先週の午前の礼拝終了後、残っていた何人かの人たちと立ち話しながら会堂建築の話題で盛り上がった。石切チャペルは、東大阪福音教会の所有で、私たちは8年前から教会堂をお借りして開拓を進めていて、貸してくださっている教会は、他所に教会堂があってそこで礼拝しておられる。その教会の藤長先生とはとても良い関係を続けていて、「KCFが開拓を始めてから、何か重苦しかった空気が一変して軽くなり、このままずっと使用して欲しい」とまで言われている。数年前から今の会堂をリフォームして私たち関西カルバリーフェローシップの教会として使うということも検討されたが、様々な理由から滞っていた。そんな中昨年ある地主さんから、教会に190坪の土地を売りたいとの申し出があった。しかし予算のことや様々な検討事項があり、足踏み状態になっている。その土地に建っていた建物の一部が更地になっていくのを見ながら、まだ手に入ったわけではないのだが、夢が広がり様々な意見が出てきた。「マンション付の会堂を建てたら、私たちは移り住みます!」「介護付きであればいいですね。」「温泉を掘り当てて、温泉付きはどうですか?! 宣教に用いられると思います! これぞ心と身のオアシス教会!」など制限を考えないと、夢は広がり楽しい会話になった。
 箴言29章18節には欽定訳で「Where there is no vision, the people perish」(幻のない民は滅びる)とあります。私たちは焦燥感が漂う時代に生きていて、なかなか前向きに物事を考えることができなくなっている。制限付きの現実では難しいことですが、ビジョン(夢・幻)がなくなってしまったら人間は必ず身も心も劣化していきます。年々老いていく自分、なかなか上手くいかない現実だけを見たら、そうなってしまうのも仕方がないかもしれない。しかし聖書には「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る」(ヨエル2章28節)とあるように、聖霊による希望があることを述べている。神の霊の世界には、この地上にあるような限界は一切ない。様々な夢が実現する場所が神の国です。
 神さまが計画されたら実現するでしょうし、それでなければ他の道が開かれるでしょう。ポイントは、神さまのビジョンを持って大きな夢を見ながら、ただ神さまの計画のみ進められることを願う。これが“八風吹けども動ぜず”の極意です。