上皇后の美智子さまのご実家は敬虔なカトリック信者で、本人もミッション系の学校を卒業しておられるので聖書的な考えで発言されることも多々ある。数年前、乳がんの手術やホルモン療法を受けられて、その副作用と思われる手のこわばりがあったり大好きなピアノも思うように弾けなくなっていらっしゃるようだ。その現実をこのような思いで受け止めておられる。
「今までできていたことは、“授かっていた”こと。
今のできないことは、“お返しした”こと。」
これは私も一生心に留めておきたい言葉だと思った。聖書のヨブ記の中に、「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(1:21)という言葉がある。私たちの肉体も家族も友人も仕事も家も経済のすべては、この地上で生きることができるように神さまが与えてくださったものである。何一つ天国へ持って行けるものはない。すべては神さまからの借り物であると考えることができたら、美智子さまのような悟りが与えられる。だからこそこの地上で与えられているタラント(授かったもの)の使い方が問われる。肉体も神さまからお借りしているものであるなら大切に扱うべきだと思う。そして神さまが喜ばれるために用いるよう心掛けるようになる。そしてタラントを増やして主にお返しする。これがこの地上で私たちが委ねられている使命である。できなくなったことにとらわれず、今まで楽しませてもらったことに感謝しつつ神さまにお返ししていくのが私たちの人生だと考えるならば、 何も悩むことはない。
私は四捨五入すると還暦になるが、やはり若い頃できていたことができなくなってきたり、体力の衰えを感じたり、老眼が進んだり、色々と支障が出て来る年齢になった。預けられたものを感謝しつつ預けてくださったお方のために精一杯用いて、時がくれば感謝しつつ返納していく。この心を持ち続けることができたら、いつも喜んでいることができる。