日本での教会開拓は大変だと考えられている。私もかつてはそう思っていた。しかしそれは正しい信仰と考え方一つで変わるものであることを実感している。まず何が“大変”の基準になっているかを考えてみると、多くの場合「人がなかなか教会に来ない」ことや「人数が思うように増えない」ということのようです。ある人が「ゼロからの開拓は、まず一人の人が救われるまでに数年かかり、それからそれなりに奉仕できるクリスチャンに成長するためには2~3年はかかるでしょう。そんな不効率なことをするのは時間の無駄です。」と言っておられる人がいた。確かに「人数」や「効率」で考えると、一人の人のためにそんなに時間を費やすのは無駄だと考えることは普通なのかもしれない。恐らく世の中で商売をしている人たちにとってはバカバカしいことだと思われる。しかし、宣教は商売ではない。“ベストを尽くして、結果は神さまにお任せする”これは私が教会開拓を始めたころに与えられた宣教の姿勢でした。牧師や伝道者がストレスになるのは、自己実現の教会を建てようとするからであって、神実現を願い始めると人数や現状が気にならなくなる。ある時から「神さまの計画が、もし一人の魂に福音を伝えることであるなら、そのことのために私を用いてください。教会に来られる人が一人であっても、神さまが私に委ねられた人たちにベストを尽くすことができますように」と祈るようになってからは、席に座っておられる人が数名でも感謝で、人数が気にならなくなった。自分たちの会堂がなくても羨ましいとも思わない。なぜなら神が私にそう望まれているなら、それが一番良いことだからです。そればかりか「主が望まれたら、たとえ手持ちがなくても会堂は簡単に与えられるでしょう」などと宣言していた。牧師は人が増えたり減ったりすることによって一喜一憂しますが、「主は与え、主は取られる」ことを受け入れるなら、有頂天になったり落ち込むこともなくなる。これが人生すべてに通じる心の姿勢です。