映画化された「あらしのよるに」という絵本は、風変わりな友情が「与える愛」にまで育つ物語です。オオカミのガブとヤギのメイという、本来は食べる食べられる関係というあり得ない組み合わせが、嵐の夜に知り合い、親友になります。やがて、彼らの友情は仲間から非難され、それぞれの群れから追われてしまいます。絶体絶命の中、ヤギのメイは自分を食べて生き延びるように頼み、オオカミのガブは身をていしてメイを守り抜きます。愛を本当に理解したとき、不思議なように恐れは消えて、勇敢な心に変わっていくという内容です。
 イエスさまは「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分の命を救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」(ルカ9:23~25)と言われましたが、この“自分に死ぬ”という考えは新約聖書の至る所に出てきます。自分を生かそうとする人は、不安や心配が尽きませんし、他者との関係には絶えず亀裂が入ります。“自分に死ぬ”とは、自分の夢や願望ではなく他者の夢や願望のために生きるということです。
 イエスさまは、アガペー(自己犠牲の愛)を徹底されました。裏切る弟子たちを最後まで愛し通され、十字架にかけ、ののしる人たちに対しての祈りは、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」でした。自分を生かそうとすると、他者が犠牲になり、他者を生かそうとすると、自分が犠牲になります。後者の生き方は難しいですが、聖書は、その生き方を求めています。そしてそこから本当の救いと恵みが流れていくということなのです。
 先日、YouTubeを視聴くださっている方からお手紙と献金を送っていただき、お礼の電話をすると、その方のご主人はプライドが高く、自分のやりたいことを優先したい人で、それによって家族が振り回されてきましたが、糖尿病、認知症、前立腺ガンなどを患うようになり、自分の意志を通すことを諦めたのか、最近では何をしても主人の口から「ありがとう、ありがとう」と感謝が出るようになったというお話をされました。 
 “自分に死ぬ”これが神さまから与えられている人生の課題なのです。