中国の昔の話でありますが、後漢時代に楊震(ようしん)という人がいて、非常に高い地位にあった人物でした。この人があるところへ赴任した時に、下心を持った部下が挨拶に来てお金を贈りました。「どうぞこれをお取りください。もう夜ですから誰も知っている者はありません」と言いました。そうすると、この楊震は「いや、知っている人は少なくとも四人おる。天知る、地知る、子(し)知る、我知る」。天が知る、地が知る、「子」は「あなた」で、あなたが知る、私が知る。だから誰も知らないなんていうのはとんでもない話だと言って、その持ってきた人を戒めました。これを“四知(しち)”と言うそうですが、その通り知らぬ人はいないし、知っている人は必ずいるわけです。
これは悪い行いだけに適応できる言葉ではありません。善い行いも同様に、「四知」。日本には「陰徳」という人に知らせずひそかにする善行することが大切にされてきました。ちなみに「陽徳」というのもありまして、これは人が見ているところで徳を積むことをいいます。良いことをしたときに、「それ、私がやったんだよ!」と言うのが陽徳で、もちろん善いことをしている訳ですから素晴らしいことなんですが、もう一つ上の素晴らしさを感じるのが「陰徳」なのだと思います。ある方の言葉に「見て見ぬふりより、助けて助けていないふり」というのを聞いたことがありますが、まさしく「陰徳」の極みだと感じさせられます。誰かが困っていたら、率先して助けて、でも手柄は他人にあげてしまうのです。もちろんその行いも「四知」です。あなたが人知れず頑張っていることも、人知れず赦していることも、人知れず助けていることも、人知れず祈っていることも、人知れず捧げていることも、明らかにされないことはありません。
「隠れた事を見ておいでになるあなたの父は、報いてくださるであろう。」(マタイ6:6)「御霊も言う、『しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく』(黙示録14:13)