ある方が紹介してくださった素晴らしい言葉です。
 「まだ私が知らない素晴らしい人々が、ちょうど良いときに、ちょうど良い方法で助けてくれる。私は決して諦めないと約束しよう。助けはないが主が備えてくださると信じる。自分がまだ考えもしなかった所から助けを与えてくれるのだ。主のご計画をためすために、私の人生に何千人もの様々な賜物や技能や考えを持った人々を、主は送り込むことがおできになる。私の周囲にいる人々の顔を、目を見開いて見てみる。耳を開いてその人たちに耳を傾けてみる。今日、明日、来週、私が必要とするふさわしい人と私は出会う。その人はちょうど良い時にやってきて必要を満たしてくれる。そして私は、主が麗しく備えてくださったことを知って驚くのだ」
 この言葉を読みながら、自分の人生と重ね合わせても、同じように重なり合います。倒れそうになるときには、絶妙なタイミングで助け手が与えられ、自分の能力不足で崖っぷちに立たされても、必要なサポーターが与えられてきた。また一つの会堂が建てられるためにも、それなりの資金と知恵と知識と人材が必要だが、私たちの教会にはまさに一人残らず会堂を建て上げるために主が送ってきてくださった天使のような存在だと思っている。どう考えても、それぞれの賜物を主が集められたとしか考えられない。
 先週、ある男性が私に「先生の存在が嬉しいです。感謝しています!」と声をかけてくださった。「差し上げる物は何もないけど、どうぞお菓子でもコーヒーでもどうぞ」と照れ返しをしてしまったが、正しい返しは、「私もあなたの存在が嬉しいです。感謝しています!」であるべきだったと反省させられた。一人も漏れることなく主の計画の中で用いられています。そう、あなたもです!「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)