先週、花園チャペルのフェローシップルームで小学生たちが、かき氷を作り販売した。これは夏のキャンプ費用を補うために行なった小学生アルバイト企画である。堺チャペルの小学生も親に連れられ加わってくれた。勿論大人たちの背後の援助があってこそだが、それぞれが自分の役割分担を担い協力しあっていた。ここ数年できなかったことができるようになったことと、老若男女が集まってそれぞれが楽しんでいる姿を見ること、そして新会堂の機能が発揮し始めたことが、牧師にとって何よりも嬉しいことだった。
私たちは当たり前だと思っていることが当たり前でなくなった時に、初めてすべては恵みだったのだと気づかされるものである。会堂が与えられていることも、使用させていただいていることも、“神の恵み”以外何ものでもないと思わされる昨今である。昔、杖をつきながらヨタヨタと教会に来られているおばあちゃんが、「動けなくなってから後悔しないように、歩ける間は教会へ出向くことを心がけているのです。」と言っておられたことに感銘を受けたことがある。瞬間瞬間を悔いが残らないように全てに感謝しながら歩んで行きたいと願わされる。
先日の礼拝の特別賛美の歌詞に感動した。
「恵み/Grace」。
①築いてきた我が全て 過ごしてきた過去の日も 歩んできた道のりも
当たり前でなく恵み 朝日が昇り夕暮れ 春の花と秋の実も
移り行く季節さえも 当たり前でなく恵み
※すべて恵み 恵み 恵み 主の恵み
当たり前のことなど一つもない すべてが主のみ恵み
②この地に生まれ生くこと 幼き日から今まで息をし 夢見ることも
当たり前でなく恵み 神の子として生くこと
主を拝し称えること 福音を伝えることも 当たり前でなく恵み