“イスラエル”は、ヘブライ語で「神の支配」という意味である。その名の通り、始祖であるアブラハムから約千年間は王政ではなく、“神”を王とする神権政治であった。エジプトから脱出し約束の土地(カナン)に入ってからは、霊的指導者(士師)が神の言葉を受け民に伝え、それに従うという政治形態であった。ところが紀元前千年頃に、士師サムエルに継ぐ妥当な後継者がいないことを理由に、周辺諸国のように「“王”が欲しい!」と叫ぶようになった。これは私たちにとって真っ当な主張のように思えますが、イスラエルにとっては掟破りだったのです。なぜならイスラエルはその名のごとく“神が支配”する国であり、創造主を“王の王、主の主”として従うために呼び出された民族だからです。サムエルは神以外を王とすることによって起こる悲劇を伝えましたが、民は言いました。「いや、我々には王が必要です。そうすれば他の国のように“王”が私たちを導き、先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう!」と食い下がりました。“神”が先頭に立って進み行かれることを拒否したイスラエルは、自分たちの願いのまま王を立ててから堕落が始まりました。四代目の王の時代に国は北と南に分かれ、王を立てるようになってからおよそ四百年後には北はアッシリアにより、南はバビロンによって捕囚され国を失うこととなります。
 私たちには真っ当な主張や正義があるかもしれませんし、それを無視してはなりませんが、それが必ずしも神の目には正しいことではない可能性があることも意識する必要があるでしょう。なぜなら私たちの主張や正義は、自分の利得や願望が中心になっていることが多いからです。それを押し切って進むことによって、人間関係に亀裂が入ったり、多くの混乱が生み出されていきます。そしてイスラエルのような道を歩むことになりかねません。
 「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救いを見なさい・・・主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」(出14:13-14)