最近、過去の「心のオアシス」を読み返してみることがある。それによってその当時の教会の歴史を思い出したり、自分の信仰の在り方など再確認できて恵みを受けることが多い。以下は今から5年前のコラム。 
先日役員会で「これからの関西カルバリーフェローシップの自分たちの教会堂をどうするか・・・買うか、広い場所を借りるか、今の建物をリフォームするか・・・」ということを話し合っていた時に、おもむろに長老さんが、「でも、開拓8年目で、もう会堂のことで悩むなんて凄いことですよ!」とおっしゃいました。私もその言葉にハッとさせられました。振り返ってみれば、8年前に教会をスタートした時は、聖歌隊が結成することすら夢のまた夢、会堂なんて夢にも出てこない状況でした。今は協力伝道師、そして新しく補教師まで加わるまでになりました。どうしてここまでなったのかは私にもわかりません。チョー先生が言われるように「聖霊さまの御業」としか言いようがないのです。
 私たちは神さまにベストを尽くしますが、事を成してくださるのは、神さまです。だから心配無用。現実は、教会堂を建てるには経済力はまだまだです。でも、神さまが必要とされるなら、いとも簡単に与えられるでしょう。今までがそうでしたから。必要とされなかったら別の道を望んでおられるということだと思います。イスラエルの民も天幕(簡易テント)生活でしたから、建物に固執することはないとも考えています。
 「マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。」(マタイ27章61節)主語が複数なのに「すわる」は単数形なので、「墓に向かって祈っていた」とも解釈されます。どんなに大きな墓石のような問題でも“祈り”によって開かれていくのです!祈ろう!
              (2018年4月8日「心のオアシス」)
 なんとこれを書いた4年後に土地を購入し会堂が建った。経済力がなくても“神さまが必要とされるなら、いつも簡単に与えられる”信仰に、主が答えてくださった形だ。再度宣言します。「だから心配無用!」
 このコラムをまた5年後に読み返してみたい。何が起こるか楽しみだ。