『人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。』
 これは私の祈りの中に取り入れている箴言19章21節の言葉である。
 私は先週、この御言葉を知らしめられた。今、私たちの教会は、新しい場所への移転が求められている。数ヶ月かけて好条件の土地を見つけ、日曜日には、教会の皆さまにはハウスメーカーからの仮の計画書をお見せし、「計画はこのように進んでいます。明日には仮契約します!」と宣言していた。役員会でも全員一致で不動産会社に買い付けを申し入れて、いよいよ月曜日に仮契約をする予定であったが、その日の朝に不動産会社から電話があった。「マンションを建てることになったので、あの土地は売れなくなりました。」こんなことがあるのだろうか?! 不動産会社からの電話に、私はショックで寝込みそうになった。しかしながらすぐに神さまは、「あなたはいつも何と祈っているか?」と問われ、「そうです。あなたの計画のみが私に、そして教会に成されていきますようにと祈っていました。承知しました!」とすぐに立ち直ることができた。私たちは感情移入していると、やはり“自分の計画”と“自分の時”を求めたくなってしまう。そしてその通りに物事が進まなければ、ガッカリして落ち込んでしまいます。しかし幸いなるかな。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道の書3:11) この地上だけのことを考えるとソロモンが言うように、「運が悪かった」で流されてしまうが、天を見上げると、違う“時”を見ることができる。それは“私”ではなく、“神がなさる時”である。
 様々な問題の解決が遅れていても、子どもが思うように育たなくても、自分の願いがなかなか実現しなくても、“神の時”を待てる人は幸いだと思う。そこには諦めではなく、投げやりにでもなく、すべての出来事を丁寧に大切に取り扱うことができる余裕が与えられる。なぜなら神が動いてくださっていることに委ねることができるからです。
 神さまは、私たちの教会に必要な土地をすでに用意してくださっています。そこに行きつくまでに、ベストを尽くしつつ祈りと忍耐が求められ、そうやって信仰の訓練をされておられるのだと確信しています。そして神が「良し」とされる場所へ進んで行けることを感謝します。
 「私には神さまがついている!」今週もここに立って歩みましょう。