花園チャペルを献堂してから早一年が経過した。振り返ってみると、2010年に関西での開拓を始めてから、神さまは様々な協力者を送ってくださった。その助け手の一人が吉松毅長老さまである。親子ほどの年齢ではあるが、私を立てて謙遜に神さまに従ってきてくださる姿は信徒の模範でもあった。聖書通読を何回もされ、また二箇所で行なっていた礼拝に自発的にどちらにも参加され応援してくださる。堺チャペルの開拓が始まった時には、誰もPA(音響)を準備することができる人がいなかった。最初の数回、私が音響の準備をしている姿を傍に立ったままジーっと観察しておられた。東大阪の午後の礼拝が終わって午後4時半ギリギリに到着することもあって準備がままならなかったが、音響は複雑なので誰にも頼める人がいなかった。しかし数週間後からは私が到着した時点ですべての音響が音を出せる状態になっていた。私のギターもケーブルがちゃんと繋げられている。長老さまは私がしている作業を見て覚えられたのである。車屋さんだったので機械には知識がおありだとは思うが音響はまた別ものである。もう脱帽する思いである。私には何も要求されたことはなかったが、ある日「先生、一つお願いがあるのですが、先生への謝礼があまりにも低すぎます。もっと上げるように誰に頼んだらいいのですか?」とおっしゃられた。「高給アルバイトをしているので大丈夫です」と言ったが納得されずその後も数回お願いされた。教会メンバーが少なくなったという理由で牧師の謝礼をカットする教会は多い中、長老さまのお気持ちと愛に応える牧師にならなければと決意を新たにしたのを覚えている。そんな長老様は昨年12月14日86歳で天に召されていった。寂しくはなったが天国での再会を楽しみにしている。お別れ会をしながら私も年を重ねたら愚痴っぽい頑固おやじにならないよう気をつけ、若者を助け励ます者になりたいと切に願った。
長老さまの恵まれた人生を目標に新しい年を歩みたい。栄光在主。