産みの苦しみの後には、それにも勝る喜びがくるように、私たちの教会は土地購入と新会堂建築という色んな意味で産みの苦しみの中にいる。しかしそれは大きな喜びへと変わるサインのようなものである。
先週の日曜日の午前礼拝後、石切チャペルの裏手にあるイベントホールへ引っ越しをした。新しい会堂が与えられるまでの仮の宿である。土地を探すだけでも一苦労しているのに、一時的に使用するために妥当な大きさの部屋やホールを見つけるだけでも大変なことである。しかし神さまは、石切チャペルのすぐ隣にそれを用意しておられた。電気が入り、中を調べてみると、あまりにも備えられすぎていた。今まで以上に良い照明、音響システム、舞台、換気システム、広さ、そして日曜学校やヤングチャペルのできる部屋・・・しかもこのイベントホールのオーナーはコロナ禍では誰にも貸すつもりはなかったそうで、教会には日頃の付き合いもあるので好意的にお貸しくださった。借りるのは日曜日のみであるが、誰にも貸す予定はないので荷物などはそのまま置きっぱなしで良いとも言われた。あまりにも出来過ぎた神のシナリオである。
引っ越し作業は先週の日曜日、いつも礼拝に来られているメンバーが、バケツリレーで列をなして隣へと移動していった。あっという間だった。小学生、中学生、高校生、大学生、青年、中年、壮年の方々、すべての年代層の男女がお手伝いしてくださっていた。美しい主の共同体の姿を見せられ感動した。天国の一部分を垣間見せられたような気がする。そこではもはや、男女もなく、年齢差もなく、立場や職業も関係なく、一つとなって主を礼拝しお仕えするのです。
恵まれる前にはサタンも必死に阻止しようとしてきますが、何も恐れることはありません。それ以上に主は力強く働いていてくださり、何の妨げにもならないのです。私たちの教会の歩みがそれを証明しています。エレミヤは捕囚の期間を「荒野で恵みを得た」と語ります。それは荒野が主の恵みを発見する所となるからです。そして確実に主によってアップグレードされていくのです。あーこれからも楽しみです!