新会堂の完成は1ヶ月半となった。基礎や柱が造られる段階では、外からでも見ることができたので、建て上がっていく様子が手に取るようにわかった。しかし屋根や外壁ができてから、中の様子がわからなくなったので、どれだけ進んでいるのか進んでいないのかを実感することができなくなった。外壁に変化がないので、工事をしていないようにも見える。ただ定期的に報告してくださるハウスメーカーさんからの進捗状況を信じるしかない。
 坂村真民(さかむら・しんみん)という詩人が「冬がきたら」という詩を詠んでおられるので一部を紹介します。
   冬がきたら 冬のことだけ思おう
   冬を遠ざけようとしたりしないで むしろすすんで 
   冬のたましいにふれ 冬のいのちにふれよう
   冬がきたら 冬だけが持つ 深さときびしさと 静けさを知ろう(中略)
   冬はわたしの壷である
   孤独なわたしに与えられた 魂の壷である
 この詩から教えられることは、冬は寒いから嫌だと拒否したり、逃避するのではなく、厳しい季節をも味わうことができるし、それを楽しむこともできるということであります。
 私たちにも、なかなか進展しない現実や、避けて通りたいような人生の季節を経験させられる時もあるが、全く何も進んでいないわけではない。水面下では、「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」(エレミヤ29:11)と言われる主の手の働きが着々と進んでいるのです。感じなくても春は確実に来ます。ただあなたの道を主に委ねるのみです。主を信頼せよ!