先週、私にとって衝撃的なニュースが入ってきた。私が説教の中でも度々話してきた留学時代からの親友であったSteve Younceが、交通事故で亡くなったという内容であった。私がまだ英語力がなく会話もままならない状況で孤独を感じていたとき、彼の方から近づいてきて私と行動を共にするようになった。当時の私の語彙数は非常に少なく話す内容は薄っぺらなものだったが、彼はそこから話を広げて色々なことを話してくれた。私が理解できなくても面倒がらずにとことん付き合って説明してくれた。彼は私によく「天国では言葉の壁もなく、時間の制限もなく、自由に語り合うことができるよ」と話していた。在学中、クリスマスなどの休暇時期は、日本に帰れない私を家に招いてくれたことが何度もあった。お互い卒業後も数年に一度ほどの手紙のやり取りはあったが、パソコンが普及しSNSで繋がることができるようになり、メッセンジャーで近況報告をしあうようになった。2019年に、遥々アメリカから私に会うために日本を訪れて、石切チャペルと堺チャペルにも来て証をしてくれた。そして新会堂を建てることになった時にも大変喜んで、献金を送ってくれた。花園チャペルのワインレッドの屋根は、彼の捧げたものが充てられました。屋根を見上げる度に彼を思い出す。
彼の死を悼む友人たちがSNS上で彼のことをこのように表現していた。
 「Steveは、見知らぬ人でも困っていたら、いつも手を差し伸べてあげていた。彼には誰にも持っていない賜物が与えられていた。」彼は誰にでも“神の愛”を実践していたことがわかった。彼は数十年前から難病になった。しかし彼は『僕はこの壊れた体であっても大丈夫!いつか近いうちに新しい体が与えられます」と言っていた。今、彼はその完璧な体が与えられていることでしょう。彼の人生を誇りに思います。
 彼の生きざまから教えられたことは、人生の最後に残るものは、「どれだけ受けたか」ではなく、「与えてきたか」ということです。栄光在主。