来週の日曜日の礼拝をもって9年間使用させていただいた東大阪福音教会の石切チャペルを離れることになった。次なる場所はまだ決まっていないが、アブラハムのように未だ見ぬ土地を求めての旅が始まる。アブラハムは生まれ育ったウルという場所から旅立ったが、途中ハランという場所に到着した時、居心地が良かったのかそこに長年留まっていた。関西カルバリーフェローシップも、石切チャペルの居心地が良くなり本気で次の場所を探すことを止めてしまっていたように思う。今、神さまから「あなたの住み慣れた場所を離れて、わたしの示す土地へ行け」と命じられているような気がする。
今まで何回も出される度に、神さまが共におられることを示すかのようにして不思議なことが起こった。私はこの11年間、何かが起こる度に、神さまの手の内で転がされているような気がするようになった。なぜならあまりにも絶妙なタイミングで次なる場所が与えられ、人材が与えられていったからである。とても“偶然”では片付けられない奇跡の連続であった。「来週から集会室を使用しないでください」と言われ呆然としていた私たちが、次の週からよそ様の教会の会堂をお借りして礼拝を始めるなんて考えられるでしょうか? それから9年間も毎週日曜日、一日中お借りして開拓伝道できたことに驚きを覚える。そして今から思えばこの9年間は、私たちが土地を買うことができるように蓄える期間を与えてくださったのだと確信している。そしてまだ土地も会堂もない状態のまま出て行かなければならない私たちに対する神さまの次なるご配慮は、石切チャペルの隣(裏手)にあるイベントホールを好条件で毎週日曜日借りることができるようになったこと。サイズも同じ、駐車場、イスもスピーカーも揃っている。しかもここは、コロナ騒動の前は毎週日曜日昼間からカラオケ大会などの宴会を開催していたが、この一年半の間、電気を止めて使用不可にしておられた。コロナ禍ゆえに私たちが使用できるのである。あまりにも神さまのシナリオはでき過ぎではないでしょうか? まさに紅海が分かれ、そこを渡るイスラエルのようです。