花園チャペル周辺地域に何か貢献できないかと考え、先日、小学生の登下校時の見守りボランティアをしようと近所の小学校の校長先生と教頭先生にご挨拶に行った。校区が広くて700名も生徒がいる小学校だが花園チャペルが建って1年間にすでにその1割が教会に出入している。挨拶が終わった時に丁度チャイムが鳴って、生徒たちが帰る時間と重なった。校長先生と共に生徒たちに声をかけながら見送らせていただいていたが、子どもたちが恵先生と私を見つけて群がってきて、「一緒に帰ろう」とせがんでくる。この光景に校長先生は驚いておられたと思う。
 前にも書いたが、平日にも花園チャペルには子どもたちが遊びにくる。人間的には執務中だと相手をしたくない時もあるが、長い目で見る種まきだと思い受け入れる。日曜日の午前と午後の礼拝の最初の賛美の部分に10名前後の子どもたちが座っていることが多くなった。途中から別室で子どもの集会をしているのだが、何も知らない子どもたちは会堂でおしゃべりしたり立ったり座ったりと落ち着かない子もいる。牧師としては「もう会堂に入らないように」と言いたくなるが、イエスさまに近づいてくる子どもたちを拒否する弟子たちに、「イエスは憤り、彼らに言われた、『幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない』」(マルコ10:14~15)の聖書箇所がすぐに私の心を駆け巡り拒否する気持ちを抑えることができる。私は子どもたちに対する重荷がこんなに与えられるとは思ってもみなかったが、日ごろから「神さまの道具として用いてください」と祈っている通りにならなければならないと自分を戒め、今まで人任せであった子どもたちの名前も覚えて祈るように追い込まれている。
 そのような中で、近所の小学6年生の女の子がクリスチャンではない保護者の許可を得て本日受洗する。最初は遊ぶために来ていたが、献堂してから1年近くほぼ毎週通ってきた。ただただ嬉しい。栄光在主。