何もない。世の成功をおさめてきた人も「今までこんなに頑張ってきたのに、結局自分の人生は何だったのか?」と悩み始めるという。
 アップルの創業者・スティーブ・ジョブズ氏は、各地で「自分の夢を獲得せよ!」と講演してきた。しかし亡くなる前にこう言っている。「私はビジネスの世界で成功の頂点に立った。他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし仕事面をのぞくと喜びが少ない人生だった。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていた有名になることや富は、迫る死を目の前にして色あせ、何も意味をなさなくなっている。生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。神の息を感じる。死が近づいている。今やっと分かったことがある。富に関係ないものを求めたほうが良い。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。」自分が教えてきたことは間違いだったと言ったのである。
 私は確信をもって言うことができる。それは本物の宝はイエス・キリストにある。

心のオアシス 2025年6月15日

 先週の週報で「神さまは天邪鬼なのではないだろうか?!」という内容だったが、今週はその第二弾を書こうと思う。
 先週メッセージ箇所は創世記27章からであったが、そこには4人家族のそれぞれの願いの結末が記されていた。イサクは双子の長男エサウの方を愛し遺産を相続しようと考えていた。しかしその妻リベカは次男のヤコブを愛していて、その祝福がヤコブに流れるように企てた。エサウは当然自分が相続するものだと思っていたが、ヤコブはそれらをいただいてしまおうと考えていた。リベカは神から「兄は弟に仕えるようになる」との約束をいただいていたが、そうはなりそうにない現実を見て、自分のやり方でそれを実現しようとしヤコブもそれに便乗した。すなわち「長男のエサウ」だと偽って父の元へ行った。この各4人の願いはどうなっていっただろうか? 父イサクは年が進み目が見えなくなっていた故に祝福を与える相手を間違えてしまった。その妻は次男が相続の祝福が与えられたことを喜んだであろうが、長男が殺意を持つようになったので800キロ以上も北に住む叔父の元へ次男を避難させ、それはおよそ20年にも及んだ。これで愛する子とは一緒に暮らすことはできなくなったばかりではなくリベカは生きて再会はできなかったと言われている。兄エサウは自分がいただけるはずの相続権がヤコブに渡ってしまい、ヤコブは受けた相続をそのまま置いて避難所生活を余儀なくされた。
 ここで面白いことを発見した。4人のそれぞれの願いはすべて成就せず神の計画のみが水面下で確実に進んでいたということである。彼らの失敗は神の時を祈り待つことをせずに、自分たちの願いを実現することだけを願っていたことにあった。
 これらのことを考えると、結局神のご意志が成就していくのだから、我々はそのご意志に添うような決断や判断をしていった方がお得である。そうでなければ自分が苦しむことにも繋がる。「万事を益としてくださる」と神への信頼があるなら黙して祈り待つことも大切なことである。
「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」

心のオアシス 2025年6月8日

 私は「神さまは天邪鬼なのではないだろうか?!」と思うことがたまにある。例えばモーセは同胞であるへブル人を助けようと思い立った40歳の時には用いられず、体力も能力も衰え、地位も名誉もなくなった80歳の時に「今こそ彼らを助け出せ!」と神さまは命じられた。私のことを言うならば、16年前までゼロ開拓だけはしたくなかったが、15年前に自ら志願してその任務のため神奈川県にある母教会から東大阪に出てきた。自分でも自分の決断に驚いているが、確実にバックで神が押しておられたのを感じている。関西での宣教が進むにつれて会堂があればと願うようにはなったが、会堂を建てるとか、借金をするようなストレスになることはしたくなかった。しかしこれも神が段取りして推し進められ、いつの間にか会堂が建ってしまった。極めつけは、子どもたちの伝道の大切さはよくわかっていたしお祈りはしてきたが、自分がそのミニストリーの中に入ることは違うと思っていた。なぜなら子どもの気持ちや接し方が分からないし一緒に遊ぶことなどの苦手意識が強かったからだ。だから日曜学校をスタートした時から子どもたちは賢司先生任せにしていた。しかし今はどうであろうか? クリスマスにはサンタクロースになることを要求され、平日はチャペルに遊びに来る子どもたちのかくれんぼの鬼にさせられ、興味のないボードゲームを一緒にさせられるようになった。日曜日の午後の礼拝が終わった後は、恵伝道師は学生たちとの交流をしている。残っている小学生の相手ができるのは私しかいない。落ち込んでいる子がいれば相談相手にならざるを得ない。「日曜日に奉仕をしてくれている小学生のためにプレゼントしてください」とアイス券や献金をいただくと買いに連れていくのは私しかいない。
 もし苦手意識のままでいたら、ただ仕方なく相手をしているだけだが、「主の道具とならせてください」と願った時から、神の道具として使い込まれていることに喜びと感謝が湧き出るようになった。今は牧師室の冷蔵庫には小学生たちからの感謝の手紙が貼られ小物類が沢山置かれている。そしていつの間にか彼らは私や教会の宝になっていた。栄光在主。

心のオアシス 2025年6月1日

 イエスさまは神学論争をしてきた人に「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか!」と言われた。神がどのようなお方であるかを理解すると、殆どすべての問題が解決する。神は私たちが生きているこの地上(第三次元)と同じ次元におられるお方ではない。同じ土俵に神と人を置くからわからないのであって、人間の時間というこの地上での制限をはるかに超えて、すべてを包み込んでおられる時空の存在である超次元(永遠)のお方であると考えると理解できる。私たちは自由意志が与えられていて、自分の決断によって神を信じる信じないさえも選択することができるようになっている。しかし神はその全知全能性から私たちが生まれる前から各人がどのような決断をして生きるのかをご存知で、その中で神さまの計画を神のタイミングで進めておられるのである。例えばユダヤ人がイエスさまに反発しクリスチャンを迫害する未来を知っておられて、その迫害を用いて全世界に福音が広げられるように神の意志が進められているのである。この異次元の世界を理解するのは難しいが、神は決して人を不公平に扱っておられるのではない。どの国に生まれ、どの性別、どの親の元に生まれるのか?それらは私たちの意志によるものではなく造り主(メーカー)である“神のご勝手”なのである。あとは私たちの意志や決断によって、この地上における結ぶ実は変わってくる。神の“蒔いたものを刈り取る”法則によると、良いものを蒔けば良いものを刈り取るし悪いものを蒔けばそれが自分にも返ってくる。自由意志は与えられているが、どのような選択をするかを神は既にご存知なのである。台本はあるが、その役柄をどのようにパフォーマンスしていくかは私たち次第なのである。
 先日、未信者の方から相談があった。ある集まりのリーダーのやり方に不満があるという。「この世には不平等だと思われることがあっても、それは造り主のご勝手なのですよ。リーダーも同じなのかもしれませんね」とお話しすると「まさか牧師先生からそのような言葉が出てくるとは思いませんでしたが腑に落ちました。」と妙に納得して帰られた。

心のオアシス 2025年5月25日

 ここ1ヶ月の間に何人かの方々とお話しする中で共通して言われたことがあった。それは「花園チャペルは、神の意志によって建てられたことがよくわかります」ということ。私もそれには激しく同意している。 
 思えば土地探しを始めた当初、花園の土地は候補にはあったが、当時石切駅前の教会をお借りしていたことから吉田駅から徒歩8分とは遠いという私の勝手な思い込みと手が届かない土地代の高さから、しばらくして候補から外れていった。石切周辺には妥当な土地が4箇所あったが10ヶ月の間にすべて購入不可となった。お借りしていた教会から出ていかなければならない日も近づいていたが、その時点でこちらが希望する広さと価格帯の土地はもうどこにもない状態となっていた。ハウスメーカーも土地探しを手伝ってくれていたが、残った候補は私が眼中になかった花園の土地だけとなった。それから何度も足を運んで駅から歩いてみたり周辺を調べるようになった。そのような中で私の心が動き始めたのは、小学生たちが列をなしてその土地を通って帰宅していて、その子どもたちがチャペルに出入りしているビジョンが見えた時であった。私は渋っていたがその他の建築委員は全員購入を賛成していた。土地探しを始めて10ヶ月後に会計を確認してみると、全く手が届かないと思っていた土地の値段と同額の献金が集まっていたのである。それを神さまからの“しるし”だと確信して決断させていただいた。当初は土地さえ購入すればそれを担保にして建物は安いプレハブかテントでも良いと考えていたが、一流ハウスメーカーが教会建築のモデルケースとして建てさせて欲しいと申し出てきたのである。需要の少ない日本でどうして?と疑問に思ったが、ある方が「そのメーカーは海外進出していて、海外だと教会を建てる需要があるので、そのための建築例としてモデルにしたかったことと強度などのデータをとって営業したかったのでしょう。そのタイミングがあまりにも良すぎたんですね」ということを言われ腑に落ちた。60年保証もついて通常の半額で建物が建ったのである。これを奇跡と言わずして何であろうか? 確かに神の手が働いている。

心のオアシス 2025年5月18日

 私の家族は祖父の“祈り”によってキリストと出会い救われていった。そして私たちの教会通いが始まったのは、この祖父が召されてからであった。当時は横浜の長男家族と同居していたが、クリスチャンであったのは家族親戚の中では祖父だけであった。娘である私の母に手紙を書いてきた時には文末にいつも「祈っています。」の一言が添えられていた。母はいつもそれが嫌でたまらなかったようだ。そして祈っていた子どもたちや孫たちは一人も教会の門をくぐることなく召されていった。
 葬儀が行われたのは祖父が通っていた東京の赤坂教会で、私の母もそこに参列した。その教会の牧師婦人から「あなたのお父さんは、『元気になったら伝道者になりたい』と言っておられましたよ」と伝えられたその言葉が母にとって父からの最後の遺言のように受け止めた。その後、奈良に戻ってから「父が言っていた“教会”とは?」との思いが募り、近所の教会の門を初めてくぐり毎週通ようになった。何ヶ月かしてから私も教会に興味を持つようになり行くようになった。母が受洗した次の年に当時中学3年生になったばかりの4月に私も洗礼の恵みにあずかった。そして次の年には弟が、その次の年には車で送り迎えして教会の外で待っていた父が受洗した。そればかりではなく祖父と同居していた長男家族も祖父の教会通いが始まり救われ、次男家族もそれから十数年後に受洗していった。誰が私の親族に教会へ行くようにと言ったのか? 孫の私も祖父からイエス・キリストの話を聞いたことは一度もなかった。あったのはただ祖父の“祈り”だけだった。祈りによる伝道の実である。
 本日受洗される家族は一年ほど前から突然花園チャペルに来られるようになり、最初は奥様がほぼ休むことなく礼拝に集われるようになり、次に息子さん、半年後にはご主人も来られるようになった。奥様に来るようになったキッカケをお聞きすると、ご主人のお母さまが召されたときに教会で葬儀が行われ、初めてクリスチャンだったことを知り、引き寄せられるようにして来られるようになったとのことである。ご主人も「先祖様の呼びかけ」だと表現されていたが、これが祈りの力である。