先週23日に花園チャペルの献堂式を迎えることができた。遠くから近くから牧師先生方や献身者、宣教師の方々、応援お祈りしてくださっていた人たちが150人お集まりになり感謝が絶えない。私自身、未だに会堂が与えられたこと自体が夢のようで、この夢はまだ覚めていないような感覚でいる。恐らくエジプトから脱出したイスラエルの民の行く手を阻んでいた紅海が水垣となって乾いた土地を歩いた時も、夢の中を歩いているような気分だったのではないかと思う。計画立てながら進んでいたら、着々と進められていることに実感が湧くと思う。しかし突然予期しないことが目の前で起こると実感は湧かないだろう。“気持ち”がついていくのに時間がかかる。ずっと借り物の教会で場所を転々として、それが私たちの教会に委ねられた神さまのご計画だと思わされていたが、今年になって自分の会堂を所有している?! 不思議でしかない。
 まだ土地を買う話題さえもなかった3年ほど前に、リビングライフの巻頭言を依頼されこう書いていた。「私たちの教会は、まだ自分たちの会堂を所有していません。財力もありません。しかし、神さまが計画されているならば、いとも簡単に会堂が与えられると信じています。主が共におられれば、小さな群れでも大きなことが起こるのです」。
 私が信じていたことは真実だったことが証明された。手持ちも能力もなくても、神さまがお集めになり、能力ある人たちを送ってくださり、事を成し遂げてくださることを確信できるようになった。主と共に歩む人生は、恵みが付いて回る。どうして神さまを抜きにして歩もうとするのだろうか? 勿体ない話である。ダビデが「わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう」と唄った気持ちがわかるようになった。神さまにお委ねする人生の味を知ったら、もうそこから離れられない。離れたくはない。
 花園の地がその名のごとく、主にあってのオアシスとなりますように。