私の友人クリスチャンが、先日の“心のオアシス”を読んで、Facebookでシェアしてくださった。そしてこのようなコメントを書いておられた。「人の相談を聞くと、『上手くいっていない』の意味を、自分の思い通りにいっていないという意味で使われていることが多い。神の計画は、寸分の狂いもなく、進んでいることが忘れられているのが、もどかしい。」
 私自身も含めて神を信じる者であっても、「上手くいっていない」と思うことがある。“自分”が中心になっていたなら悔い改め、方向転換する必要があるが、もし神さまのためにベストを尽くしているならば、“上手くいっていない”ことは、一つもないことを心に留める必要がある。神さまの前には“失敗”とか“手遅れ”はないからである。たとえ神さまが近くにいることを感じなくても、導かれている感覚がなくても、ただ「主は良いお方!」であると信じ通すことが大切だと思わされる。
 旧約聖書に出てくる「ノアの方舟」で有名なノアは、100年かけて舟を建造したが、その期間、神さまは無言であった。40日40夜雨が降り、方舟の中で不安な日々を過ごしましたが、やはり無言であった。節目節目で神さまは声をかけられただけであった。しかし神の沈黙の中でも、聖書には「神は、ノアと箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられていた」と記されています。私たちにとって、神が沈黙されておられるような時も、決して忘れておられるのではないというのは大変励まされるメッセージです。
 私たちが「欲しい!」と思っていた土地が、土壇場で買えなくなり残念ではあったが、落ち込む必要はない。私たちの考える“最善”と神さまの“最善”は違うからです。次なる候補地のためにお祈りください!
 最近、支教会の方が、ガンの診断を受けて、今手術する段取りをしておられる。メールの中に「ガンになったことを主にあって感謝します!」と書いて、たくさんの会堂献金をしてこられた。私は彼女の信仰に大変励まされ、祈らされた。私たちも“主は良いお方!”と、いつもここに立てたらと願います。「私はあなたを忘れることはない」(イザヤ49章)