最近、個人的に旧約聖書のヨブ記を学んでいます。ヨブは地上における不条理を指摘しています。「かすめ奪う者の天幕は栄え、神を怒らす者は安らかである。自分の手に神を携えている者も同様だ。」(ヨブ記12章6節)ヨブを責める友人たちは、「悪者は必ず不幸な目にあっている」と言うのですが、そういう図式は現実の世界では当てはまりません。ヨブが言うように「荒らす者の家が栄えている」ということがあります。神を怒らせている者が安らかであるように見えることもあります。現実は悪者が栄えていることも事実です。終わりの時には公平なさばきがあることを聖書は教えていますが、それまでは単純に義人が栄え、悪者が廃れるという単純な公式ではない、ということをヨブは話しています。ヨブの落としどころは、悪者が栄えることも、自然界の法則も、すべては神の主権の中で起こっているということでした。自分には理解できなくても神が理解しておられ、御心がなされていることを受け止めることが信仰者のあるべき姿でしょう。それは“諦め”ではなく、神は最善に導いてくださるという“期待”の表れなのです。
 花売りのおばあさんがいました。人生の嵐をたくさん経験したためか、顔には深いしわが刻まれ、髪は真っ白で、背中は曲がっていました。しかし、花を売りながら笑顔を絶やしませんでした。彼女を見ていた人々は、その笑顔の秘訣が一体何なのか気になっていました。ある日、それを尋ねた人がいました。「おばあさんはいつも嬉しそうで、顔が穏やかなので、問題も苦しいこともなさそうに見えますね」おばあさんは答えました。「まさか。私だって心配事を積めば、トラック百台分くらいにはなるんですよ」「そうなんですか? では、なぜいつもそんなに明るく嬉しそうにしておられるのですか?」「聖書に、イエスは十字架につけられて死なれ、三日後よみがえられたとあります。ですから、私も苦しいことがあるたびに『私も三日だけ待とう。人生には苦難の金曜日だけではなく、復活の夜明けもあるのだから』と自分に言い聞かせるのです。そうやって三日じっと我慢して待つと、いつも主が喜びを与えて、良いことに巡りあえるようにしてくださるんですよ!」