「私の思い通りになったことは一つもなかった」という本の中に、著者がこう書いていた。「中高生のミニストリーをする中で、多くの子どもたちと過ごす中で確信したことは、「正しい答えによって子どもたちが変わるわけではない」ということです。どんな子どもも「しっかりしなさい」「勉強しなさい」と言っても変わりませんが、感動すれば変わります。悪い家庭環境で育ち、怒りをコントロールできず、事件や事故をしょっちゅう起こす子がいました。その子をわが家で寝かせたり、一緒に遊んだり、修養会や徹夜で祈ったりしても、全く変化が見られませんでした。ある日、警察署から電話がきて急いで行ってみると、その子が複数の人を殴ったというのです。前にも同じようなことがあったため、彼はすぐには釈放されず、数日間、被害者のところを回って謝罪し、ようやく連れ戻すことができました。今回は彼も申し訳ないと思ったのか、私に「ごめんなさい」と言いました。それを聞いて、私が『だいじょうぶだよ』と言うと、その一言でその子に変化が起こりました。どんなに祈っても何も変わらなかった子が、それを機に変わり始めたのです。」
 イエスさまは、その愛の言動によって多くの人たちに影響を与えました。「わたしを憐れんでください!」と叫びながら付いてくる女性に対して、イエスさまはユダヤ人が異邦人に対する対処法で対応していました。すなわち無視して、関わらず、相手にしなかったのです。しかし弟子たちが願った、叫ぶことを止めさせ、追い返すことはされず、叫ぶ(祈る)ままにさせられました。そしてユダヤ人が異邦人に対して表現する「野良犬」ではなく、家の中で飼う「小犬」と言われました。それによって家の中に入ることができない「野良犬」では諦めるしかない女性に道が開かれました。「小犬も食卓から落ちるパンくずはいただくことができます!」ユダヤ人だけが神に選ばれた民だと考えられていたが、この異邦人女性は、自分もその家の中にいることを確信したことでしょう。