寒さが長引いたので桜の開花も遅くなっているが、この世界の動植物はその場の環境に従って生きている。寒さが長引けばそれに対応できるよう対処し、確実に春が来ることを信じて着々と準備をしているのだろう。私たちはどれだけ春ならぬ天国への準備をしているだろうか? 旧約から新約聖書の終わりまで一貫して伝えているメッセージの一つが「天上」である。私たちは本来「天」に属する者であって、この地上や肉は仮の宿で私たちはそこに生きる旅人・寄留者であると表現している。私は「この地上は天国予備校で、本番は天国から」と説明しているが、この認識はこの地上で私たちが受ける様々な困難や不条理を回避するために有益である。アブラハムもパウロもこの地上における楽園を待ち望んでいたのではなかった。やがて来る天を見上げて生きていたので、この世における問題を問題としなかったのである。この地上においては、忍耐や赦しを通して天国人としての人格を整えていく場所でもある。
 教会近辺に住む小学生は、様々複雑な家庭環境の中に置かれている子が多い。親の事情とはいえ、その子どもたちが犠牲になっている。私はそのような子どもたちにも聖書が示している“神の愛”や“天国”の希望が届くようと切に願い祈っているが、そのような中、教会に出入している一人の子がこんなことを話してくれた。「親が離婚したのでこの地域に引っ越してきて転校もしなければならなくて辛かったけど、それがなければこの教会に来ることはなかったので良かったです」私は涙が出るほど嬉しかった。この小さき者の心の置き所、休憩所、希望を与える場所として用いられていることを主に感謝した。
 アメリカのメトロ・ミニストリーの創設者であるビル・ウィルソン牧師は12歳の時に母親に捨てられた。一人のクリスチャンに拾われて助けられ、その経験を通して貧民街で子どもたちを助ける働きをするようになった。今では世界最大の日曜学校に成長した。しかし彼は今でも送迎のバスの運転手をしている。何故? 彼曰く「自分が拾われて助けられたように、同じような境遇の子が自分だと思い拾っているのです。」