受け取った年賀状の中に、「献堂前後に成された神さまの奇跡は、まだ関西カルバリーフェローシップで続いていますか?」との質問が多数あった。12年間の教会開拓の経験からいくと、信じられないことがずっと続いている。石切地域では、何千枚チラシを配っても、地元の人たちの教会への出入はほぼなかった。またキッズクラス(日曜学校)に新しい子どもたちを求めて試行錯誤してきたが根付くことはなかった。来られるようになったのは平均1時間ほどかけて来られる遠方の方々が9割強。この人たちの祈りと協力によってKCFは支えられてきた。昨年土地探しを始めた時から“地元の人たちも集まる教会”を祈るようになった。新会堂での礼拝がスタートしてから3ヶ月、定期的に出席される方々の中に地元の人たちが15名ほどもおられる。出入された方々を入れると何十人にもなる。その他日曜学校も6名ほどの近所の子どもたちが集まるようになった。開拓で苦労しておられる先生方の話を聞いて、私も同意してきたが、花園チャペルがスタートしてから、それらの話題を覆すような現象が起こっている。それは教会役員さんたちとも「何がどうなっているのか?」と疑問しか出てこない。私たちはこの地に置かれた神さまからの特別な計画があることと、そのための働きを担わせていただいているのだと自覚するようになった。では、全く実りのなかった時代は無駄だったのか?といえば、そうではない。神さまは短期間に何かをされるだけのお方ではなく、ある時には何十年、何百年もかけて着々と計画を進められることは旧約聖書を見ても一目瞭然である。私たちが諦めずに神さまに希望と期待を置いて歩み続けることができるかが問われている。
 イエスさまは娘が死んで途方に暮れる父親に対して「恐れることはない。ただ信じ続けなさい!」と声をかけられた。目に見える現実に一喜一憂してはならない。私たちが求められていることは、時が良くても悪くても継続して“主の道具”と成り切ることである。栄光在主。