私たちの教会には大学生から中学生までの常連は10人ほどいる。それぞれ学年が違うので毎年受験生を抱える。本人や家族は当然ハラハラドキドキであろう。しかし牧師もかなり緊張している。「主の御心の道に進むように」と受験生にはお祈りをしているが、心情的には「本人の希望する道に進ませてあげて欲しい」というのが親心ならぬ牧師心である。
 娘は大学受験で初めての挫折を経験した。第一志望が不合格となったのである。その大学は聖書信仰に土台していて、キャンパス内では学生たちが自主的に祈り会を行ない、英語での授業、就職率99%という当時の私たちにとっては理想的な教育を提供する場所であった。韓国の大学なので授業料なども安い。私にとっても娘にとっても「ここしかない!ここは主の御心の場所!」と人間的な確信を持っていた。韓国国内ではかなりの難関校であるが、外国人枠はほぼ内申だけで合否が決まる。しかし蓋を開けてみると落とされてしまった。もう日本の大学も受験期は過ぎていて、もうどこにも行く当てがなく娘は大泣きしていた。私は「“神の御心”の道に進みますように」と祈っていながら、“自分の御心”がならないことに落ち込んでいることを示され悔い改め、こう娘に言った。「ここは神さまが『違う』と閉ざしてくださったんだよ。ここよりももっとあなたに相応しい場所を用意してくださっているから神さまに信頼しようよ」その半年ほど前に、韓国の別の大学の学長が教会に来られたときに大学のパンフレットを私に渡してくださっていたのを思い出した。長い話を短くするとその学校の言語学校からスタートすることとなった。 
 そしてその結果はどうであったか・・・外国人寮は、9割が中国人で中国語か英語しか通じない。授業は韓国語。仕えていた教会は国際部で主に英語を使用。この環境の中で本人が望んでいた多言語の学習を日常の中で修得することができマルチリンガルになった。様々な人に対応する度胸もついた。当時仕えていた教会の長老さんから大学四年間分の奨学金が贈られ無償で学ぶことができた。娘曰く「自分の中の第一希望が落ちて良かった!」創造主を信頼するなら万事は益!道は開かれる。