私たちは、様々な心配事や悩みがこの地上にはあります。しかし私は“神の視点”で生き始めると、楽になれることが分かってから、そのような物の見方ができるように努めるようになりました。そうすると悩みが悩みでなくなったり、聖書の世界も開かれるようになりました。
 マザー・テレサの言葉の数々にも、見る視点が変わると、こんなにも世界観が広がるのかと思わせるものが多い。その一つに、いろいろな団体から献金が届くようになって、マザーはスタッフと共に、その献金を、まず他の困っている宣教団体やミニストリー、診療所などへの献金として仕分けして、最後に残ったものを自分たちが建設しようとしている「平和の村」のための取り分にしようとしていました。ところが仕分けが終わると机の上の小切手は全部なくなっていました。そこでスタッフの一人がこう言います。「2000ドル寄付しようとしていたものを後回しにして、それを私たちの必要に用いましょう」しかし、マザーはこう言うのです。「そのまま送ってください。神さまは、せっかちじゃないから」自分を中心にした視点から物事を見ると、「早くしなきゃいけない」とか「絶対に完成しなければならない」と思いますが、神様視点だと「神さまは、せっかちじゃないないから大丈夫」となるわけです。
 古い言葉かもしれませんが、世の中では、「勝ち組」とか「負け組」と言いますが、何を基準にしてそう言っているのでしょうか? 恐らく、お金を持っている層と持っていない層を、そのように分けているのだというのが共通認識だと思いますが、ある時までは勝ち組でも、一夜にして数億円の借金を抱え込む人もいます。負け組でも一攫千金当てる人もいます。人生は何が起こるかわかりません。そんなことに一喜一憂するよりも、マザーテレサの言葉を借りるなら「神さまは成功させるために私を呼ばれたのではなく、従わせるために呼ばれたのです」という神視点に生きると、そんなことはどうでも良くなります。与えられたら感謝。無くても喜んでいることができる生き方こそが、私たちにとって本当の幸せな人生なのではないかと思うのです。