先日「心のオアシス」にも書いたアメリカ人の友人であるSteve Younceの告別記念礼拝が行なわれた。アメリカまで行けなくて残念だったが、私が彼のことを綴ったコラムをSNS上で見つけた遺族が英訳して、拡大してボードを作り、それに私たちの学生時代から4年前に彼が日本を訪れたときの私とのツーショット写真等を沢山つけて葬儀が行われた教会に置いてくださった。私はそのことを知らなかったが、葬儀に参列されたSteveの友人がその画像を私に送って知らせてくれた。私のせめてもの彼に対する感謝と想い出をご遺族や彼の友人たちに伝えることができてとても嬉しかった。今やSNSで発信したものが全世界に届いている。距離を感じない時代になりつつあるが襟が正される思いでもある。
 私は留学時代に毎年のように年末年始にSteveの家に招かれ過ごしていたので彼の家族とも親交があった。実は彼が事故死した4日後に彼の父親であるSamuelも84歳で天に召された。私は奥さまのDorothyにお悔みのメッセージを送ると、「主人と息子が亡くなったことは悲しいことです。しかし私の周りに助けてくれる人が沢山いて祝福されています。これは神さまのご意志で計画であったと確信しています。」と返答があった。信仰の人だと思わされた。そして私の方が励まされた。告別式の後、赤い服を着たDorothyを中心にその家族親族が一同に集まり、SamuelとSteveの好きだったボーリングを楽しみながら追悼している写真がアップされていた。恐らく“情”を大切にする日本人は、しばらく喪に服するのでしょうけれども、これは死生観の違いなのです。“永遠”を信じる者は、“死”は終わりではないので“薄情”だと思われるかもしれないが立ち直りは早い。私も彼の突然の死にショックはあったが、彼の母親の信仰の告白によってすぐに立ち直ることができた。Steveは、よく天国の話をしていた。「天国では言葉の壁はない。自由に時間制限もなく話せるよ」と。天国が今まで以上に近くなり楽しみになった。