「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ福音書16章33節)
 イエスさまは、「これから勝ちます」「勝てると思います」と言われたのでなく「“すでに”世に勝っている」とおっしゃった。この地上においては“過去・現在・未来”という時間の時空の中で生きているので、なかなか理解できないことだが、“信仰”というツールを用いてイエスさまの言葉を受け止めるならば、現実的には、様々な辛いことや困難があっても、勝利している生き方をすることができる。その一つの例として、先日WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)という野球の国際試合で日本が優勝した。強豪国相手に勝ち進む“侍ジャパン”の各試合がテレビでも放映された。決勝ラウンドでは会場がアメリカに移され、時差もあって日本時間では午前中に試合が行なわれた。昼にはネットニュースで勝敗がわかるのであるが、それで日本が勝ったことを知った上で夜の実況放送を見た。“すでに勝利した”事実に基づいて試合を見ると安心できる。どんなに相手が優勢になっても、日本がチャンスを逃しても、全く動揺しない。なぜなら勝ちの結果がわかっている試合だからだ。
 私たちもこの地上では様々な壁にぶつかり悩むことは多くある。人生の断崖絶壁にいたとしても信仰をもって現実を見るならば、すでに勝利して乗り越えているわたしたちがそこにある。なぜならイエスさまは“死”に勝利して甦られたから。この勝利者なるお方が私たちの人生の“主”であり中心におられるなら、恐れることも悩むこともない。ただ勝利に向かって歩んでいるだけなのです。先週も「メッセージに勇気が与えられました」と伝えてくださる方がいた。信仰は気休めではない。私たちの現実に対するリアルな“力”なのである。だから心配無用。
 今週は受難週。イエスさまは勝利するために死なれました。