聖書の中には、それぞれのみ言葉の意味が真逆のように思われるものがいくつもある。だからこそ神学論争が起こることがあるのだと思う。しかし、体験を通して真逆だと思っていた両面がブレンドされて、どちらも神さまの目には正解ということが多々あるのだと思うようになった。例えば「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19:21)と「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(ピリピ2:13)の言葉は、それぞれ“神の主権”があることは共通しているが、人に願いがあっても神の願いが成る一方で、人に願いが起こりそれは実現される、ともある。これをどう理解すれば良いのか? 今回の会堂建築を通してこの両面を体験している。
 数年前からいつかは借り物の会堂から出なければならないことを想定して賃貸で場所を探し始めていたが、どこも私たちの教会の支払い能力を超えている賃料で諦めていた。一年前、いよいよ出なければならない状況になった。その時点では賃貸などの頭金などを見越して12年間貯めていた指定献金が2400万円。もう少し集まれば石切周辺の土地なら3000万円で得ることが出来るので、そこに簡易的な建物を建てて、経済が祝福されるようになってから会堂を建てても良いのでは?という案が浮上し私もそのつもりで土地探しを始めた。しかし良いと思える四ヵ所の土地がすべてダメになった。初期に見つけてはいたものの吉田駅から700mの70坪の土地は5400万円もして予算オーバーで候補の中に入ることはなかった。しかし去年暮れにメーカーさんから薦められ、会堂のためには最高の環境であることがわかり、去年の暮れまでには同額の指定献金額になっていて、それが“しるし”となり購入に至った。建築業者や設計事務所は7社ほど検討して最有力候補になったのが安価なモバイルハウスであった。ダイワハウスさんは候補としては最下位であったが60年保証がありながら、初めて教会を建てるということでサンプルケースに認定され驚くような割引価格になり建築をお願いするに至った。
 このように私たちの思いや願い通りではないのに、神さまの計画は着々と進められ、結果はみんなが満足する方向へと全てが導かれている。 
 私たちは主の絶妙なみ言葉のバランスの中に生かされているようです。