ある少年が交通事故で左腕を失いました。ある日、少年は父親に柔道を習いたいと言いました。何かにチャレンジしようとする息子に感心した父親は、早速息子を教えてくれる師範を探し出しました。少年は週に3回指導を受けました。しかし、おかしなことに師範は柔道の基本動作のうち一つだけを練習させました。練習では、この動作だけを強調し、完璧になるまで練習するように言いました。2ヶ月後師範が試合に登録したことを伝えると少年は驚きました。「先生、ぼくはまだ習って2ヶ月です。できる動作も一つだけなのに試合ですか?」しかし、師範は頑としてその言葉を受け付けませんでした。そして試合の日、なんと少年は第1試合に勝ちました。そして驚くことに、第2試合も第3試合も勝ちました。少年は全く信じられませんでした。しかし、そこで終わりではありませんでした。少年はすべての予想を超え決勝に進出し優勝までしました。家に帰る道で師範に尋ねました。「一つの動作しかできず、しかも片腕のぼくが優勝だなんて、どういうことですか?」「君が優勝した理由は2つある。君が完璧に会得した動作は、柔道で最も強力な動作であることと、その攻撃を防ぐ方法は『左腕』をつかむことだけだからだ。」(「トニー・キャンポロの回復」トニー・キャンポロ著より)
私は毎週、講壇でメッセージさせていただくことや「心のオアシス」を書いていることを“当たり前”とは思っていない。勿論牧師としての職務としては当たり前なのかもしれないが、文章が書けない、人前で話せなかった男が、毎週それをしている。いいえ、「させていただいている」という方が正しい。イエスさまは、私たちの弱さの中に強さを与えると言われた。短所のように見えるものでも、天を見上げるとそれが長所に変えられている。実は毎日が奇跡なのです。会堂が与えられたことも目に見える大きな奇跡かもしれないが、息をすること、瞬きをすること、歩けること、寝ることができること、すべては神の奇跡なのです。
