ハ・ヨンジョ先生が生前にこのようなメッセージをされていたことを思い出します。「犠牲が伴わなければ、本当の平和はありえません。神と私たちの間に和解は、どう頑張ってみても成立しません。なぜなら神と人とには大きな隔たりがあるからです。その為には執り成し手、すなわち神であり人である存在が必要でありました。そしてそのお方が死の犠牲を捧げたことによって回復がきました。私たちの和解は、長続きしません。なぜなら犠牲と死がないからです。現代に必要なものは、経済の回復や人権を守ることや、統一や、平和でもありません。人々は、これらのものを求める故に争うのです。平和に対するさまざまなイデオロギーがありますが、イデオロギーは平和を与えることはできません。それぞれの考え方が異なれば、そのことが敵になるからです。戦いには、双方の正当な言い分があるのです。人々に本当に必要なことは、神との回復なのです! バカのように聞こえるけれども、イエス様を受け入れれば、人々は悔い改め、感動し、赦しがそこに起こるのです。」
 この何千年もの歴史を見ても、人々の間に、国と国との間に、さまざまな平和論やイデオロギーや哲学が示されてきました。しかし現状は、どの時代も地球上のどこかで争いや戦いが繰り広げられています。人間の知恵によっては何の解決にもなっていない現実を見る時に、私たちに必要なことは、まず神と人との和解であるということに気づかされます。
 イエスさまは、十字架につけられる前に弁論の余地はあったにも関わらずご自分を主張されなかったのは、神の側の正論を述べて和解をしようとは考えなかったからです。神の正しさを主張することが、人間との平和には繋がらないことをよくご存知であられたのです。そこでイエスさまは犠牲と死が伴う永遠の和解を選ばれました。日本には「負けるが勝ち」という言葉がありますが、神の側が犠牲を払うことによって人間との平和を勝ち取ってくださいました。人間側が自己主張しても、神さまが私たちの罪の代価を十字架で支払ってくださったことによって、今の平和があるのです。「神の和解を受けなさい。」(Ⅱコリント5:20)