私たちの教会の堺チャペルには、岩男くんという青年がいます。
 2年ほど前の話であるが、礼拝の時ご機嫌斜めで、時折「ウォー」と泣き始めたので、会衆賛美の最中に私は彼の後ろに立って、そっと手を伸ばし肩に手をおいて、彼の癒しと祝福を祈りながら賛美していました。
 彼は現在25歳。重度の自閉症。意思疎通はできません。感情のコントロールもできないので、フラッシュバックが起こると大粒の涙をポロポロ流しながら突然声を上げて泣き出したりします。しばらくすると彼は落ち着き始めました。私は「岩男くん、辛いだろうな・・・自分の気持ちを伝えることもできない、したいこともできない。神さまは、どうして岩男くんをこのような形で生まれさせられたのだろうか?」と思いめぐらしていると突然、神さまの濃厚な臨在を感じ、このように語られた。「わたしは岩男を愛している。だからこそ彼はここに存在している。」それは何故、障がいを持って生まれさせられたのかという理由はなく、ただ「彼を愛している」と言われたのです。岩男くんのお母さんは、周囲に「この子は、私の宝です!」と言ってレストランIMUの店長をしながら施設には預けないで、彼と生活をつづけておられます。岩男くんを、このような母親の元に生まれさせられたのは、神さまの最大のご配慮であり、岩男くんに対する愛の表れであったことを悟ったときに、涙が溢れてきました。それはもはや、切なさではなく、神さまの愛の大きさに圧倒された故の涙でした。
 これを読んでおられる人たちは、確実に一人もこの神の愛から漏れている人はいません。あなたが生かされていることは、神さまの愛の証なのです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)【近放伝機関紙「福音の光3月号」掲載】
 キリストの福音が多くの人たちに広げられていきますように。