関西カルバリーフェローシップの新会堂・花園チャペルを使用し始めてから早9ヶ月。すべての季節を通過しないとわからないことも沢山ある。PA機材は夏場注意しなければならないこともわかった。夏冬は当然のことであるが電気代がハンパないこともわかった。では1年経過したら全部把握できるのか?と言えばそうではない。何年かすれば経年劣化していくものもあれば故障も起こるだろう。これは建物だけのことではない。私たちの人生も50年生きたら、ある程度のことは対処できるようになるかもしれないが、なかなか上手くいかないこともある。10代は10代なりに80代は80代なりに、どの年齢層も新たな問題は付きものである。でも崖っぷちに来た時に、助け求めることができる存在がいる人は幸いだと思う。
 先日ドイツのルディガー牧師の証しを聴いた。様々な教会の問題などを経験して、もう牧師を続けていくことはできないと思っていたが一人の人物を通してそれを思いとどまることができた。ある日、信頼できるインド人のクリスチャンの友人に悩みを打ち明け「過去40年の自分の人生に欠けているものは何だと思う?」と質問すると彼は「それは簡単だ。信仰が足りないんだよ」と答えた。「冗談だろう? 自分は牧師だしイエスさま大好きだし、信仰を知ってるし、それについて説教もするし信仰の定義も知っている。信仰が無いなどと言わないで欲しい」と内心思いつつ「それはどういう意味?」と問うた。すると彼は「イエスさまを愛しているかの問題ではない。主を信頼しているかの問題だ。主には本当に全てのことができると信頼しているか? 君がコントロールしないで主にそれを委ねることができるか?」と言ったのです。「確かにイエスさまを愛することにおいては問題なかったが、神が成し遂げてくださると、神を信頼する信仰が自分にはなく自分でコントロールしようとしていたのです。」と述懐されていた。教えられる内容である。
 私たちの教会には年代別の会などはなかったが、本日初めて学生会が発足する。若者たちの中にも主を信頼する者が多く起こされますように。