新会堂完成まで残り1ヶ月となった。会堂建築が、どれほど大変であり喜びでもあるかを実感させられた数ヶ月であった。あまりお付き合いのなかった牧師先生からもお声がけしてくださることが多くなったが、調べると、ほとんどが会堂建築の経験をしておられる方であることに気付かされる。その酸いも甘いも知っておられるからこそ“会堂建築”に反応し応援してくださるのだろうと感じている。私もこれからは、会堂建築をされる教会を見つけたら、心からのお祈りと応援をさせていただくことは間違いない。
 3年ほど前にリビングライフの巻頭言に文章を書かせていただいたことがあったが、最近それがネットに掲載されているのを見つけ読んでみたら、こんなことを書いていた。「私たちの教会は、まだ自分たちの会堂を所有していません。財力もありません。しかし、神さまが計画されているならば、いとも簡単に会堂が与えられると信じています。主が共におられれば、小さな群れでも大きなことが起こるのです。」これはまだ会堂を建てる話題すらなかった時期に書いたものです。手持ちは何もないが、神さまが計画されたら、簡単に会堂は建つ・・・よくぞ大胆な信仰の告白をしたなと思わされたが、それが現実のものとなっていることに驚きを覚える。確かに主が計画されたことであれば、石からでもアブラハムの子孫を起こすことができると言われているわけですから、私たちの側では持てるものは何もなくともそれは成就するのです。
 そう考える時に、神さまに委ね預ける人生ほど楽で安心できるものはありません。自分の側に立つと、自分のキャパシティー(容量)を超えると不安になったり恐れが生じたりしますが、神の側に立っていれば、問題の大きさに左右されることはなくなります。なぜなら神さまはその問題よりも大きなお方であることを知っているからです。現実に自分の願い通りいってもいかなくても、すべては主の手の中にあります。