神さまは、私たちがただ快適な時間を過ごさせるために、この地上に私たちを置かれたのではありません。私たちを造られたのには造り主なる神さまの側の計画や目的があってのことなのです。単刀直入に言うと、それは「神が神であることを示すため」です。そして私たちの姿勢によって、「神が神であること」をより実感することができます。
 第一に、「神さまファーストに生きる」ということです。“自分ファースト”に生きるとは、私たち自身が神の立場に立つということです。すなわち神の座に座って、自分の願望や計画や目の前にある問題を、自分の力や判断だけで手に入れたり解決しようとしてしまいます。“神さまファースト”とは、私たちは勿論、ベストは尽くしますが、結果は神さまに任せるのです。もし自分の願っている答えや結果を得ることができなくても、神さまの与えられたことに関してはそれを受け止めるということです。あなたがどんなに小さな存在であるかは、あなた自身が一番よく知っているはずです。ですから、突然起きた出来事に驚いて慌てふためくのは当然です。もし私たちが“神さまファースト”に生き始めるなら、現在起きている状況も神が演出されたもので、神さまが良しとして許されていることですから、神さまが必ず処理してくださるという信仰に立つことができるので、安心することができます。
 第二に「神の視点から見る」ということです。“自分視点”から現実を見ると、“今”という点でしか見ることができません。ですから今起こっていることに振り回されてしまうのです。対処療法ばかりで、根本的な問題に触れないまま疲労困憊してしまいます。少し高い場所に登っただけでも、町全体を見下ろすことができるように、高く上れば上るほど、一目で問題の全体を見渡して答えを見出すことができるようになります。神の視点から見ると様々な問題は自然とあるべき場所に収まるものです。
 私はサラリーマン時代に、現実ばかりに振り回されていた時、あるクリスチャンからの手紙に“Keep Looking Up!”と書かれていて、その言葉によって励まされたことがあります。その時から神さまの視点から見ることを意識できるようになりました。忙しさの中で流されておられる方もいと思いますが、時々立ち止まって神の視点から人生を見る時間を作ってみてください。聖書の中には沢山の宝が詰まっています。