礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2019年6月16日

 黒川伊保子さんの著書「妻のトリセツ」は、実に男性と女性の考え方の違いを明快に説明している。以下がその一部です。
女性脳は大切な対象に意識を集中し、ちょっとの変化も見逃さず、相手が何も言わなくても、何を求めているのか、どうすれば相手がうれしいか、その意図を察して生きている。これは、物言わぬ赤ん坊を育てるために女性脳に装備された能力だから、「察すること」イコール「愛の証し」だと信じているのだ。「察してなんぼ」の女性脳にとって、「言ってくれれば、やったのに」というセリフは、察することを放棄した言葉であり、「僕はあなたに何の関心もない」「あなたを大切に思っていない」と同義なのである。
男性脳は大切なものに対して、習慣的に責務を果たすことを旨とする。
毎月給料を渡し、毎週決まった日にゴミを出し、毎日同じように帰宅する。これが男性脳が「妻を大切にしている」証しなのだ。察する機能がついていない男性脳に察しろと言うのはむずかしい。「言ってくれれば、やったのに」は本音であり、思いやりである。
しかし、このような場面で、言うべきなのは「気がつかなくてごめん。僕がやるべきだったね」だ。察したい気持ちを伝えるこのセリフは、ときには愛を伝える言葉にもなる。女性にとっての愛の証しと男性にとっての愛の証しが異なるから通じない。しかし、女性を大切にしていることを伝えるには、男性が女性に合わせる必要がある。譲歩することが愛情にもなる。
それにしても男性にとって、察することは意識的な訓練が必要だ。
でも、それは人間関係で必ず役に立つはず。

 なるほどと思わせられる。これを読みながら男性は、このような川柳を作るのです。「AIに 翻訳させたい 妻の機嫌」「この俺に 温かいのは 便座だけ」「諦める 妻のトリセツ 日々進化」
 教会は、世の中で闘うお父さんも応援しています。ヽ(´▽`)/

心のオアシス 2019年6月9日

 エン・グルデルはアメリカの心理学者です。口唇裂で生まれた彼女は、いつも劣等感に悩まされていました。今は簡単な手術で矯正できますが、エンが生まれた当時は、それは大変なことでした。エンはうつ病に悩まされ、いつも両親を恨みました。すると両親も友人もエンを避けるようになり、結局彼女は、世のすべての人が自分を嫌っていると考え、誰も自分のことは愛してくれないと思っていました。
 ある日、学校で聴覚の検査がありました。それは、教室の中に仕切りを設けて、仕切りの向こうにいる担任の先生が言う言葉をそのまま繰り返して、どれほど正確に聞けるかを調べるテストでした。たとえば、先生が「今日は天気がいいよ」と言って、それが聞こえたら、そのまま繰り返すのです。ところがエンの順番になると、先生は他の生徒たちに言った言葉とは全く違う言葉を言いました。「あなたが私の娘だったら良かったのに」この言葉に驚いたエンは、先生の言葉を繰り返す代わりに、「先生、本当ですか?」と尋ねました。エンが言った言葉の意味を見抜いた先生は、「そうよ。本当にあなたが私の娘だったら良かったのに」と言いました。そしてその言葉によって少女の人生が変えられたのです。
 世の中は、人の存在価値を見失わせるような価値基準や社会構造によって成り立っています。自分の存在価値を維持するために、必死になってノルマを達成し偏差値を上げる努力をします。基準に達すれば評価され、そうでなければ切り捨てられてしまう、そんな社会の中で、選ばれる人たちは、ほんのひと握りの人たちしかいないのです。人はみな苦しみもがきながら生きています。
 しかし、朗報です! 世の基準ではなく、天の基準で私たちを見つめ続けておられる方がいらっしゃいます。それはあなたに何ができる、できないかではなく、ただあなたという存在に対して「あなたがわたしの息子、わたしの娘だったら良かったのに」とおっしゃっておられるのです。神はあなたを無条件で愛しておられるからこそ、ひとり子キリストを地上に贈って罪の贖いをしてくださいました。信じた方がお得です。

心のオアシス 2019年6月2日

 旧約聖書には、戦争や争いが多く描かれています。しかしそれは人間の中にある恨みや憎しみ妬みなどのドロドロとしたものが、そういう形で表現されているといってもよいでしょう。日本は平和かもしれませんが、今も世界のどこかで戦いは続いています。天地万物を造られた神さまは、この地上に罪がはびこり、自己実現に生きる人間の世界を憂いて、一度洪水によって滅ぼされました。その時代はノアとその家族だけが方舟によって生かされました。もう水によって滅ぼすことはしないと約束された神さまの次なる計画は、民族を用いて地上のすべての人々を救いへと導くという方法でした。そのために言語をバラバラにされ、それによって民族が形成され、やがては国になっていきました。しかし時代と共に創造主なる神さまを忘れ、自分の思うままに生き始め、偶像に幼子を生贄として捧げるようなことが平気で行われるようになり、モラル観も乱れ始め、我々も想像できないようなカオスの世界へと移っていきました。そこで神さまは、アブラハムという一人の人物を選んで、神さまの道へ立ち返らせ、そこから生まれる人たちを一つの民とし国として、悪を滅ぼす計画を遂行されたのです。しかしながら、人間が考える争いや戦争には、本当の解決はありません。恨みが残ります。
 全世界を衝撃と恐怖に陥れたアメリカ同時多発テロの根底には、イスラエルとパレスチナの長い葛藤があります。しかし、アメリカはテロの根を抜き取るために、イラクのバグダッドに空爆を行いました。それはテロを罰し予防する名目での攻撃でしたが、その副作用として、爆撃によって家族を失い、家を破壊された人々の憎しみを引き出し、また別の自爆テロに志願する悪循環が起こりました。威圧的であるほど、被害者の心には恨みが積もります。それが次なる事件を生み出します。この世には一方的な戦争はありません。必ずそれなりの理由があるのです。
 どうすればいいのでしょうか? 唯一の方法は、人間関係で発生するあらゆる問題を、神さまのさばきと義に委ねるということです。そして祈りという特権を用いて、今すぐ敵を神さまに委ねるしかありません。

心のオアシス 2019年5月26日

 先々週と先週、連続して大学時代の友人や中学時代の同窓生たち、関東からの来客などがあった。大変懐かしく楽しいひと時を持つことができた。彼らとの会話で、私の知らないところで、みんなそれぞれが嬉しいことも辛いところも通ってこられたことを聞きながら、喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しむ、そんな時間でした。違う文化や環境を過ごした様々な個性が共鳴しながら一致しているような再会の時でした。
 私は考えます。長い人類の歴史から見ると、また神さまの永遠の領域から見ると、私たちの人生の長さは、横に無限に伸ばしたテープにポールペンで縦線を引くほどの幅にしかならないということです。そんな細い時間の中で、人は楽しんだり悲しんだりを繰り返しながら生きているということなのでしょう。私たちの地上での生活なんてあっという間に過ぎてしまいます。この地上で面白おかしく生きることは悪いことではありません。でも、たとえ健康で人間関係にも経済的にも恵まれた人生であったとしても、もし永遠の世界に対する解決がなければ元も子もありません。地上での人生はあっという間に過ぎていきます。楽しいことも辛いことも長くても100年前後で終わってしまうのです。“永遠”は終わりなくずっと続く世界です。私たちの本質は“霊”です。神さまがこの地上で活動できるように“肉体”という地上服を着せてくださいました。肉体は永遠ではなく一時的なので、やがては脱ぎ去らなければなりません。肉体を脱ぐときが“死”と表現します。しかし永遠に生きる霊の行き場所のことを考えなければならないのです。聖書には、その行き場所は二箇所あり、その一つは、イエスさまと共に生きる永遠の生命(天国)か、もう一つは、悪魔と共に過ごす永遠の死(地獄)です。私たちにはこの二つに一つしか行く場所がないというのです。
 イエス・キリストは、この地上での問題解決の為だけではなく、永遠の問題の解決のために、神なるお方が肉体を着て地上に来られました。そして地獄行きの私たちの罪の代価を、十字架にかかって支払ってくださったことにより、信じるだけで天国へ行ける道を備えて下さいました。

心のオアシス 2019年5月19日

 アメリカの大統領であっても、日本の総理大臣であっても、100%支持されることは、無理な話です。イエスさまでさえ、多くの反対者がいて憎まれ口を叩かれました。そうであるならば、私たちが100%の人から好かれることは不可能だということが言えるでしょう。
このような統計があるそうです。私たちの人生で関わる人たち中で、30%の人は私たちのことが大嫌いです。ドキリとします。そして次の30%の人は私たちのことはどうでもよいと思っています。これですでに60%です。ということは、この世の中で60%の私たちの周りにいる人は、私たちのことが嫌いか、またはどうでもいいと思っているのです。次の30%の人は私たちにある程度の好意は持っていてくれます。私たちに微笑み挨拶をして、話をしてくれる対象と言えるかもしれません。これで90%です。そして最後の10%は、私たちのことが大好きと言ってくれる人々だそうです。
 ハワイの中林義朗先生によると、私たちが問題を起こしてしまうのは、ここだというのです。それは自分に向いてくれるか、常に見てくれている40%の人を無視して、自分を見ていない60%の人の目を引こうと努力してしまうのです。好かれる努力をすることが悪いことだとは思いませんが、自分を好きでいてくれる人を差し置いてまでというのは、間違いだと言えるでしょう。
もしかしたら、「自分には1割も味方はいない、唯一の味方は、飼っている犬やネコだけだ」と思っている人たちも少なからずいるでしょう。たとえ世のすべての人があなたの敵であったとしても、あなたの創造主なる天の父なる神さまは、あなたが罪の故に滅びへ向かっている私たちのために、御子イエス・キリストを地上に贈ってくださって、私たちの罪の支払いを命をもって贖ってくださいました。それはあなたを一方的に愛しておられる故であることを知っていただきたいのです。
 「たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。」(詩篇27:10)まずは神さまと仲良くしてはいかがでしょうか?

心のオアシス 2019年5月12日

 「世界で一番大変な仕事」という人材募集の広告を見た人が興味を持ち、面接を受けました。しかしその条件を聞いて面接者は驚きました。それは到底やっていくことができない内容だったからです。これがその面接官からの仕事内容の説明です。
 「まずは仕事の内容からお伝えします。役職は現場総監督です。でも実際はその任務だけではありません。仕事上の責任はとても広範囲です。さらにほぼ全ての時間、立って作業をします。立ち作業とかがんだ姿勢での作業で、とても体力を必要とします。労働時間は週に135時間かそれ以上で、基本的に週7日、毎日24時間で、決まった休憩時間はありません。しかしこの仕事は合法です。ランチは食べることはできますが、全ての同僚が食べ終わった後にとります。この仕事は交渉力と交際力が求められます。そして私たちが求めているのは、医学と金融学と栄養学に通じている人です。しかも複数の役職を兼任することが求められます。常に周りに注意を払い、時には同僚と徹夜ということもあります。ひと時も寝ることなく、大変な仕事ですから、あなたのプライベートな時間は諦めてもらいます。事実上、休みなしです。特に大型連休、クリスマス、正月などの休日は、仕事量がもっと増えます。やりがいのある仕事でしょう? 寝ている時間もありません。1年365日なんでもやらされるということです。あなたが作る人間関係や同僚を助けるといったことは、お金に換算されません。ところで、あなたがこの役職で得られる給料は、完全にゼロです。完全無給です。現実に今もまさに、この職についている人は世界に何十億といます。」そこで、求職者が聞きました「それは誰なのですか?」すると面接官は答えました「母親です。」

 確かにお母さんの仕事は、なかなか評価されないばかりか、当たり前のように思われています。それ以上に神さまは365日、ひと時も休むことなく私たちを導いてくださっているのに、どれだけ見過ごされていることでしょうか。神さま感謝します! お母さんありがとう! 

心のオアシス 2019年5月5日

 乱暴に扱われ、傷だらけになったバイオリンのオークションが始まった。競売人は、時間をかけるのも惜しいとばかりに、高く持ち上げ、笑顔で言った。「さぁ皆さん、これはどうかな?」「誰から始めてもらおうか?」「1ドル」「2ドル!」「誰か3ドルはいないかね? 他になけりゃ、3ドルで決まるよ」しかし何の反応もない。その時、部屋の奥から、白髪の男が現れ、前に進み出て弓をとり、古びたバイオリンのほこりを払い、ゆるんだ弦を締め、澄んだ音色で、心に滲みるメロディーを奏で始めた。まるで天使が賛美歌を歌うようだった。演奏が終わり、競売人は、低い声で厳かに言う。「この古いバイオリンをいくらから始めましょう?」そして、バイオリンと弓を持ち上げる。「さぁ、千ドルだ。誰か2千ドルはいないかね?」「2千ドル!」「それ以上は?」「3千ドル!」誰かが叫んだ。「どうして、こんなに価値が上がったんだ?!」すぐさま答えが返ってきた。「達人(マスター)の技だよ」
 聖書の中に、道をはずれ、痛めつけられ、傷だらけになった罪多き女性のことが記されています。彼女は、古びて傷だらけになったバイオリンのように、人々からは最低の評価しかありませんでした。彼女は罪の現場で取り押さえられ、イエスさまの前に引き出されて、「この女は、生きる価値はないでしょう。律法によると石打ちが妥当だと思いますが、どう思いますか?」と問われました。イエスさまの答えは「あなたがたの中で罪のない者が石で打ちなさい」でした。結局、石を投げることができた者は一人もいませんでした。年寄りから石をその場に落として帰っていきました。結局、人の価値を決めようとしていた自分自身も、罪がないとは言い切れなかったのです。唯一罪のない、石を投げる権利を持っておられるイエスさまは、この女性に言われました。「わたしもあなたを罰しない。もう罪を犯さないように」これは「主にあっては、生きている価値がある」との発言だったのです。人間の価値が高まるのは、創造主(マスター)の業だということなのです。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43:4)

心のオアシス 2019年4月28日

 行き倒れの人を連れて帰ってきて手当てをしているマザー・テレサに向かって、「あなたのしていることは水の一滴のようなことだ。どうしてあなたは、もっと力のある社会に働きかけて、インドという国を良くしないのですか?」と尋ねる人がいました。その人に対してマザーは、「海の水も一滴の水から成り立っているのですよ」と答えたそうです。この言葉は、私にとって勇気と励ましを与える言葉となっています。
 一匹一匹のアリの作業を観察していると、とても大きなことはできないように思えます。砂の一粒を運んでいるアリ、パンくずをどこかで見つけて運んでいるアリ・・・でも、その積み重ねによって、地中に深く穴を掘り、いくつもの部屋を作り、そこで食べて生きているのです。神さまの目から見るならば、私たちの毎日の生活は、どのように映っているのでしょうか? 自分は大きな仕事をしていると思っていても、もしかしたら、神さまの目には、小さな砂の一粒を動かしているほど小さく映っているかもしれません。また自分は何もできない小さな存在だと思っていても、知らない間に神さまの大きな御業の一旦を担わせていただいていて、神さまが応援してくださっていることだってありえるのです。たとえ小さな存在であっても、誰の目にも届かない小さな働きであっても、その存在がなければ、大きな御業は起こらないのです。
 まさに聖書には、無名でありながら、イエスさまの働きに大いに貢献している人たちが多勢出てきます。国や社会を動かすことも、弱っている一人の人を助けることも、それは神の目には変わりないのです。そして、その存在とそれぞれの働きがなければならないのです。
私たちの毎日の祈り、生活、学び、仕事、何気ない会話も、小さなことですが、その積み重ねが、大きな働きへと変わるのです。教会は2千年間、コツコツと礼拝を守ってきました。しかし、それは今の時代の私たちにまで信仰の継承がなされるために大切なことでした。そして今の私たちの毎日が次世代へと続いていくのです。ありがとう!“平成”

心のオアシス 2019年4月21日

 今日はイースター。イースターとは「復活祭」とも呼ばれ、イエス・キリストが墓からよみがえられたことを記念する日です。アメリカの教会で、何年もの間、受け継がれてきた心暖まる実話があります。
 ある教会の日曜学校にスティーブンという肉体的も精神的にもかなりの弱さを持っている8歳の男の子がいました。イースターの前の日曜日に、その日曜学校の先生が自分のクラスの10人の生徒達に、空の卵の形をしたプラスティックの容器を渡しました。次の日曜日に、イースターの話に関連する物をその卵の中に入れてくるようにと課題を出したのです。次の日曜日に、生徒たちが持ってきたそれぞれの卵が開かれていきました。あるものには、命の性質を示す小さな花が入っていました。他のものには、墓からころがった墓石を意味する石が入っていました。他には色紙のチョウチョウが入っていました。それは私たちの中で起こるキリストによる生まれ変わりを表していました。そして先生はスティーブンの卵を開けました。それには何も入っていませんでした。他の9人の生徒はそれを見て笑いました。先生はスティーブンが宿題のことを理解するのが困難であることを知っていましたので、何も言わず、すぐに次の卵を開けようとしました。するとスティーブンはそれに割り込むようにして言いました。「先生、ボクの卵を飛ばさないでください。」先生は答えました。「だけどあなたの卵は空っぽですよ。」その時スティーブンは自信をもって言いました。「その通りです。その卵はイエス様の墓のように空っぽなのです! これは全ての人のための新しい生命を意味しているんです!」その年の夏、スティーブンは体の状態が悪くなって召されていきました。葬儀には何百人という人たちがきましたが、棺に入れられた10個の空の卵の形をした小さな容器の意味を知っていたのは、9人の子供達と日曜学校の先生だったというお話。
 イエスさまは今も生きておられます! ハッピー・イースター☆

心のオアシス 2019年4月14日

 1860年代、米国シカゴにホレーショウ・スパフォードというクリスチャンの実業家がいました。彼の事業は大きな成功を収め、愛する妻、息子、4人の娘たちと幸せな家庭を築いていました。通っている教会においても大きな貢献をしていました。
 1871年。そんな幸せに満ちた彼の家庭に悲劇が訪れました。シカゴの大火事によって息子を失い、彼の事業にも大きな損害を受けました。しかしそんな状況に追いやられたにもかかわらず、彼と妻は大火によって被害を受けた人々のために財と時間を費やし捧げ、多くの人々に助けと励ましを与えました。
 ある時、彼と家族はヨーロッパで休暇を過ごすために汽船を予約しますが、スパフォードだけが仕事の関係でやむなく別の便でヨーロッパに向かうことになりました。先にヨーロッパに向かった彼の妻と娘たちを乗せた汽船は航海中に船と衝突し、彼の妻は救助されましたが、娘たちを全て失いました。
 スパフォードはその悲報を受けて妻の待つヨーロッパに向かい、航行中の汽船のデッキから娘たちを呑み込んだ海を深い悲しみの中、見つめました。そんな悲しみに打ちひしがれた彼の心は誰にも慰めることは出来ないはずでした。しかし大海原を見つめる彼の心を驚くほどの平安が包み込み始めたのです。「愛する娘たちとは再び天国で必ず会える!」その慰めを直接神さまから与えられました。そしてその時に書き記した詩が、教会で愛される讃美歌となったのです。

 安けさは川のごとく 心 浸す時 
 悲しみは波のごとく わが胸 満たす時 
 全て 安し 御神 共にませば     (聖歌476番)

 人はその意のままに神が動くことを奇跡と呼びますが、本当の奇跡とは、神の意のままに人間が従うことをいうのです。