礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2019年9月1日

 榎本保郎先生は、一日一章の書物の中で以下の内容を書いておられます。一部を抜粋します。
「私たちが神に用いられるとき、持っている以上の働きをすることができる。将棋の名人が優勝するのは、将棋の駒がりっぱだから優勝するのではない。駒の良い悪いではなく、さし手がじょうずかそうでないかで決まるのである。私たちは駒である。私という単なる人間の感情や利害や思いで進んでいる間は、その駒がたとえどんなに高価なものであっても、決して勝利できないのである。逆に、紙に書いて作ったような駒であっても、名人がそれを進めていったならば、勝利することができるのである。大切なことは、誰に進められ、誰にさされて自分の人生を歩んでいくかということである。この決断こそ私たち人間の責任なのである。 駒はさし手のままに進まねばならない。時には敵の陣地に乗り込み、犠牲になることがあるかもしれない。それでも良し、と絶対にさし手を信頼していかなければ、私たちはその栄光にあずかれないのである。だから与えられた確信というものをしっかり持ち、最後まで持続することが最も大切なのだと、御言葉は教えているのである。」
 私はいつもこの文章に励まされます。人はこの世で、沢山のよろいかぶとを被って、自分を大きく見せながら生きています。自分の立場や持ち物を誇りながら、それを活力にして生きています。世の価値観がそうなので、そうでもしなければ生きいけないのでしょう。しかしながら、持てる物にも限界があります。この世の誇りで死の壁を乗り越えることは絶対にできないのです。どんな知者であっても、金持ちであっても、権力者であっても、必ず死ななければなりません。死亡率100%です。そこは万民平等なのです。誰があなたの人生のさし手でしょうか?
 先日、ある方が「自分は神なしでも、何の問題もなく順風満帆に生きていけるではないか、と思って好きなことをして生きていましたが、このままだとヤバいことになる、と怖くなりました。自分の空洞を一生懸命、間違ったもので埋めようとしていましたが、埋めることはできませんでした。教会に来て、いのちが繋がりホッとしています。」と話してくださいました。
真の満足は、人の霊の空洞を神の霊で満たすことで与えられるのです。

心のオアシス 2019年8月25日

 今から40年前に100億円を売る菓子屋になると宣言して、それをわずか10年足らずで達成された“銀座あけぼの”会長の植草三樹男さんの本を読んで感銘を受けました。このお方は大和カルバリーチャペルのメンバーで、とても気さくな楽しい方です。本のタイトルは「はじめに言葉があった」で、ヨハネ福音書1章の御言葉をモットーに会社を導いておられます。この本から二箇所抜粋して以下に紹介します。
 
 すべての創造主である神様のやることを、私たちはやらせていただいているのです。そういう姿勢で経営することが、結局は会社を永続的なものにしていくことにつながると思っています。たとえば、時代が変わって、今までの「やり方」が通用しなくなることもあるでしょう。でもそういう時こそ、自分の原点に立ち返れば、そこからまた「やり方」を導き出せるのです。この原点ともあり方ともいうべきものを自分自身がしっかりと持っていないと、目先の損得に走ってしまい、迷走することになります。私にとっての原点とは、つまり神様のやることをやらせていただくことなのです。

 以前、こんなことがありました。長い間ずっと業績のあがらない店舗が、ある時ぐんぐんと売上げを伸ばし始めたのです。それで何があったのかと店長に聞いてみると、「お客様に笑顔で挨拶をするよう心かけました」と言うのです。でも、それ自体はお客様商売として当然のことです。では何が違うかというと、店長はこう説明してくれました。「今までは、買ってくれたお客様に対して、笑顔でお礼や挨拶の言葉をかけていました。でも今は店の前を通り過ぎる人にも等しく笑顔で『こんにちは』『いらっしゃいませ』って挨拶を続けていたら、売上げが見違えるほど伸びたのです」これはとても大きな気づきです。ずっと結果が出なかった店舗を任されて、自分なりに苦しい時期もあったと思います。しかし、定年が見えてきた頃に、「自分から変わる」ことに気がついたのでしょう。それが「お店から変わる」という「やり方」になって表れたのです。今までやれていなかったことをやり続けた結果が、数字になって表れています。                

心のオアシス 2019年8月18日

 先日、ある親御さんとお話しをする機会がありました。その方は、自分の娘さんの普段の生活態度、受験や将来のことを心配し、このままだとニートになってしまうし、あの子ならなりかねない。本人に注意すると反発されると悩んでおられました。ところが数日前にリビングライフでデボーションをしていた時に、親である自分に問題があるのではないか?と気づきが与えられたそうです。しかし、次の一歩をどう踏み出せばいいのか分からなくて相談されました。私は、「悩んでいるのは、子どもが親の願いを実現できないからではないですか? ニートはダメという親の側の先入観や都合で考えていませんか? ニートになることを奨励するわけではありませんが、私なら、『たとえあなたが勉強しなくてもニートになったとしても、あなたのことは愛しているからね』と子どもに伝えると思います。教育も大切ですが、親が子どもにできることの中で一番しなければならないことは、愛育だと思います。イエスさまは、『空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。』と言われたではないですか。もし信仰があるならば神さまに委ねる方が断然楽になれますよ。」と話したところで、ハッと何かに気づかれ、荷が軽くなったとお話しされました。そして「今日から変わります。約束します。」に謙遜に応答され、その日の夜に早速、娘さんを抱きしめて話したとの報告をいただきました。決心の告白に聖霊さまが助けを与えてくださっていることを感じました。
 渡辺和子さんが「挫折のすすめ」という文章の中で、希望する小学校に不合格、専門学校も第二希望になり、献身するときも、強く希望していた修道院に入るためにフランス語も学び、母院に1ヶ月半も滞在するほどの思い入れようだったのですが、時が満ちいざ入会する段となった時、かわいがってくださっていた管区長の任期が来て、後任の面識のない管区長に見事に入会を断られたとのこと。挫折を何度も味わったのですが、長い目で見たとき、第二希望の道で有難かったと思えるようになり「神の思いは、人の思いにあらず」という聖書の言葉が、本当にそうだと思えるようになったそうです。神の価値観に変えると楽になれます。

心のオアシス 2019年8月4日

 「自分を振り返る鏡」というタイトルの話があります。
 ある町に不満ばかりを言っている人がいました。誰も彼の不満や愚痴から逃げることはできません。ある日、彼は道で旅人に出会いました。やはりその旅人も、彼につかまり不満を聞かされました。「この町の人たちほど醜い人を見たのは初めてですよ。町の人たちはみな、人を助けることに関心がなく、利己的です。何より悪いのは、互いに中傷するのをやめないんですよ。」実は、その話を聞いていた旅人は、神の使いでした。神の使いは聞きました「それは本当ですか?」男は答えます「私の言うことが信じられませんか? ほらほら、向こうから歩いてくるあの男を見てくださいよ。名前は知らないけど、顔はよく知っています。あの切れ長の目、唇には貪欲があふれ、背中を丸めて、ずる賢くペコペコしています。歩いているというより、こそこそと這っているようですね。」天使が言いました「あなたの洞察力は凄いですね。その通りです。大変頭のよい方です。しかし、あなたには一つ見えていないことがあります。あれは鏡で、あなたが見ているのは、あなた自身の姿なのですよ」
 人は他者を批判する時、批判しているその人自身の嫌な部分を指摘しているに過ぎないのです。他者を批判して指さす時、その指はどこをさしているでしょうか? 人差し指は批判の対象者ですが、親指は天(神)を指し、残り3本は、自分自身を指しています。
 聖書の基本メッセージは、「キリストを信じたら救われる」ということです。それは、私たちが自分では背負いきれない罪の重荷を、イエスさまが身代わりになって十字架で命をもって支払ってくださったから、その事実を信じ受け入れるだけで救われるというシステムなのです。ところが「信じるだけで救われるなら、行動は伴わなくていい」と言い始める人たちが出てきました。それに対してパウロは「断じてそうではない!」、ヤコブは「行ないのない信仰は死んだものです」と反論しました。
 エペソ書2章には、「救われたのは信仰による。わたしたちは神の作品であって、良い行ないをするように造られたのである」と書かれています。神さまが、すべて造られた人間を、良い行ないをするようにプログラミングした」というのです。この世界は、わたしたち本来のあるべき姿に戻れば、上手くいくようにできているのです。神の元に戻ろう!

心のオアシス 2019年7月28日

 アップル社の設立者であるスティーブ・ジョブズ氏は、世界でも一番ビジネスに成功したビジネスマンの一人であると言っても過言ではないでしょう。そして世界で最も金持ちになれた人でもあるでしょう。彼が2011年に膵臓癌で亡くなるまでの名言は数多く残されていますが、最後に残したと言われる言葉を紹介します。
 「私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、仕事面をのぞくと、喜びが少ない人生だった。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていた有名になることや富は、迫る死を目の前にして色あせ、何も意味をなさなくなっている。生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。今やっと分かったことがある。人生とは富に関係のない他のことを追い求めたほうが良い。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。神は、誰もの心の中に、愛を感じさせるための感覚というものを与えてくださった。あなたの家族のために愛情を大切にしてください。あなたのパートナーのために。あなたの友人のために」・・・彼が様々な場所で講演する際、自分の知恵や経験値から、ビジネスで成功するための極意を数多く話していましたが、死の壁を前にして、結局彼が追い求めてきたものは、間違いだったと言ったのです。
 アップル社が業績を伸ばせた一因は、小売部門を牽引していたロン・ジョンソン氏がいたからだと言われています。彼は教会の日曜学校の教師でもありました。彼のモットーは、「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコ12:31)という聖書の言葉だそうです。ジョブズ氏が癌の告知を受けた時、休暇中の彼にロン氏は、一つだけこうアドバイスしたそうです。「スティーブ、君ほど頭のいい人間は、永遠について時間をかけて考えるべきだ。永遠は存在するのか否か、永遠とはどういうものかということを。分かり切ったことだ、と思わないことだ」と。このメッセージをジョブズ氏がどのように受け止めたかはわかりませんが、影響を受けたことは間違いないでしょう。自分の知恵知識はこの世だけのものですが、神の知恵は永遠に関係するものです。神の知恵をいただきたいですね。

心のオアシス 2019年7月21日

 私が尊敬している牧師の中に、故ハ・ヨンジョ先生がいる。韓国だけではなく、日本のキリスト教会でも幅広く受け入れられ、その功績は素晴らしい証となって残されています。「日本人を許さなかった韓国人の罪を許してください。」と日本中で謝罪され、この言葉に多くの日本のクリスチャンは感動したことでしょう。先生は、私が今お世話になっている衛星放送CGNTVを開局され、ツラノ書院を立ち上げ、数々の大きな働きをしてこられました。しかしながら、典型的な韓国人の持っている表向きの激しさはなく、元気でバリバリ仕事をこなすような方ではありませんでした。先生は若い日に病にかかり、8回の肝臓ガン手術と、週3回の腎臓透析を受けてこられました。生涯「総合病院」という別名を持って生きておられましたが、病のために精神的に弱くなった姿を周りの牧師や信徒たちに見せることはありませんでした。先生は病のために身体は弱っておられましたが、それによって謙遜を学び、病を通して神さまが働かれることを見たとご自身が証ししておられます。
 創世記に出てくるヤコブの11番目の息子ヨセフは、高慢で配慮することを知らなかった故に、上の兄弟たちから憎まれ、エジプトへ奴隷として売り飛ばされ、主人の奥さんに言いがかりをつけられ犯罪者として獄屋へ送られました。しかし、彼はそこで謙遜にさせられました。自分の人生は自分が切り開いているのではなく、主の手の中にあって、導かれているということを悟った彼は、エジプト王の夢の解き明かしをすることによって獄屋から出され、エジプトの大臣に昇進しても、兄弟たちを許し、兄弟たちが行なった悪さえも用いて、神は、後に起こるイスラエルを飢饉から救うために先に自分をエジプトへ送り込まれたのだと、発言するまでになりました。もし、ヨセフに「神の手の中にある」という信仰がなければ、このような発想は生まれなかったでしょうし、すぐに兄弟たちに仕返しをしていたことでしょう。信仰が人の中に入ると、マイナス的な出来事の受けとめ方が変わってくるものです。
 しかしながらポジティブ思考は信仰ではありません。信仰は、信仰の対象から与えられるものだからです。ポジティブ思考は自ら出すことができますが、信仰は神さまによってのみ生じることができます。是非、創造主なる神さまを求めてみてください。良きことが起こるでしょう。

心のオアシス 2019年7月14日

 巡礼中の二人の僧侶が川にさしかかり浅瀬を渡ろうとすると、着飾った娘に出会った。娘は、水かさが増した川を前に途方に暮れている様子だ。きれいな服を汚したくないのだろう。そこで、僧侶の一人が手間もなく、娘を背負うと川を渡り、向こう岸の乾いた土手におろしてやった。そして再び二人は旅を続けた。一時間ほど経った頃、もう一人の僧が文句を言い始めた。「女に触れるなんて、何てことだ。戒律に反するぞ。修行僧の掟を破るなんて、まったくお前はどうかしている」先ほど娘を背負った修行僧は並んで黙々と歩いていたが、とうとうこう言った。「わたしはもう1時間も前に娘をあの土手においてきたというのに、何でおまえはまだあの娘を背負っているのだ?」(「弾師の知恵」より)
 悔しい思いや、許せない出来事があると、相手や出来事によって心が縛られてしまうことがあります。実際には縛られていなくても、心が縛られてしまって、四六時中そのことによって自分が振り回されてしまうのです。悔しいと思いませんか? そこから脱する方法に関しては、積極思考や啓発的な読み物の中にいくつか紹介されています。しかし、そこには根本的な解決はなく、ただ自分に言い聞かせて説き伏せるしかないので、また思い出す度に苦い思いがフツフツと湧いてきます。私がこれまでに実践した中で、これを解決する最も効果的な方法は、神がすべての主権を持っておられることと、そして神が必ず公平にさばかれる時が来ると信じることです。そして自分自身も、本来は神の目には赦されるはずのない罪人なのに、赦されていることを自覚することです。
 ヤコブの11番目の子であるヨセフは、嫉妬からエジプトに売り飛ばした兄弟たちに対する苦々しい思いがいつもあったでしょう。それは、ヨセフが後の日にエジプトの大臣になり、それとは知らずに飢饉のために食料を求めにきた兄弟たちに対する態度からも分かると思います。すなわちヨセフは自分を明かさず、何度もいじわるとも言える言動を兄弟たちに行なっているのです。しかしそんな中で、四男ユダの犠牲的な姿に神の愛を見ました。ヨセフは、ようやく神の主権を悟り、自身を明かして言いました。「私を売ったことを嘆くことも悔やむこともありません。命を救うために、あなたがたより先に神が私をエジプトに送り込まれたのです。」 “神は私に最善しかされない”という信仰が解放の鍵です。

心のオアシス 2019年7月7日

 最近、個人的に旧約聖書のヨブ記を学んでいます。ヨブは地上における不条理を指摘しています。「かすめ奪う者の天幕は栄え、神を怒らす者は安らかである。自分の手に神を携えている者も同様だ。」(ヨブ記12章6節)ヨブを責める友人たちは、「悪者は必ず不幸な目にあっている」と言うのですが、そういう図式は現実の世界では当てはまりません。ヨブが言うように「荒らす者の家が栄えている」ということがあります。神を怒らせている者が安らかであるように見えることもあります。現実は悪者が栄えていることも事実です。終わりの時には公平なさばきがあることを聖書は教えていますが、それまでは単純に義人が栄え、悪者が廃れるという単純な公式ではない、ということをヨブは話しています。ヨブの落としどころは、悪者が栄えることも、自然界の法則も、すべては神の主権の中で起こっているということでした。自分には理解できなくても神が理解しておられ、御心がなされていることを受け止めることが信仰者のあるべき姿でしょう。それは“諦め”ではなく、神は最善に導いてくださるという“期待”の表れなのです。
 花売りのおばあさんがいました。人生の嵐をたくさん経験したためか、顔には深いしわが刻まれ、髪は真っ白で、背中は曲がっていました。しかし、花を売りながら笑顔を絶やしませんでした。彼女を見ていた人々は、その笑顔の秘訣が一体何なのか気になっていました。ある日、それを尋ねた人がいました。「おばあさんはいつも嬉しそうで、顔が穏やかなので、問題も苦しいこともなさそうに見えますね」おばあさんは答えました。「まさか。私だって心配事を積めば、トラック百台分くらいにはなるんですよ」「そうなんですか? では、なぜいつもそんなに明るく嬉しそうにしておられるのですか?」「聖書に、イエスは十字架につけられて死なれ、三日後よみがえられたとあります。ですから、私も苦しいことがあるたびに『私も三日だけ待とう。人生には苦難の金曜日だけではなく、復活の夜明けもあるのだから』と自分に言い聞かせるのです。そうやって三日じっと我慢して待つと、いつも主が喜びを与えて、良いことに巡りあえるようにしてくださるんですよ!」 

心のオアシス 2019年6月30日

 作曲家のメンデルスゾーンが、ヨーロッパ最高のオルガンがあるという聖堂を訪れた時のことです。彼はオルガンを一度演奏させて欲しいと頼みましたが、聖堂の演奏者は断固として断りました。「このオルガンがどれほど貴重なものかご存知ですか? この貴重なものを、誰にでも弾かせることはできません。」メンデルスゾーンは、しきりにせがんだ末、ついに許可を得ました。彼の指が鍵盤の上を走る瞬間、これまで聖堂の演奏者が聞いたこともない美しく壮大なメロディーが聖堂を満たしました。後にメンデルスゾーンの正体を知った聖堂の演奏家は、こう言ったそうです。「あなたがあの偉大な音楽家メンデルスゾーンなのですか。偉大な音楽家にオルガンに触れさせないようにするとは、私は本当に愚かでした。」
 自分よりも能力のある存在に人生を任せることができるなら、何も心配したり恐れたりする必要がないだけでなく、さらに大きな希望を抱き、さらに大きな夢を見ることができるでしょう。重要なことは、自分の才能や実力ではなく、「誰をつかみ、何に拠り頼むのか」です。自ら波を起こすことができなくても、大きく強い波がきたら、格好よくサーフィンすることができ、自ら風を起こせなくても、強い風が吹けば帆を空高く揚げることができるのです。
 今、KCFの礼拝メッセージでは、創世記から学んでいます。兄弟の嫉妬からエジプトに売り飛ばされ、奴隷になり、冤罪で牢獄に入れられ、忘れられたヨセフの人生は下降状態。這い上がることなんて不可能な状況でした。しかし、彼は腐ったりせず、ただ自分は神の手の中にあることと、“神の時”を信じ、その時その時の状況を受け入れて進みました。そしてある日、神の指が動き、崩れていたような彼の人生のすべてが繋がるかのようにして、一夜のうちに囚人からエジプト全国の支配者になりました。神が共におられることを信じることは、日々の力となります。
 私たちのすべきことは、ただ神が私たちの人生を神の御心のままに演奏されるよう、その席を差し出すことだけなのです。

心のオアシス 2019年6月23日

 マザー・テレサの『あなたの中の最善なものを』という詩です。
 
 人は不条理 非論理 利己的です
 気にすることなく人を愛しなさい

 あなたが善を行うと 利己的な目的でそれをしたと人は言うでしょう
 気にすることなく善を行いなさい

 目的を達しようとすると じゃま立てする人に出会うでしょう
 気にすることなくやり遂げなさい

 善い行いをしても おそらく次の日には忘れられるでしょう
 気にすることなくしつづけなさい

 あなたの正直さと誠実さがあなたを傷つけるでしょう
 気にすることなく正直で誠実でありつづけなさい

 あなたの作りあげたものが壊されるでしょう
 気にすることなく作りつづけなさい

 助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
 気にすることなく助けつづけなさい
 
 あなたの最善のものを世に与えなさい けり返されるかもしれません
 でも気にすることなく最善のものを与えつづけなさい

 この詩のような生き方を全うされたのはイエス様でした。不条理、利己的で、裏切る私たちを愛し続けてくださっています。主に感謝。