今から11年前の4月に関東から関西に帰ってきた。教会開拓を始めるために、最初の2ヶ月は近辺の教会を勉強させてもらった。不思議な再会を通して一人の協力者を得て、6月から午前の礼拝をスタートした。午後は数名集まっていた奈良の実家でメッセージをさせてもらっていた。一人の会衆を前にして、ギター一本で賛美を導き、司会も説教も一人でしていたあのころが懐かしい。勿論、一人だけの礼拝者も前に座って一緒に礼拝を捧げ、礼拝後の後片付けを率先してやってくださった。あれから11年が経過した。振り返ってみると、最初から協力者・奉仕者が途絶えることはなかった。「あれは主だ!」と確信をもっていうことができる。数年前にある方が、「えぇな~、最近、教会らしくなってきたわ~」と言われたことが印象に残っている。気が付けば奏楽者が与えられ、聖歌隊やフラダンスチーム、ハンドベル・トーンチャイムのチームがご奉仕してくださるようになり、男性コーラス“なにわいけめんず”まで結成され、男の絆が深められている。小学生のキッズクラスや中高生のヤングチャペルも行なわれている。数年前に堺市にも教会を開拓し始め、日曜学校も行なわれている。すべては創造主なる主のお働き以外にありません。そして今、石切チャペルでは、土地購入と会堂建築にチャレンジしようとしている。当初、想像さえもできなかった事柄が急速に進められている現実に、牧師である私は、気持ちが追い付いていない。まだ、自分たちの土地ではないし、買えるかどうかも分からない人様の土地を見ながら、私も含め、教会メンバーは、「どんな会堂を建てようか? 花壇や畑、小さな公園もあれば・・・温泉は出るのか?」などと夢を膨らませている。今まさにアブラハムの気分を味わっている。神さまから「この土地をあなたに与えます!」とお言葉をいただいて入ったカナンの地は先住民の土地で、アブラハムには一歩の幅すらの土地さえ所有していませんでした。しかしすでに与えられたかのような歩みをしていました。
私たちも、与えられたら感謝、与えられなかったとしても感謝。ただ神さまの計画のみが実行されていくことを望む教会として、これからも進んでいきたいと願っている。
 「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19章21節)