先日、ある親御さんとお話しをする機会がありました。その方は、自分の娘さんの普段の生活態度、受験や将来のことを心配し、このままだとニートになってしまうし、あの子ならなりかねない。本人に注意すると反発されると悩んでおられました。ところが数日前にリビングライフでデボーションをしていた時に、親である自分に問題があるのではないか?と気づきが与えられたそうです。しかし、次の一歩をどう踏み出せばいいのか分からなくて相談されました。私は、「悩んでいるのは、子どもが親の願いを実現できないからではないですか? ニートはダメという親の側の先入観や都合で考えていませんか? ニートになることを奨励するわけではありませんが、私なら、『たとえあなたが勉強しなくてもニートになったとしても、あなたのことは愛しているからね』と子どもに伝えると思います。教育も大切ですが、親が子どもにできることの中で一番しなければならないことは、愛育だと思います。イエスさまは、『空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。』と言われたではないですか。もし信仰があるならば神さまに委ねる方が断然楽になれますよ。」と話したところで、ハッと何かに気づかれ、荷が軽くなったとお話しされました。そして「今日から変わります。約束します。」に謙遜に応答され、その日の夜に早速、娘さんを抱きしめて話したとの報告をいただきました。決心の告白に聖霊さまが助けを与えてくださっていることを感じました。
 渡辺和子さんが「挫折のすすめ」という文章の中で、希望する小学校に不合格、専門学校も第二希望になり、献身するときも、強く希望していた修道院に入るためにフランス語も学び、母院に1ヶ月半も滞在するほどの思い入れようだったのですが、時が満ちいざ入会する段となった時、かわいがってくださっていた管区長の任期が来て、後任の面識のない管区長に見事に入会を断られたとのこと。挫折を何度も味わったのですが、長い目で見たとき、第二希望の道で有難かったと思えるようになり「神の思いは、人の思いにあらず」という聖書の言葉が、本当にそうだと思えるようになったそうです。神の価値観に変えると楽になれます。