先日、ある方から相談を受けました。それは、もう独立して家庭を持っている娘さんが幼少期の時のことを回想していると、自分が娘に対してしてきた言動の中には、傷つけてしまうようなこともあったことを思い出してしまったとのこと。「私は、酷いことを娘にやってしまったし、娘は私のことを毒親に映っていると思うのです。イエスさまが赦してくださったとしても、娘から赦してもらわなければ、収まらないのではないかと思います。先生のご意見をお願いします。」というものでした。私は、「勿論、神さまに告白して悔い改める罪は、すべて帳消しにしてくださいます。でも、罪悪感があるなら、直接本人に謝罪したらどうでしょうか? 私も数年に一回は、『こんな親で申し訳ないね・・・』と謝罪することがあります。子どもたちは『そんなことはない』と否定してくれますが、私はその謝罪によって重荷を下ろすことができているのですよ。具体的なことは言わなくても、『良い親じゃなくてごめんね。あなたを傷つけてきたとは思うけど、あなたの幸せを祈っているよ』と何かの機会に言ってみられたらどうですか?」と返答した。そうすると早速、娘さんにラインをされたようで、しばらくしてからこんな喜びの内容が送られてきた。「さっき、娘のラインから返信がありました。『私も弟も社会人として、まともにやっているから、悪い母親ではなかったと思うよ』と書かれてあって、嬉しくてたまりません。ありがとうございます。なんだかホッとしました。」
 このやり取りをしながら、ある記事を思い出した。それはニューヨークのとある新聞の「尋ね人」の欄に、「アントニオ、お前を許している。帰っておいで。今週金曜日の午後5時に、セントラルパークで待っている。父より」と掲載された。そして指定した日時に父親が公園に行ってみると、なんとそこに沢山の青年が集まっていました。調べてみると、みんな“アントニオ”だったそうです。
 人は心のどこかで“赦されたい”という願望を持っているものです。それは私たちの中にある正義が、そう思わせるのでしょう。イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりになって十字架にかかって死んでくださいました。そして甦られて、こう言われます。「あなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ43章25節)