先日、安倍元首相が凶弾に倒れるという日本を震撼とさせるような事件が起こった。特に銃社会ではない日本において想定できなかったことが多くあったことでしょう。国内では問題も多く取り上げられてきたが、かつてないほど海外のリーダーたちからは惜しむ声が寄せられ、外国との良きパイプ役になっておられたことがわかる。世界を舞台に活躍しておられるシーンが映像で流される度に、今回の凶行は本人にとってどれほど無念だっただろうかと思わされる。しかし彼の死を無駄にしないためにも世界の人々が考えなければならないことがある。それはどんな人も、どんな形かはわからないが、人は必ず死ぬということです。そしてその時期は予測不可能ということです。しかし、もし聖書が示すように死後の世界が本番であるならば、そこに希望を置くことができる。
 教会メンバーの一人が書いた証しの一文に目が留まった。「定年を迎え・・・(中略)アップル社のスティーブ・ジョブズの例を挙げるまでもなく、財産や地位が幸せには結びつかないことが実感されるようになり、これまで何を思って必死に頑張ってきたのか、残された時間をどう生きればいいのか、虚しさを覚えるようになっていた。」多くの人は、ここに目を留めるべきなのに見て見ないふりをして騙しだまし生きている。実はこの世の幸せや満足は、天国で永遠に味わう幸せや満足の予表のようなもので、この世で一時的にだけ味わわせていただいているもので本物ではないのです。もっと言うならば、毎週日曜日に礼拝をしているが、これはある意味本番ではありません。天国で味わう霊的恵みのほんの一部分をこの世で垣間見させてくださっているだけなのです。天国では神以外に誰も地位や名誉を得る者はなく、寝ることも食べることもなく、疲れることも病気もなく、途切れることなく創造主を礼拝して、そこに永遠の幸せと満足を得るのです。どうして神を礼拝することで満足できるのでしょうか? それが人を造られた目的だからです。