最近、教会建築をしたことのある教会の牧師先生方とお話しをする機会が多くなった。そこでわかったことは、教会はキリストの体だと言われますが、確かにそれぞれの教会には、神さまが成しておられる様々なドラマがあるということです。自分たちの教会だけが祝福されるように願うことは、大きな間違いである。神さまはそのお体となる教会を愛しておられ、どんな教会であっても祝福しようと願っておられる。一つの教会が痛めば、他の教会は悲しみ祈るべきであるし、一つの教会が喜べば、他の教会も共に喜び感謝すべきです。教会の中においても、“喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く”ことが本来あるべき姿だと思う。
先日、友人牧師が新会堂建築のための打ち合わせに参加してくださり、PAや照明、舞台のことなどアドバイスくださった。素人とはいえ、プロ並みの知識がありメーカーさんも驚いておられた。自営業をしておられるが、「今の時期は丁度閑散期なので、いつでもお手伝いできますよ」と申し出てくださり、様々なことを計算しながら機材選びをしてくださっている。大変心強い。自分の教会でなくても、我が事のように喜んでお手伝いくださっている姿に、私も牧師としての在り方を教えられた。
資本主義社会は、人と比べながら切磋琢磨しながら生きるという社会構造になっているが、そこには嫉妬や妬みなどの醜い面が必ず出てくる。では共産主義が良いのか? 上層部だけが私腹を肥やしている現実があれば、それも良いとは言えない。結局、この地上においては「私」という問題ゆえに、どんな主義も上手くはいかない。「私」問題とは、「私は」「私が」「私も」「私の」「私に」と、“自分”を主張し始めることです。“自分”が中心になり始めると、どんな主義や主張も人を苦しめるものになってしまいます。
天国とは、人間にとって最高に居心地の良い理想の空間です。なぜなら“自分”を主張しないし、主張しなくても良い、他者と比べる必要もない場所だからです。ただ主なる神さまとの関係の中で、他者も自分の事のように思うことができる最高の場所。主よ、御国を来たらせたまえ!