人間の体は不思議で満ちている。例えば、ケガや病気になった場合、薬を服用しなくても、それらを治そうとする機能が備わっていて、意識しなくても身体に様々な変化が起こる。 これは自然治癒力や自己治癒力と呼ばれていて、神さまが人間や動物に与えてくださった免疫システムである。欠けがあれば、他の部分が補おうとするシステムも発動される。
 実は新約聖書の至る所に「教会はキリストのからだである」とある。「天と地は栄光、大空は御業をしめす」(詩篇19:1)とあるように、私はこの地上におけるあらゆるもの、またすべての法則の中に神さまの隠された奥義が表されていると確信している。完全ではないが親子関係の中にも神の人間に対する“無償の愛”を見出すことができる。結婚式は“花婿イエス・キリストと花嫁である教会の関係”を表していると聖書は示すが、純白のドレスを着る花嫁さんは罪汚れがない状態を示していて、躊躇なく花婿の前に進み出る様子はまさに再臨の時のキリストと教会を表している。そして身体の機能が、“キリストのからだ”である教会にも備わっていることをいくつも発見することができる。私はそれがわかってから、キリストのからだなる教会は、主の意志によって導かれ備えられていくので、気負わないで委ねる牧会をすることができるようになった。「もし必要であるなら神さまは人材や必要な資金を与えてくださる」というスタンスなので、「献金をしてください」というアピールもほぼしなかったが、志しが与えられた人が献げてくださり教会が建った。その他礼拝に集う人、祈りの人、音響に強い人、日曜大工ができる人、HPを作る人、音楽のできる人、捧げる人、おもてなしができる人など教会の欠けている部分を、祈り静観しているだけで神さまは自然と備えていってくださった。最近は「毎週土曜日にお掃除しにきます」と申し出られた方もいる。
 「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)