昔床屋さんだっただろうか、店主とお話しする機会があり、会話の中で「牧師さんって、儲かりますか?」と聞かれたことがあった。商売人らしい質問に吹き出しそうになった。なぜならあまりにも次元が違いすぎるからである。恐らく日本の牧師の中で金儲けのために牧師になった人は一人もいないであろう。なぜならその9割以上は自分の仕事を持ちながら、またはアルバイトをしながら牧会しているケースがほとんどだからである。礼拝出席人数が平均約20名そこそこと言われる日本の現状では一人の牧師を支えることもできない。では何故献身するのか? 私は「この不動の喜びと安息を他の人にも知って欲しい。そして幸せな人生を送って欲しい」と願っているからである。生きていくことに何も希望を見出せなかった私が、希望を見出し、どんな困難があっても主にあってどうにでもなることを経験し、死んでも天国に行ける確信がある安定した恵みが与えられたことを伝えたいだけなのである。自己分析すると、サービス精神が旺盛なのかもしれない。よくテレビなどで、採算度外視したお店が紹介されたりする。どう考えてもお店の利益はないと思えるようなサービスが提供される。店主曰く「お客さんの笑顔や喜ばれる姿が見たいから」。まさにこれに似たような気持ちである。教会に来られた人たちから「イエスさまを信じたい」「イエスさまを信じて、私の人生が好転しました」「問題を乗り越える力と勇気が与えられました」などの声を聞くだけで、牧師を辞めることができなくなるほど嬉しくなる。
来週17日(祝月)には関西カルバリー開拓13周年記念イベントが開催される。今まではほぼイベント無しで教会は成長していったが、東大阪の花園の地域に新しい会堂が与えられた今、用いていかなければならない。これからも私たちの教会の存在を通して、主が確かに生きて働いておられることを証しできればと願わされている。その為には、“私たちの願い”ではなく“神の願い”が実現されることを切に求めていかなければならない。
「望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。」(ローマ12:12)