花園チャペルが完成して最初の入堂式礼拝を行なったのが丁度1年前の10月16日。当日の礼拝直前にサタンの攻撃であるかのような妨害があったが、式中神さまに賛美の拍手をしている間に、私にとっては珍しいことであるが、ものすごい形相をした悪魔がもがきながら奈落の底に落ちている幻を見た。その入堂式の終了する頃には問題は落ち着き、それ以降トラブルは全く解消された。つい先日もその問題となった人と教会近くでお会いしたので挨拶すると笑顔で30分も立ち話をされた。
この一年間振り返ってみると、サタンの様々な企てがなされていたようであるが、すべてが失敗に終わっている。主が戦っていてくださった。関西カルバリー丸に乗っておられる方々の熱き祈りと信仰とご奉仕、捧げものによって支えられている。これからも主が船長であり、そこに信頼する人たちがいる限り揺すぶられることはない。
先週は献堂一周年記念聖会で、講師として立てられた倉知契先生(瀬戸CC)によって、「イエスはサマリヤを通過しなければならなかった」(ヨハネ4:4)の箇所から、「主はこの花園の地に教会を建てなければならなかった」とメッセージがあり、私たちの存在の認識を新たにすることができた。ここに集まる人たちのために神さまが建てられたのである。
まだ土地を買う話題さえもなかった4年ほど前に、リビングライフの巻頭言を依頼され、こう書いていた。「私たちの教会は、まだ自分たちの会堂を所有していません。財力もありません。しかし、神さまが計画されているならば、いとも簡単に会堂が与えられると信じています。主が共におられれば、小さな群れでも大きなことが起こるのです」。会堂が建つことによって私が信じていたことは真実だったことが証明された。私たちの足りない部分を、神さまが様々な方法で補ってくださった。主と共に歩む人生は、恵みが付いて回る。人はどうして神さまを抜きにして歩もうとするのだろうか? 勿体ない話である。
確かに主は意図して教会を建てられた。応える生き方をしたいものだ。