「無償の愛」という一人の女の子が書いた感動の実話です。
  おじいちゃんは老いてから手足が不自由でトイレも一人では厳しい。だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしていた。おばあちゃん以外が下の世話をするのを嫌がったからだ。
 ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。おじいちゃんと留守番していると申し訳なさそうに、「モモちゃん、悪いんだがトイレに・・・」って言った。私は本当に馬鹿だなって思った。一人じゃ行けないのを知っていたくせに気が付いてあげられないなんて・・・孫、それも女には言いづらかっただろうなって。トイレに行くとパンパースが小と大で汚れていた。たくさん我慢させてしまった。私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。お風呂場で体を洗ってパンパースを付けてホッとした。同時におばあちゃんは毎日これをしているんだと思うと何とも言えない気持ちになった。そして「悪かったね、ありがとう」って5千円をくれようとした。おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。おしめを替えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。あれは無償の愛でしょ? 私は「おじいちゃんが大好きだよ? だからお金なんかいらないんだよ」って言った。2人してちょっと泣いた。

 神は人をご自分に似せて造られた故に、私たちの中には神さまのご性質が流れています。その証拠として、どのような人も永遠を思う気持ちは持っているし、霊的な何かを求め、無神論者であっても祈り、どんな悪党でも善悪の心を持っていて聖くなりたいという願望をどこかに持っています。これらは神の性質でありますが、人間は自分中心に生きたいと願う罪があるので、完全には表われていないのです。でも、神の無償の愛を私たちが持ち合わせているとなると、敵さえも愛することができる可能性を秘めているということです。聖霊さまがしてくださいます!