心のオアシス
心のオアシス 2019年4月7日
チェリストのチャン・ハンナさんは、1994年、11歳の時にロストボービッチ・チェロコンクールで優勝したことで、世界の舞台に彗星のごとく登場しました。彼女の家庭は敬虔なクリスチャンで、家族全員で就寝前に聖書を読んで、恵みを分かち合い、祈りました。そのような環境で、信仰を持って育ったチャン・ハンナさんは、沢山の人たちと出会い、世界的なチェリストとなって、影響力を及ぼす存在になりました。
彼女はこう告白しています。「私を助けてくださる方々と出会えたのは、神さまのお導きとしか言いようがありません。決して、私ひとりだけでここまで来られたのではありません。神さまはいつも、時にかなって必要なものを満たしてくださいました。これまで悔しい思いをしたり、途方に暮れるような状況にも何度も遭遇しましたが、そのすべてのことが私を成長させるための父なる神さまのご計画の中でなされたことでした。神さまは生きておられ、すべてのことを導き、私の人生に誰よりも深く関与されていると感じます。」
多くの人は問題に直面すると、この世で解決方法を探し、頼りになる人を探そうと必死になります。この世において人脈は大切です。しかし神脈なしの人脈は、手抜き工事と同じです。それはいつか崩れます。創世記に書かれているサラが、夫アブラハムに女奴隷のハガルを与えて、子を得ようとしたことが、後々大きな問題へと発展していったことが、その例です。神抜きの計画は、永続はしないことを歴史が語っています。人脈やすべてことを動かし、私たちの人生を先立って進み、導いてくださる神さまに出会うことを最優先にすると驚くばかりの恵みが流れてくるものです。
私の教会開拓の特に最初の1年間は、神さまが不思議な形で、今の教会の土台となる人脈を備えてくださいました。私からアプローチしたわけではなく、主の御心に委ねていたら、神さまが出会わせてくださったという表現が一番合っていると思います。私たちが絶対に必要なコネクションは、イエス・キリストです。このお方は天と地を結ぶ架け橋です。
心のオアシス 2019年3月31日
神が私たちの人生を導かれ、それぞれに計画を持っておられ、私たちは、どうあがいても神の意思通りになっているのであれば、もう何も成す術がないと諦め、人生を運命論的にとらえる人がいます。しかし、それは間違った聖書理解です。私たちには自由意思が与えられていて、自分自身を良いことのためにも、悪いことのためにも用いることができます。良い決断(選択)をすることもあれば、悪い決断(選択)をすることもできます。そしてこの地上では、蒔いたものを刈り取る法則に従って、喜びを得たり、悲しみを得たりしていくのです。しかしながら、神さまは、全体の時間・歴史を用いて、着々とご自身の計画を遂行しておられます。神さまにとっては、私たちが神に従ったとしても反抗したとしても、関係なく神の“時”に事を成されるのです。遅れることもなく、早まることもありません。人々が行なう悪さえも用いながら神さまは計画を神さまのタイムスケジュール通りに進めていかれるのです。これが神の主権と人間の自由意思の関係なのです。
救いに関しても同じことが言えます。救いは神さまの側の主権によって完成されました。しかし、特定の人たちだけが救われるのではありません。聖書に「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)とあるように、救いに入る選択権は“すべての人”に与えられています。どちらの選択をするかは、私たちの自由意思に委ねられているということです。全能の神さまは、どう決断するかはご存知ですが・・・
神さまのご意志が進められるのであれば、私たちがこの地上でジタバタ神さまに抵抗したところで、何の得にもなりません。無駄な抵抗です。ただ蒔いたものの刈り取りはしなければならないのです。どうせなら、神さまに従う選択をして、安心できる喜びの人生を歩んだ方が良いのではないでしょうか?
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19章21節)
心のオアシス 2019年3月24日
先日、「なぜ世界のお金持ちの35%はユダヤ人なのか?」という本を著者である滝内恭敬さん本人から贈呈していただきました。そこに興味深いことが書かれていました。
よりよい人生を実現するために、世界最高峰の自己啓発に数百万円のお金をかけ、一生懸命学んだにも関わらず、多重債務、ホームレス、破産、鬱といった人生のどん底を経験した際に、自己啓発業界と自分自身に絶望し、「自己啓発や自分の努力だけでは成功できない。何か自分よりもはるか大きな権威のある存在の力がこの世にあるのではないか?」と思うようになり、調べていくうちに、ユダヤ人は世界人口の0.2%ほどしかいないにも関わらず、世界の大富豪の約35%がユダヤ人で、ノーベル賞受賞者の約35%がユダヤ人という事実に驚いたそうです。ユダヤ人成功者の具体例として挙げられているのは、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、Microsoftのスティーブ・バルマー、Dellのマイケル・デル、Starbucks Coffeeのハワード・シュルツ、GAPのドナルド・フィッシャー、映画監督のスティーブン・スピルバーグなど、ほんの一部ですが、これだけ見ても世界の経済を牛耳っているのは、ユダヤ人といっても過言ではありません。そして著者が行き着いたところは、彼らはみな「聖書」がベースにあるということです。ユダヤ人は、必ず幼少期から旧約聖書に触れています。日本の歴史上の人物の中でも、西郷隆盛や夏目漱石も聖書を読んでいたと言われ、福沢諭吉は息子たちに書いた“ひびのおしえ”の中で「天道様を畏れ、これを敬い、その心に従うべし。ただしここにいう天道様とは、日輪のことにはあらず、西洋の言葉にてゴッドと言い、日本の言葉に翻訳すれば、造物者というものなり」と書いていて、聖書に大きく影響を受けていたことは間違いありません。そこで滝内氏は、聖書の内容をビジネスに適用しはじめるようになり、今では豊かな恩恵を受けるようになったというのです。
みなさん、聖書を読んで得する人生を歩みませんか?! 聖書には、生きるための知恵が盛り沢山。読んでもわからなければ是非教会へ!
心のオアシス 2019年3月17日
人が囁きました「神様! 私に語りかけてください」
そのときにヒバリが歌いました。しかし人には聞こえませんでした。
人は叫びました「神様! 話してください」
するとカミナリが空に響き渡りました。しかし人には聞こえません。
人は見回して言いました「神様! あなたを見させてください」
すると星が明るく輝きました。しかし人は見ませんでした。
人は大きく叫びました「神様、奇跡を見せてください」
すると、生命が誕生しました。しかし人は気づきませんでした。
人は絶望の中で、大声で泣き叫びました「神様、触れてください。ここにおられることを教えてください」
そこで神様は手を伸ばし、その人に触れました。しかし人は、そのチョウチョを払いのけました。そして、歩き続けました。
私は神様が、小さな単純なできごとの中にも、私たちの周りにいつもいてくださるということを示して下さっていることに気づきました。
祝福を逃してはいけません。なぜなら、それはあなたの期待通りにくるわけではないからです。 (作者不明の英詩を翻訳引用)
先日は脳出血で倒れたお方のお見舞いに行かせていただいて、左手が動かない不自由な中におられる姿を見ながら、私たちは毎日、当たり前のようにして話し動き生活していますが、当たり前が当たり前ではなく、実は奇跡と恵みの連続なのだなと思わされました。私たちは何気ない毎日を感謝しているでしょうか? 今日も神さまに気付けますように。
心のオアシス 2019年3月10日
私たちの教会では、今、旧約聖書の創世記から順番に学んでいます。アブラハムの人生から、様々なことを学ばせていただいていますが、その中でも驚くべき発見は、今から約4千年前に存在したアブラハムという一人の人の決断が、今の時代に良い意味でも悪い意味でも多大な影響を及ぼしているという事実です。彼が天地宇宙を造られた神を信じ、その言葉に従うという決断をしたことによって、今や全世界に福音が宣べ伝えられ世界人口の約3分の1が創造主を信じるに至っています。当時は、世界の中でアブラハムしか創造主の信仰者はいませんでした。まさか彼は4千年後、世界中にその信仰の子どもたち(継承者)が生み出されているなどとは想像もしなかったことでしょう。
それと同時に、アブラハムは、神さまから「あなたの子孫は空の星の数ほどになろう」と約束されましたが、自分の妻サラが不妊症で年齢も進んで、子孫を増やすことが難しい現実に直面し、神の時が待てず、自分たちの考えと方法で、子孫をつくることを急ぎました。すなわちエジプトから連れてきた奴隷のハガルという女性を通して子どもを産ませようとしたのです。やがてイシマエルという息子が与えられましたが、それは神さまのお考えではありませんでした。聖書ではこれを「肉の働き」と呼んでいます。その後、神さまは本妻であるサラを通して、約束の子孫を与えると言われ、神さまの時にサラからイサクが生まれます。この腹違いの2人の兄弟は、やがて仲違いになっていきます。イシマエルは、アラブ民族の先祖となりました。そして神さまが言われたように、その子孫は、歴史を通じて他の民族に、特にイスラエル民族に敵対して生きてきました。今の中東問題は、この奴隷の女性から生まれたイシマエルと、本妻の子どもイサクの兄弟喧嘩の延長なのです。その当時はただの兄弟喧嘩ではありましたが、時代の流れの中で、それぞれの兄弟から民族が形成され国が建てられ、今や国同士の問題に発展しているのです。
私たちはなかなかそこまで想定できませんが、日々の決断が後の日に大きな影響を与えていくのです。願わくは信仰の決断ができますように。
心のオアシス 2019年3月3日
石油会社に入社した若い時代のロックフェラーは、石油缶の自動はんだ付けがきちんとできているかをチェックする、簡単で単純な仕事を任されていました。6ヶ月が過ぎて、とうとう我慢の限界に達し、上司に仕事内容の文句を言ったロックフェラーに向かって、責任者がこう言いました。「夢を大きく持っているなら、今、単純な仕事をしていたとしても、どうすれば人よりも上手くできるかを悩みなさい。そして、世の中に大切でないことは何もないということを肝に銘じなさい!」この言葉を聞いたロックフェラーは、一生懸命仕事をし始めました。そして溶接剤が自動で落ちる量と速度を詳しく観察して研究し、溶接する石油缶の蓋に溶接剤が39滴落ちることを確認しました。彼は緻密な計算をして38滴で石油缶の蓋は完全に溶接できると考え、38滴型溶接機を開発しました。これを用いれば、石油缶ごとに溶接剤を1滴ずつ節約することができるのです。たとえ1滴でも、1年で5億ドルも節減することができるのです。この一滴は、後にロックフェラーを石油王として成長させるきっかけとなりました。
私たちも長い間待つことで疑いを抱いたり、苦しみのために視野が狭くなったりもします。混乱して神さまに忘れられたように感じる時もあります。しかし、その時がどんな時であるのかを見分けなければならないでしょう。何よりも、時が満ちる最後の時まで、ベストを尽くしながら耐えることが必要です。忍耐できないのは、神の介入が必ずあると確信していないか、あるいは信じることができないからです。
「忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。」「あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。」(ヤコブ5章)時は神が定められ、神の時は必ず来ます。その時が来ると、驚く早さで状況が変化するでしょう。今週も期待しましょう!
心のオアシス 2019年2月24日
マクドウェル氏が12歳の時の出来事を回想録にこう書いていました。
私はリトルリーグの準備をしていました。初試合が始まる前、父は、「コーチ、子どもたちにアイスクリームを食べさせてあげてください」とアイスクリーム券をコーチに差し出しました。「どうもありがとうございます。初勝利をあげたら、食べさせましょう」とコーチがにっこり笑って答えると、父は頭を横に振りながら言いました。「最初の試合に負けたら食べさせてあげてください。」コーチは、けげんそうに父を見つめました。「コーチ、私は子どもたちが勝つよりも、努力したことを認めてあげたいのです。そして、何よりも、子どもたちが神の似姿に造られた存在であることを喜びたいのです。それは、野球の勝敗とは何の関係もないことです。息子が一生勝てなかったとしても、わたしは息子を変わりなく愛して受け入れるつもりでいます。」その日、私は父が無条件に私を受け入れてくれることを悟りました。
負けたチームに賞を与えるのは、実におかしなことですが、聖書を学びながら思うことは、神のやり方は、もっとおかしいということです。どうして神を忘れ自己中心に生きる人類を、見捨てることをせず次なる救いと祝福の道を備えられ続けるのか? 何故に何度も裏切るイスラエルの民を諦めずに赦し続け、受け入れることができるのか? イエスさまの弟子たちは、人格者であったり優秀と言えるような人は見当たらないばかりか、いざという時、すぐイエスさまを見捨ててしまうお粗末な存在を、どうして愛し通されたのか? そして神さまの御心と愛を拒絶する、所謂「神の敵であった私たち」のために、罪のさばきの身代わりになるために、この地上に来てくださり十字架にかかり死んでくださいました。これらの神さまの行為は、意味不明です。でも、それが究極の愛の形だということが言えます。条件に適合していれば愛し、そうでなければ愛さないというのは、それは本当の愛ではありません。
「しかしまだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示された。」ローマ5:8
心のオアシス 2019年2月17日
ガンの専門医であり末期ガン患者でもあった某大学病院がんセンターのイ・ヒデ所長が、ガン患者たちに死に至るプロセスについて話したことがありました。「自分がガンにかかったことがわかると、その人の恐れが骨髄を溶かします。すると、免疫力が急激に下がります。ガンが人を殺すのではなく、絶望と恐れが人を殺すのです。それで私は、ガン患者の方たちに、一筋の希望でも残っているなら、それをつかむようにと伝えます。免疫力を落とさないために、決して絶望してはなりません」ということでした。
“笑い”がNK細胞を活性化して、体の免疫力をアップするという話しを聞いたことはないでしょうか? これは私たちが笑うと、免疫のコントロール機能をつかさどっている間脳に興奮が伝わり、情報伝達物質の神経ペプチドが活発に生産されるそうです。“笑い”が発端となって作られた”善玉”の神経ペプチドは、血液やリンパ液を通じて体中に流れ出し、NK細胞の表面に付着し、NK細胞を活性化します。その結果、がん細胞やウイルスなどの病気のもとを次々と攻撃するので、免疫力が高まるということだそうです。逆に、不安、恐れ、悲しみなどマイナスの情報を受け取ると、NK細胞の働きは鈍くなって免疫力も落ちてしまうことがわかっていて、ある実験では、”笑い”にはこうした免疫システム全体のバランスを整える効果があることも明らかになっています。つまり大いに笑えば、ガンやウイルスに対する抵抗力が高まり、同時に免疫異常の改善にも繋がるのです。ということは、私のジョークも健康のために役立つなら、つまらなくても大いに笑ってください(笑)。
恐れにとらわれると、生存率が低くなることを証明した有名な実験があります。太陽の光が全く入らない真っ暗なボックスに閉じ込められたネズミは、3分も耐えられずに死にました。しかし、ボックスに小さな穴を開けて一筋の光が差し込むようにすると、36時間過ぎても生きていたそうです。真っ暗な所に入れられたネズミが死んだ原因は、光不足や体力の消耗でもなく、ネズミ自らが作った絶望と恐れのために死んだというのです。天の希望の光を見ながら、期待して歩みましょう!!
心のオアシス 2019年2月10日
今年から礼拝メッセージは、旧約聖書・創世記から順番に学んでいる。
先週は“信仰の父”と呼ばれるようになったアブラハムが登場した。彼は今から4千年前に、当時偶像崇拝者であった父の元に生まれましたが、一つの信仰の決断が一つの新しい民族を生み出し、今や全世界に散らばっています。それがユダヤ人なのです。旧約聖書によると神は、罪に溺れる人々を正しい道に導くために、エデンの園から追放し忍耐をもって見守っておられましたが、ノアの時代に悪がはびこり、大洪水によってノアとその家族以外を滅ぼされました。それからまた時は流れ人が増え、ノアの時代の水のさばきを忘れ去られてしまった時代に、高い塔を建て創造主を忘れ、人間中心の社会になった時、今度は一つだった言語を乱されて、それぞれの民族として地の果てにまで散らされました。そして神さまは救いの祝福を与えるために、次なる計画を実行されたのです。それは全く新しい一人の人を選んで、そこから生まれてくる人々を、新しい民族として立て、その新しい民族を通して全世界の人々を祝福するというものでした。そしてその完成形が、アブラハムの時代から2千年後に、系図上ではその子孫として生まれたキリストだったのです。
一人の小さな信仰が、世界を変えていきました。アブラハムの信仰とは、全世界の人々が創造主を知らなくても、私は神さまの呼びかけに応じます!という姿勢でした。彼は周りに創造主を信じさせる人や環境がなかったにも関わらず、神の呼びかけに従いました。信仰とは、皆がやってるから、自分もやってみようというレベルのものではないのです。
そしてもう一つ。信仰とは、自分の可能性ではなく、神さまの可能性に賭けることです。アブラハムが選ばれるために、どのような条件があったでしょうか? 彼は創造主を知らない人でした。しかし神さまは、そんな彼に一方的に選び声をかけられたのです。アブラハムが偉大な存在となったのは、ただその声に従ったからなのです。
神さまは、私たちを選んで、この地上に生かし、今も声をかけ続けてくださっています。今こそアブラハムと同じように、その声に反応してみませんか?!
心のオアシス 2019年2月3日
1900年代に、癒しの賜物が与えられている著名な伝道者が集会を行なった時のこと。一人の青年が、その集会に出たときに、たくさんの病気の人々が癒され、車椅子で来ていた人たちが立ち上がるという癒しが次々に起こりました。彼はその奇跡に圧倒されていました。集会が終わってその青年が外に出ようと人の列の流れにいると、車椅子をおしている女性の姿が見えました。その車椅子には、病気なのでしょうか奇形なのでしょうか、頭が異常に大きく体が異常に小さくて歩くことのできない子供が座っていました。肩を落としながら車椅子をおす母親の姿を見ながら彼はすぐにこう思いました。「神様! この子は、今日癒しが必要だったのに、どうして癒してくださらなかったのですか?」神様に文句を言いました。そんな気持ちのままで長距離バスに乗り込みました。そしてそのバスに乗って帰る途中、青年は、ウトウトして夢を見ました。それは、数時間前に見たシーンでした。集会が終わって、出口のあたりを歩いていると、あの頭の大きな子と、その車椅子を押している母親の姿がありました。そして「どうして、この子を癒してくださらなかったのですか?」と怒っている自分自身の姿もありました。しかし、その親子を見ていると、その後ろにイエスさまが立っておられて、その車椅子の子どもの頭を抱きかかえながら「私は、この子を忘れているのではありません。いつも心にとめています。」と語っておられる姿を見たのです。それが彼にとっての全て疑問の答えだったと話しておられました。
私たちは、癒しや、問題がなくなることを切に求めながら生きています。実際に、私は祈りを通して癒され、具体的な必要が満たされることも経験済みです。しかし、人は必ず死ななければなりません。これは神さまが定められたことです。この地上では、自分の願いが通りにいかないことも多々ありますが、私は完全な満たしと癒しと解決は、天においてあると聖書に基づいて確信しています。
「たとい親があなたを忘れるようなことがあっても、私はあなたを忘れることはない」(イザヤ49:15)この世においては、主の自分に対する愛と計画を信じて進みたいものです。